1人が本棚に入れています
本棚に追加
/16ページ
4.ボクがにゃんこでにゃんこがボクで
「ノリタ、起きなさい!遅刻するわよ」
それはお母さんの声だった。
彼は眠い目をこすり、なんとかまぶたをこじ開けた。そこは見なれた自分の部屋だった。
「あれ……?」
つぶやきながら昨夜のことを思い起こす。
ダイキチの後を追いかけて、神社に行って、なんだか不思議な体験をしたような気がしたけど、夢だったのかな……。
そんなことを考えているうちに、かん高い声が再び聞こえてきた。
「ほら、ノリタ!」
少し怒ったようなお母さんの口ぶりに対し、もう起きてるよ……と言おうとして声がするほうを振り向いた。きっとお母さんが怖い顔でこちらを見ているに違いない……と思っていたらそうではなく、お尻をこちらに向け、反対側に向かって話し始めた。
「早く起きなさい。朝ごはん食べる時間がなくなるわよ」
不思議に思いながら、ノリタはお母さんの背中に声をかける。
「どこ見て言ってるのさ。ボクならもう起きてるよ」
するとお母さんは振り返り、笑顔を浮かべてこう言った。
「あら、珍しいわね。昨夜はここで寝ていたのね」
ボクがボクの部屋で寝て、なにが珍しいんだ?
ノリタは不思議に思いながら言葉を口にする。
「ねぇ。言ってる意味がわかんないんだけど」
するとお母さんはなだめるように右手を突き出してから、
「わかったわかった。あんたにも朝ごはんあげるから、ちょっと待っていなさい」
と言ってすぐにノリタに背を向けた。
ちょっと待てってどう言うことさ、とお母さんに抗議しようと口を開きかけた。そのとき彼女の向こう側にチラリと何かが見えた。その正体に気づいたノリタの口はあんぐりと大きく開かれた。驚きのあまりそこから言葉は出てこない。
お母さんの向こう側にはノリタのベッドがあった。その端に、眠そうな顔をしたノリタ自身が座っていたのだ。
「早く仕度して、下りてくるのよ」
あくびをするもうひとりのノリタの頭をくしゃくしゃとなでながらそう言うと、お母さんは足早に部屋から出て行った。
と思ったらすぐにドアのすき間から顔を出し、ノリタに向けて言う。
「さあ、ダイキチ。朝ごはんあげるからいらっしゃい」
まるでネコを呼ぶように舌を鳴らすその言動が理解できないノリタは、困惑しながらお母さんを見つめていた。
「もう。忙しいんだから」
お母さんはすぐに痺れを切らしたようで、もうひとりのノリタに視線を向けると、
「下に来るとき、一緒にダイキチも連れてきてね」
それだけ言って、ばたばたと足音を響かせながら階段を下りていった。
静かになるまで、ノリタはベッドの端に座るもう一人の自分をしげしげと眺めていた。
「君は誰だ?ボクとそっくりじゃないか」
言いながら相手に歩み寄る途中で彼は気づいた。
目の前のノリタが自分よりもずいぶん大きいことに。それだけではない。相手が座るベッドも、部屋の中の家具も、すべてが彼の記憶よりも大きく感じるのだ。天井もはるか高くに見える。
気のせいだろうかと考えながら、彼はもう一人の自分に目を向けた。すると相手はにっこり笑ってから口を開く。
「一応説明しておくけど、私はダイキチだ。見た目はノリタ君だけど。それで、君は自分をノリタだと思っているかもしれないけど、今の見た目は三毛ネコだよ」
「なにを……」
バカなことを言ってるんだ?と言おうとしたノリタよりもはやく、相手はあるものを手にし、それを彼に向けた。
それは鏡だった。自然とその中を覗き込む形になった。
そこに映っていたのは……。
「ダイキチ?」
驚いたようにそう言って、ノリタは自分自身の顔をなでまわす。すると鏡の中のダイキチも、その動きにあわせて自分自身の顔をまさぐっていた。
そこで彼はやっとのことで思い出した。夢だと思っていた昨夜の出来事を。
「まさか、猫又が?」
ベッドに腰掛けるもうひとりの自分に、不安な面持ちで問いかけた。相手は微笑みながらうなずいてみせる。
「その通り。でもこれは、君自身が望んだことだからね」
彼はそう言うと、ベッドの端から立ち上がった。
「さて、私は学校へ行く準備をしなければ。ノリタくんとしてね。君だって私に遅刻されたら迷惑だろう?」
パジャマを脱ぎ始めたノリタの姿になったダイキチに、ダイキチの姿のノリタは慌てて訴える。
「ちょっと待ってよ。確かにボクは君のことがうらやましい。できることならネコになりたいと言ったさ。でも、本当になるとは思わないじゃん」
「でも本当になれたのだからいいじゃないか。しばらくはネコのダイキチとして、寝てばかりの生活を送ればいいだろう?」
ノリタになったダイキチはそこで言葉を切ると、ダイキチになったノリタにぐいと顔を近づけ、「できるものならね」と言って意味ありげに笑った。
「できるもなにも、ボクはやりたくないんだってば。ネコの生活なんて」
ダイキチになったノリタは、なんとか元に戻れないかと自分の姿をしたダイキチに食い下がるものの、首筋をひょいとつまみ上げられた。
「おしゃべりはここまでです。早く準備しないと遅刻しちゃうからね。すまないけど君には外に出ていてもらうよ」
ノリタになったダイキチは、ダイキチになったノリタをそのまま部屋の外にぽいと放り出してからドアを閉じた。
ダイキチになったノリタはあわてて部屋に戻ろうとするものの、慣れないネコの体ではそう簡単にドアを開けられるものではなかった。ドアノブに飛びついてみるのだが、思うように指が動かせないせいで、それは無駄な努力に終わった。
ここはとりあえず一階に下りて、お父さんとお母さんに今の状況を相談しよう……そう思った矢先、ドア越しに声が聞こえてきた。
「ああ、ひとつ言い忘れたことがあるんだけど、今の君が話す言葉はあくまでネコの言葉だからね。普通の人間にはニャーニャーとしか聞こえないよ。だからご両親になにか伝えようとしても無駄なんだ」
ダイキチになったノリタはがくりと首をうなだれて、しぶしぶ階段を下りるしかなかった。
最初のコメントを投稿しよう!