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5.ネコ会議
その中身が実の息子だとは気づかないお母さんは、抱えていた三毛ネコをリビングの片隅に下ろした。そこにはダイキチ専用のお皿が置かれていた。彼女はそこにキャットフードを注ぎ込む。
カラカラと音を立てて小さな山を作ったそれをじっと見つめていたノリタは、朝からそんなカリカリのものを食べる気にもなれず、恨めしい思いでテーブルの上に目を向けた。おいしそうなハムエッグとトーストが並んでいる。
「やぁねぇ。この子ったら。さっきはあんなに鳴いていたからお腹が減っていると思ったのに、どうしたのかしら」
彼女は不満げにそう言って、キャットフードを一粒つまむと「ほら」とノリタの口元に持ってきた。
しばらく口を閉ざしたまま、断固としてそれを拒否していたものの、諦めないお母さんに根負けした彼はしぶしぶと口を開く。
放り込まれたカリカリを、ポリポリとかむうちに、口の中になんとも言えぬ味覚が広がった。
あれ……?美味しいぞ……。
予想外のその味で、お皿の小山にかぶりつこうとしたそのとき、階段からあわただしい音を立ててダイキチが駆け下りてきた。ノリタの姿をしたダイキチだ。
彼は壁にかかった時計に目をやりながらお母さんに言った。
「ごめん。朝ごはん食べる時間ないよ。遅刻しちゃう」
そのまま玄関へと駆けていく。
「ほらみなさい。早く起きないからよ」
その正体がネコだとはこれっぽっちも思っていないお母さんは、息子を見送るためにその後に続いた。
ダイキチになったノリタも慌ててそのあとを追いかける。
「行ってきます」と勢いよく玄関を飛び出すノリタになったダイキチ。
上がりかまちで「行ってらっしゃい」と手を振るお母さん。
その足元をネコの姿のノリタが駆け抜けた。玄関のドアが閉まるその直前、彼はぎりぎり外に飛び出した。
学校へ向かうノリタになったダイキチを、ダイキチになったノリタが追いかける。
「ちょっと待ってよ」
四本足で走るノリタの声に、ランドセルを背負ったダイキチが歩みを止めて振り返った。
「なんだい?ゆっくりしていたら、遅刻しちゃうんだけど」
「じゃあ、歩きながらでいいよ」
その言葉で彼らは並んで歩いていく。ノリタは毛深くなった自分の体をチラリと見てから、自分の姿をしたダイキチを見上げた。
「ねぇ。これ、どうにかならないの?」
「これって?」
「だから、ボクがダイキチで、ダイキチがボクになっちゃったことだよ」
人の姿のダイキチは小さく首をかしげると、
「どうにもならないんじゃないかな。そもそも私がやったことじゃないし。猫又様が決めたことだ」
猫又と聞いて、ノリタは昨夜の出来事を思い起こした。神社の裏に集まった大勢のネコたち。そのネコたちを見下ろすように立っていた1匹の大きなネコ。そのネコが吐き出した煙に巻かれてノリタはダイキチになってしまったのだ。
「ねぇ。その、猫又?昨夜の大きなネコのことだけど、あれはいったいなに?ただのネコじゃないの?」
そんなことも知らないのか、とでも言いたげな眼差しで、ダイキチは足元を歩くノリタを見下ろした。
「猫又様も、もともとはただのネコだった。しかしただのネコも、長い歳月を生きることで妖力を得るのだ。それが猫又さ。尻尾が2つに分かれているのがその証だ」
「妖力って、魔法みたいなもの?」
「そう。私たちにはない、不思議な力だ」
「じゃあ、猫又なら、ボクたちを元に戻せるってこと?」
「それはそうだろう。私たちの心と体を入れ替えたのも、猫又様なのだからね」
「それならさ、すぐに猫又のところへ行こうよ。元に戻してもらいに」
懇願するようなノリタの表情に、ダイキチはゆっくりと首を振った。
「それは無理なことだよ。猫又様の行く先は、猫又様にしかわからない。あの方はお忙しいんだ。今度この町にいらっしゃるのは、半年先の予定だ」
「え?半年もどこでなにしているのさ」
「猫又様は、いわば日本中のネコの長なのだ。毎日全国のあちらこちらに赴いては、その土地のネコたちの悩みごとを聞き、相談に乗ってくださる」
それを聞いてノリタは昨夜の光景を思い浮かべた。切り株の上に乗った猫又に、集まったネコたちが1匹ずつ、なにやら話をしていた。あれは相談をしていたのだ。ダイキチのように個人的な相談から、行方不明になったネコのことまで……。
「そう言えばさ、猫又が言っていた連続失踪事件ってなんだい?」
ノリタの疑問に、ダイキチは前を向いたまま応じる。
「言葉通りさ。この3ヶ月の間で、我々の仲間が立て続けに行方不明になって戻ってこないんだ。ネコって生き物はね、寿命が近づくと自然と姿を消すこともあるんだけど、このペースは明らかにおかしいんだよ。3ヶ月で5件だからね。誰かのしわざとしか思えない。もしかしたら発覚していないものもあるかもしれないし」
その誰かとはいったい何者なのか?何の目的でそんなことをするのか?考えるうち、ノリタはふとあることに思い当たった。連続失踪事件の被害者はネコなのだ。それならばネコの姿をした自分にもその災いがふりかかる可能性があるのではないかと。
「あのさ」とノリタはダイキチを見上げる。
「猫又が半年先にしか来ないのなら、その間ずっとボクはこのままなのかな?」
「さあ。どうだろう」と彼は肩をすくめて見せると、
「もっと長いかもしれないし、短いかもしれない。それは、猫又様しだいじゃないかな」
一生戻れなかったらどうしよう……。ノリタの胸にそんな危機感が湧き上がった。しかし今の彼にはどうすることもできなかった。ただ猫又が戻って来るのを待つしかないのだ。その間、失踪事件の犯人の魔の手が自分に伸びないことを祈りつつ。
泣きたくなる気持ちを抑えながら、ノリタはダイキチと共に歩いてく。そのうちに2人の前方に、彼が通う小学校の校門が見えてきた。それを目にしたダイキチは、ノリタへと視線を向ける。
「ねえノリタ君。君も学校へ来るつもりかい?その格好で」
そう問われてノリタは自分の体を見下ろした。完全な三毛ネコだ。
学校に迷い込んだ動物がどんな運命をたどるのか、ノリタは充分に理解していた。特に注意しなければならないのは低学年だ。中でも乱暴な男子に見つかったら最悪だ。自分がダイキチに対して行った意地悪をはるかに超えるような、あんなことやこんなことが待ち受けているかもしれない。
それでも彼はあきらめ切れなかった。せめてクラスメイトの反応だけでも確かめたかった。中身がネコだとばれやしないか心配なのだ。とは言っても教室までついて行くのはさすがに無理だろう。校庭までならなんとか忍び込めたとしても……と考えていたノリタは、今日の1限目が何の授業だったのかを思い出した。
「もちろん、このまま行くよ。だって、1限目は体育の授業だもん」
そう言って彼は小鼻をうごめかす。
それを目にしたダイキチは「しょうがないな……」とため息交じりで肩をすくめた。
校庭の片隅に生える大きなポプラの木の陰で、ノリタは息を殺して待っていた。さいわい誰に見つかることもなく、始業のチャイムが鳴りひびいた。やがて体操服姿の生徒たちがぞろぞろと現れた。その中に自分の姿を見つけた彼は、祈る思いでその動きを目で追いかけた。今のところ、問題が起こった様子はうかがえない。周りの生徒たちも、普段と変わらない態度でノリタの姿をしたダイキチに接している。
体育の授業はサッカーだった。当然、球技大会に向けての練習だ。
ポプラの木の陰から身を乗り出したノリタは気をもみながらその様子を見つめる。ダイキチがなにかヘマをやらかしはしないかと恐れているのだ。
ところが、そんな彼の不安は一瞬で吹き飛んだ。逆におどろきのあまり目をまん丸に見開いて、その光景が信じられないという風に何度も目をまたたいた。
ノリタになったダイキチは、快足を飛ばして走っていた。それだけではない。彼の足元にはボールがあった。それを巧みに蹴りながら、校庭を縦横無尽に駆け回っていた。そのまま彼はゴールへと向かい、軽々とシュートを決めて見せた。
クラスのみんながノリタを取り囲み、その動きをたたえている。
「すごいぞノリタ。お前、急にサッカーがうまくなったな」
そんなツネオの声も聞こえた。
それからもダイキチは大活躍だった。華麗なステップでディフェンスを交わし、何本もシュートを決めた。ノリタはそんな光景を不思議な思いで見つめていた。自分自身がサッカーで大活躍する姿は現実感を伴わず、夢でも見ているようだった。
そのとき、大きく蹴りだされたボールがころころと、ノリタがいるポプラの木のほうへと転がってきた。それを追いかけてきたのは、ダイキチだった。
ボールを拾うふりをしながら、彼は秘かにノリタに話しかける。
「どうだい?心配ないだろう?誰もノリタ君の正体がネコである私だなんて、気づいていないよ」
確かに……と思い、ノリタはしぶしぶながらうなずいた。
満足げにそれを見て、ダイキチは言葉を続ける。
「それじゃあ、私から君にお願いだ」
「お願い?」
「そう。ノリタ君が毎日学校へ通うのと同じように、私にも毎日の予定というものがあるんだ」
「え?そうなの?寝ているだけじゃないの?」
「いやいや、私にだっていろいろあるんだよ」
「そうなんだ……」
意外な思いでノリタは自分の姿になったダイキチを見つめた。
「中でも大事なのが、週に1回開かれるネコ会議だ」
「ネコ会議って、昨夜のあれみたいな?」
「まあ、そのようなものだ。猫又様は来ないけどね」
「なんだ、来ないのか……」
もしかしたらと、少しだけ期待していたノリタは、がっくりと肩を落とした。
遠くからクラスメイトの声が聞こえてくる。
「おーい、ノリタ。なにやってるんだ。早くボール!」
その声にノリタは思わず返事をしそうになった。しかしすぐに自分は今人間の姿ではないことを思い出し、慌てて口をつぐむ。
代わりにダイキチが大きな声で応じた。
「ごめーん!すぐ行くよ」
そう言ってから、ダイキチはノリタのほうを振り返る。
「ここら辺のネコは、必ずネコ会議に出席しなければならないんだ。ちなみに今日がその日だ」
「え?ネコ会議が、今日?」
「そう。毎週場所を変えて行われるんだけど、今日の会議は公園の滑り台の下だ」
そこで彼は校舎のかべの高いところにある時計をちらりと見た。
「そろそろみんなが集まり始める頃だから、君にも行ってもらいたい」
「はぁ?ボクが?会議なんて……」
無理だよ、と言おうとしたノリタの頭をダイキチがポンポンと叩く。
「たのんだよ」
彼はそう言い残し、ボールをけりながらクラスメイトのほうへ走っていった。
「無理だよ……」と呟きながらノリタはその後姿を見送る。
相変わらず活躍する自分自身の姿をしばらく眺めていた彼は、「しょうがないな……」と言ってため息をついた。
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