8.プライド

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8.プライド

 トラザエモンは門の外に飛び出すと、チョビの姿を探してきょろきょろとあたりに目を向けた。しかしどこにも見当たらない。その代わり数メートル先に黒いミニバンタイプの車が停まっているのが目に付いた。車の側には男が立っており、後部座席のドアを閉じたところだった。  もしやと思いトラザエモンは車の方へと歩き出した。しかし男は茶トラのネコに気づく様子もなく、すぐさま運転席に乗り込むと、車を発進させた。  それを追いかけようとするのだが、スピードの差は歴然としており、トラザエモンはあきらめるしかなかった。  遠ざかる車を見つめるうち、後部ガラスの向こうに見覚えのある黒ぶち模様が現れた。それは助けを求めて叫ぶチョビの姿だった。  足音が聞こえたので振り返ると、ノリタとモモタローが門から出てきたところだった。 「チョビは?」  ノリタの疑問に、トラザエモンは力なく口を開いた。 「さらわれちまった」  言ってからトラザエモンは車のほうへと視線を向ける。小さくなった黒い車は交差点の角を曲がって見えなくなった。 「さらわれたって、あの黒い車にか?」  モモタローが問いかけると、トラザエモンは無言で何度も頷いた。 「どうするね、ダイキチさん」  元ボスは深刻な眼差しをノリタに向けた。  どうするもこうするも、チョビをさらった車を追いかけるべきなのは明白だ。しかしネコの足でいまさら追いつけるはずもなく、だからと言ってあの車を探し出すすべもノリタはすぐに思いつかなかった。 「どうしよう……」  おろおろするノリタの後ろのほうから声が聞こえてくる。 「どうしたんだい?」  振り返るとマリが門から顔を突き出していた。  その大きな顔を見てノリタの脳裏にあるアイデアがひらめいた。 「ねえ、マリさんにお願いがあるんだけど」 「相談の次は、お願いかい?」 「緊急なんだ、お願い!」  深々と頭を下げる三毛ネコの姿に、「フフン」と笑ってからマリは言った。 「しょうがないね。言ってみな」 「チョビが誰かに連れ去られたんだ」 「それは、さっき門の外にいた、黒ぶちのネコのことかい?」 「そう。そのチョビを連れ去った車を追いかけたいんだけど、協力してもらえないかな?」 「協力って、具体的にアタイはなにをすればいいんだい?」  その問いかけに、ノリタはまっすぐに相手の顔のど真ん中を指差した。 「その鼻で、チョビのにおいを追いかけてほしいんだ」  それから「出来るよね?」と言って挑発的な含み笑いを見せた。  それにのせられた形のマリは、 「アタイの鼻を、なめるんじゃないよ」  甘く見るなと言いたげにつんと顔を上向けた。それから自分の鼻先をぺろりとなめると、 「ほんとうのところ、よそ者のネコのお願いなんか聞く道理はないんだよ。アタイにもイヌのプライドってもんがあるからね。でもあんたからは、なんだか断りにくい特別なにおいがするんだよ」  そこでマリはモモタローのことをちらりと見てから、 「それに、今回はアタイのご主人様の三味線が1つのきっかけになったようだから、まったくの無関係ってわけにもいかないだろうしね」 「それは、つまり……」 「協力してやるってことだよ」  その答えを聞いたノリタは表情をほころばせた。ところがすぐにマリが口にした「ただし……」という言葉を聞いて真顔に戻る。 「ただし、それには条件がある」  意味ありげに笑うマリの顔を、ノリタは不安げに見上げた。 「条件……って?」 「さらわれたあのネコのにおいを追うと言うことは、アタイはこの庭から出なきゃならないってことだ。しかしアタイはこの家の番犬。簡単に留守にするわけにもいかない。いないことがご主人様にばれたら、心配をかけることにもなるからね」  マリはそこで言葉を切り、ノリタ、トラザエモン、そしてモモタローの顔を順に見た。 「そこで条件というのは、アタイの代わりに、誰かここに残ってもらいたいのさ」 「ちょっと待ちなよ」  トラザエモンが口を挟んだ。 「オイラたちはネコだぜ。番犬の代わりなんかできるわけがないだろう」 「なにも、番犬の代わりをしろってんじゃないよ」 「じゃあ、なにするのさ?」 「アタイだってずっと庭に出て誰かがくるのを見張っているわけじゃない。たまには休むこともある。小屋の中でね。だからアタイの代わりに残った誰かには、小屋の中でじっとしていてもらいたい」 「それだけ?」 「まさか」  マリは楽しそうに話を続ける。 「小屋の中にいる間、もしもご主人様が来た場合には、小屋の中からアタイの鳴きまねをして、アタイがどこにも行っていない、小屋の中にいるんだ……と思わせてもらいたいのさ」 「イヌの鳴きまね?」  口を揃えてそう言ったのはモモタローとトラザエモンだ。そのどちらの顔にもとまどいの色が浮かんでいた。  ノリタの目にはそれがイヌの鳴きまねをすることを嫌がっているように見えた。それはネコであるプライドに関わる問題なのかもしれない。もしそうならば、ここは自分が残るべきだろうと彼は考えた。見た目はネコでも中身は人間なのだから、ネコのプライドなどあるはずもない。 「そういうことなら、ボクがここに残るよ。トラザエモンとモモタローさんと、そしてマリさんとでチョビを探しに行ってよ」 「それはダメです」  慌てた様子でトラザエモンが言った。 「ボスであるダイキチさんに、イヌの鳴きまねなんかさせられません」 「じゃあ、ワシが残ろう」 「それもだめです」  トラザエモンはモモタローのほうを振り向く。 「元ボスであるモモタローさんにも、イヌの鳴きまねなんかさせられません」 「ってことは、あんたが残るのかい?」  マリの言葉に、トラザエモンは「う……」と言葉を詰まらせた。  その姿に苦笑を浮かべたモモタローが口を開く。 「いいってことよ。ワシが残る。今回はみなに迷惑をかけたしな。それに、この中では一番の年寄りだ。道中、足手まといになるかもしれんだろう。ま、三味線の音色でも聞きながら、お前たちの帰りを気長に待っておるわい」  元ボスは言い終えると、自ら庭へと戻った。そのままイヌ小屋のほうへとずんずん進んでいく。  本当にこれでいいのだろうか……と思いながらノリタはその後姿を見つめる。  その視線に気づいたのかモモタローは立ち止まり、門の外を振り返った。 「おい、早く行ってやれ。チョビが助けに来てくれるのを待ってるぞ」  追い払うように手を振ってから、元ボスは再び歩みを始めた。 「仕方ないです。ここはモモタローさんに任せましょう」  トラザエモンの言葉にうなずいてから、彼はマリへと視線を向ける。  「どう?におい、わかる?」 「アタイの鼻をなめるんじゃないよ」  彼女は鼻先をぺろりとなめてから、それをひくひくうごめかすと、 「あの黒ぶちのにおいなら、ちゃんと覚えてるさ」  そう言って車が走り去ったほうへと歩き始めた。  ノリタとトラザエモンもその後ろに続こうとしたところで、マリは急に足を止めた。 「どうしたの?」  問いかけたノリタに、 「ちょっと待ってな」  言い残してマリは門の中へと戻った。  門の外から庭を覗き込んだノリタとトラザエモンの目に映ったものは、足音を忍ばせて歩くマリの姿だった。彼女は小屋のすぐそばまで近寄ると、その壁をコンコンと叩いた。  すると中から「ワンワン。ワンワン」と声が聞こえてきた。  声色を使っているものの、それは間違いなくモモタローの声だった。 「あぁ……。モモタローさんがイヌの鳴きまねを……」  トラザエモンの悲しそうなつぶやきが、ノリタの耳に届く。  マリはもう一度壁をノックした。すると再びその中から、「ワンワン」とモモタローの声が聞こえきた。ところがすぐに外の様子が変だと思ったのか、気配をうかがうように小屋の入り口からそっと顔を覗かせた。 「あ!お前!」  そこにマリがいることに気づいたモモタローはそう言って、恥ずかしそうに怒った。 「なにしやがる。ワシをからかうな!」 「からかってなんかいないさ。ちゃんと言ったとおりにしてくれるか、試しただけじゃないか」  彼女は悪びれる風もなくそう言ってから、「フフン」と笑って見せた。 「けっ。当たり前だろうが」  ムスッとした表情のモモタローは、 「いいから、とっとと行きやがれ」  と言い残して小屋の中に引っ込んだ。 「はいはい」  いたずらっぽく笑いながらマリは門の外に戻ってきた。 「それじゃ、行こうか」  平然と歩き始める彼女とは対照的に、ノリタとトラザエモンは同情するようなまなざしを小屋のほうへ向けてから、あわてて彼女の後を追いかけた。
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