▄︻┻┳═一   二発目     ≫【寄り道】

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   ◯ 「それじゃあお兄ちゃん、行ってくるね」  海とはここでお別れ。空いているカバンを揺らして友達(ともだち)と仲良く歩いていく。妹を見送ると、自転車にまたがり坂を一気(いっき)にくだった。俺の(かよ)う高校は少し離れたところにあるため自転車がマストだ。  (かど)()がり、(はし)を渡ると平坦(へいたん)な道になる。入学当初(とうしょ)を思い出し(なつ)かしく感じる。心がそわそわする。春というのはそれだけで明るいのに今日はなんて(にぎ)やかなんだろう。  そんな春の陽気(ようき)を感じながら先を急ごうとしたとき、ひとりの男の子が目に入った。小学校低学年(ていがくねん)くらいだろうか、地面に座り込んで泣いている。なにごとかと思い、自転車を()めて声をかけた。 「どうしたの?」 「走ってたらね、お(ひざ)をね……ぐすっ」  涙ながら事情を説明してくれた。転んで膝をすりむいたらしい。足元を見ると()(あたら)しい(くつ)が脱げて転がっていた。新学期(しんがっき)にあわせて少し大きいのを買ったのかもしれない。  俺も小さいころよく転んでいたから、昔の俺とこの子の姿を重ねてしまう。泣いている子どもを目の前に懐かしんでいるのもどうかと思うけど。  このままではかわいそうだし、応急(おうきゅう)処置(しょち)だけでもしておこうか。本当は傷口を洗ってからがいいが物がない。とりあえず軽くティッシュで拭いて絆創膏だけでも貼っておく。ないよりはマシだと思う。 「これでもう大丈夫だ。学校着いたら保健室(ほけんしつ)でちゃんと消毒(しょうどく)してもらうんだぞ」  泣き止んだ男の子はお(れい)をいうと、元気に手を振って学校へ向かった。揺れるランドセルを見ながら一件落着(いっけんらくちゃく)と満足げに息を()く。  おっと(あぶ)ない、こんなところでゆっくりしている場合じゃなかった。早く学校に行かないと新学期早々(そうそう)遅刻(ちこく)してしまう。カバンを背負い自転車に足をかけたそのとき、突然声をかけられた。 「空ちゃんじゃない、いいとこにいたわ」  それは知り合いのおばさんだった。軽く挨拶して話を聞いた。荷物を車に乗せるの手伝ってほしいとのことだった。  見た感じ重そうな段ボールがいくつもあった。(ちから)仕事(しごと)は得意ではないが(こま)っている人を放って置けない。朝から(あせ)をかいてせっせと荷物を運ぶ。  ひと仕事終えるとおばさんがお礼にとお茶をくれた。(たま)らず(かわ)いた(のど)に流し込むと生き返ったようにため息をした。おばさんはそのまま車へ乗り込み、俺は車が角を曲がるまで見送った。俺も学校へ急ごう、今ならまだ間に合う。  意気揚々(いきようよう)と走り出した俺は信号(しんごう)を渡るおじいさんの手を取り、財布(さいふ)を落とすドジなお兄さんを()いかけ、迷子の女の子を交番(こうばん)に連れていった。  あれ、なんか先に進めない……。急ぐ体に反して偶然に偶然が重なる。学校があるにも関わらずあちらこちらに困っている人がいる。それを見逃せない性格(せいかく)(あだ)となって助けてしまう。  時間はあっという間に過ぎ、(あた)りを見渡(みわた)したが制服(せいふく)を着た人はひとりもいなかった。まだ半分程度(ていど)しかきていない。急いで自転車を()いでいると、近くの学校のチャイムが聞こえた。その瞬間俺は遅刻を確信した。  制服のネクタイを緩めて汗だくになった体を冷やす。大きくため息をついた俺の足は漕ぐのをやめている。 「俺ってなんでこんな性格なんだろう。まあみんなの役に立てて嬉しいけどね」  ゆっくりと景色を眺めるように漕ぎ始めた。いつのも景色に変わりはないが、春というだけでひとまわりもふたまわりも懐かしみが大きく感じる。高校一年のときはよく道間違えてたなと思い出に(ひた)った。そしてある場所で自転車を故意(こい)に止めた。  大東橋(だいとうばし)  ここは俺が好きな場所だ。この時期になるとソメイヨシノが(くる)()き、お花見(はなみ)をする人もいる。下に流れる神田川(かんだがわ)心地(ここち)いい音色(ねいろ)を出している。  ひらひらと舞った花弁(かべん)は俺の手の(こう)に乗った。まるで桜も歓迎(かんげい)しているように葉音(はおと)を響かせる。学校に行って勉強するよりもここでお花見していたい。 “キーンコーンカーンコーン”  二回目のチャイムが鳴ってしまったらもう仕方がない。(あきら)めて学校へ行こう。自転車にまたがり、重いペダルを回しだす。諦めという優越感(ゆうえつかん)罪悪感(ざいあくかん)に心が遊ばれそう。  俺は名残惜しそうに桜を眺めているとふと人影が目に入った。  そして俺はとっさに自転車のブレーキをかけた。  着ていた制服は間違いなくうちの学校のやつ。彼女はフェンスにもたれかかって、手を伸ばし桜を眺めていた。それは表情(ひょうじょう)こそ見えないが、枝一本(いっぽん)一本(いっぽん)に話しかけるように優しく()れているのが伝わってくる。  しかしその桜は枯れ木だ。いや……微かに(つぼみ)がついている。時期(じき)に間に合わなかったのだろうか、とても寂しそうにしている。  彼女はなぜその桜の木を見ているのだろうか、なぜ学校に行かないのか、いったいだれなんだ。そうやって彼女と老いた桜の木を見ていたそのとき、突風(とっぷう)が吹いた。  堪らず目を閉じた。砂が混じり目が痛くて開けられない。  目を優しく(こす)りゆっくり開けるとそこには彼女が、“景色”があった。  彼女を包むように舞いあがる桜の花弁。  微動(びどう)だにしない彼女のなびく髪。  精霊の(たわむ)れで不規則(ふきそく)に動く桜。  まるで俺と彼女が同じ存在ではないと暗示(あんじ)しているように現実味(げんじつみ)を帯びていなかった。こんなにも心を(うば)われたのはいつぶりだろう。少し胸が苦しい。  彼女は不意(ふい)に小麦色の髪をかきあげて俺のほうを向いた。その目は()い込まれるほど綺麗(きれい)青色(あおいろ)で、つい見惚(みほ)れてしまった。  じっと見つめてくる彼女にこっちが()ずかしくなった。視線(しせん)をそらすように大慌(おおあわ)てで自転車に乗った。  頭の中にこびりつく“景色(けしき)”は鮮明(せんめい)なものだった。後ろを振り返ってみたがそこに彼女はいなかった。
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