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「空おそーい! あたしコンビニ行く余裕すらあったのに」
「さすがすみれだね。俺もう喉カラカラ……」
くたくたになりながらもひとまず自転車を停め、すみれとともに公園内に入っていく。あたり一面桜で満たされている。普段はただの公園だが、この時期は遠くから人がくるほどの賑わいを見せる。
「あ、もう屋台準備してるんだね。早いなぁもう一年経ったのか」
特に祭りというわけではないが、二週間ほどここではたこ焼きや焼き鳥などの屋台が出る。家が近所ということもあり妹を連れて毎年訪れていた。そしてさらに奥に行くと階段がある。
「空、昔ここでよく遊んでたよね。あのジャンケンするやつ。久々にやろうよ」
「いいね。手加減しないよ」
すみれは子供に戻ったように無邪気な笑顔を見せる。ローカルルール、いやふたり独自のルールで始まった遊びは俺も楽しくてしょうがない。「ジャンケンポン!」「アイコで……」と童心に帰って遊び続けた。
「やった! 今回もあたしの勝ちね。なにか奢ってよ空」
「四段飛ばしはずるいよ……ルール違反じゃないけど」
お互いかばんを持ちながらはしゃいだせいか、息があがってる。俺らもう歳だねというと、なにいってんのよと息をせはせはさせていい返された。
勝負の結果がこうなるのはなんとなく予想がついていた。やっぱりさっき買っておいてよかった。カバンの中から飲み物を取り出して、それをすみれに投げ渡す。
「わあびっくりした! ってこれあたしが好きなやつ」
「負けたからね」
やっと上まできたが疲れ過ぎて膝に手をつく。すみれは満足したのか、手を後ろで組んで嬉しそうに歩き出した。
ここは高稲荷神社。境内は小さな社殿くらいしかない。昔二度建て替えられたらしく、その建て替えを記念する石碑が並んでいる。
ここは保食命を祀ってて、食物の神様だと近所のおばさんが教えてくれた。初めてきたとき、ここの狛狐が怖くて泣いていたなぁ。今となってはいい思い出だけど。
幼いころからふたりで遊び場にしていて、近所の人には神の子とかいて神子とよばれていた。
「あーお腹すいた。早く食べようよ」
そういうとすみれは社殿の階段に腰かけた。人もこないし雨宿りもできる。猛暑の日には日陰ができ涼むことができる。ときが経つのを忘れるそこは俺らにとって竜宮城に等しい。ノスタルジックな時間の流れに心を奪われる。しみじみと浸ってるってことは、すみれよりこの場所が好きなのかもしれない。
そんなことはつゆ知らず、すみれはコンビニ弁当のフタを開けた。俺もカバンから弁当を取り出して少し遅めの昼食を取る。
「空の弁当っていつ見ても美味しそうよね。じゃあこれいっただき!」
俺の弁当から卵焼きがひと切れ消えた。俺のこだわりネギ卵焼きが……。まあこうなるのは知っていたし、すみれが唐揚げを一個くれた。そしてなにより美味しそうに頬張る姿が一番嬉しい。
「そうだ、今度海も連れてお花見しようよ。お弁当たくさん作ってくるよ」
「それ最高! じゃああたしは飲み物とか敷物準備するね」
毎年人が多く、神社のほうにも観光にくるため、いつも食べ歩きするだけだった。海が来年どこの高校に行くかわからないし、単に桜をもっと楽しみたいという理由もある。
お弁当も食べ終わり、すみれはおもむろにお菓子を食べ始める。これもいつもの光景だ。すみれは太りにくく痩せにくい体質なだといっていたが、クラスの女子が聞いたら癪に障るだけだろう。
「ちょっとまた見てるし。しょうがないなぁ。ほら口開けて」
「いや別にそんなんじゃないよ……」
「そっか、あーんされるの恥ずかしいんだ。空も思春期入っちゃった感じ?」
意識していたわけじゃないがそういわれると恥ずかしくなる。そんな俺を見てすみれが笑う。釣られてこっちまで頬が緩むじゃないか。
すると隙ありといわんばかりにすみれが口にお菓子を入れてきた。鼻歌まで歌っちゃって、よほどご機嫌なんだな。そして歌い終わったかと思うと、なにやら神妙な面持ちで下を向いている。
「ねぇ空、あ、あのさ……新学期になってクラス替えもしたじゃん。可愛い子とかいた?」
「可愛い子か、今日はそんなの見る余裕なかったな」
すみれにしては意外な言葉で、今まで告白してきた男を一刀両断するほどだったのに。俺はてっきり恋愛に興味がないのかと思っていたが、もしかして……。
「すみれ、もしかして好きな人できたの?」
「え! いや……その……あたしね空のことが……」
その瞬間、突如強い風が吹いた。桜の花びらも風の波に乗り桜吹雪になる。とても美しい光景だ。すみれの声がかき消され、俺はまた不意に例の彼女のことが脳裏に浮かぶ。
「あ、ごめん風で全然聞こえなかった。なんていったの?」
「なんでもない!」
すみれの顔は桜のように色づいていた。周りの桜のせいかもしれない。春という季節は毎年やってくる。人の春というのも必ずやってくる。それが遺伝子レベルで受け継がれた人類の生きる術だと俺は思う。すみれに好きな人がいるなら応援してあげよう。幼馴染みだから。
太陽もだいぶ傾き、俺たちは家路に着こうとしていた。
「空、今日このあと行くの? あたしも顔出して大丈夫?」
「大丈夫だよ。きっと喜ぶと思うよ」
俺は定期的にあるとこに行っている。今日は新学期も始まったしその報告に行こう。
空が朱色に染まって影が長くなる。自転車を漕ぎながら横目で自分の影を見ると、自転車の後ろに乗っていたころを思い出す。大好きな母さんの背中は暖かく安堵を覚える。
朝や昼に比べてゆっくり自転車を漕げる。そこで改めて街全体が夕暮れに染まっているのに気がついた。俺はいつからこういうものに目を向けるようになったのだろう。大人になっても忘れたくない、そう思った。
自分の感情に浸っているとあっという間に目的地についた。
“東京筑波嶺病院”
精神科や内科などの医療を中心に治療、研究している場所だ。そう、俺の母さんは統合性失調症だ。簡単にいってしまうと鬱のようなものと主治医の人にいわれた。
父さんが亡くなって体にムチ打ってまで俺らのために働いたんだ。夜ひとりになるとひっそり泣いていたのを俺は知っている。
当時どう声をかければいいかわからなかった。俺もバイトや家のことをやるだけやったが、結局母さんにはなにもしてあげれず入院する羽目になった。無力な自分がとても悔しい。
「そんな難しい顔しないで。だれが悪いとかないんだからさ」
頭では理解しているが心がついていかない。しかし情けない顔を見せるわけにもいかない。大きく深呼吸して病室のドアを開ける。
「あら、空きてくれたのね」
「もちろん、それに今日は俺だけじゃ……」
「おばさんお久しぶりです!」
すみれが元気なのはいいがここは病院。看護師さんに咳払いされ、逃げるように部屋に入る。母さんは今日も元気そうだ。すみれと久々の再会というのもあり、出会って早々賑やかな雰囲気に笑みをこぼす。
しかし食事は十分に食べていないのだろうか。服の上からでもその様子に察しがつくほど痩せていた。このままだとあの背中が虚像になってしまう。
「今日ね、私の好きなきんぴらごぼうが出たのよ」
「そうなんですか! おばさん本当にきんぴらごぼう好きですよね」
言葉を選んでくれてるすみれと母さんは会話が弾み、俺の入る余地はない。昔から家族同士の付き合いだったため、お互い気がおけない。柊木家にとって一番の理解者でもある。
こうしてみるとすみれは実の兄弟のようにも思えてくる。あんなゴリラ顔するやつでも気遣いはまさに姉のそれだ。
というかいつまできんぴらごぼうの話をするつもりなんだろう。今日はそれで終わりそうな勢いなんだけど。
「そういえば、今日始業式よね。クラスはどうだったの?」
「あ、そうそう。俺は七組ですみれも同じクラスだよ」
母さんはそれなら安心という風に手をあわせた。それから今日の出来事を話した。遅刻したこと、高稲荷神社に行ったこと、今度海も連れて花見をすること。あの“景色”については内緒にしておいた。
気がつくと時間が過ぎていて、太陽は身を隠し空にはポツポツと星が顔を見せる。そろそろ帰らないといけないので、母さんにまたくるねと伝え病室をあとにする。
「おばさん元気そうだったね。退院はいつとか聞いてる?」
「まだ詳しいことは聞かされてないけど、もうそろなんじゃないかなって俺は思ってる」
母さんのお見舞いに行くと毎回安心する。それが母親というものなのだろう。
家に帰ったら海に母さんの様子を伝えてやろう。また家族一緒に過ごせるように、今は長男の俺が頑張らないといけない。俺は拳を強く握った。
おそらく家では海がご飯の準備をしているだろう。あまり待たせると怒られるし、すみれを送り届けたら急いで帰ろう。二軒隣の柊木家に。
「空、置いてっちゃうぞー」
「今行くよ」
空に浮かぶ北極星を目印に家路につく。
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