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桜の咲く季節に浮きたつのは植物だけじゃない。
俺はしっかりと覚えている。大人になってもきっと忘れないだろう。
私はしっかりと覚えていたい。大人になっても忘れたくない。
高校の春、あれは確かに運命的な出会いだった。
桜の花びらを身にまとい、暖かな太陽に照らされている彼女のこと。
血でまみれた冷たい私に、桜を愛でるように手を伸ばしてくれた彼のこと。
それは超えてはいけない境界線。普段関わることがなく、耳にすらしない。神様はそれを因果や摂理といって均衡を保つ。そんなことはいわれなくてもわかっている。しかしそれでも諦めきれない。諦めてはいけない。
俺は
私は
もう一度あの“景色”を——
* * *
光り輝く都心から少し離れたところ。闇に包まれたそこは潮の香りが感じられ、明かりは少なく、手元を見るのでやっとだった。そこにはまだ工事中のビルがあり、中はガレキが散乱している。解体作業中らしく、とても粉っぽい。
深夜にこんな場所に忍び込むのはヤンチャな子どもか“危ない大人”くらいだろう。ゆえに人の気配はなく殺風景だった。
金髪で青い目の私は一度見られれば印象にも残る。髪を束ねて帽子をかぶり、黒い服で目立たないようにしている。
整備途中のエレベーターは電源が落とされていて使えそうにない。荷物を持って階段をあがるのは骨が折れるが致し方ない。
下見の段階ですでに目星はついている。目指すは六階、そこには資材やゴミを出し入れするための場所があり、建設用のシートや足場が邪魔にならない。
ひとつふたつと階段をのぼっていく。空虚な空間に響くのは足音でも人の息でもなく、夜風にさらされた潮の音のみ。大自然様は意図していないだろうが、私を隠してくれる。
六階につき、ぱふぱふと粉をふみながらポイントにいく。足跡にあわせて紫陽花が咲いては朽ちて咲いては朽ちてを繰り返す。それが私の象徴だというのなら、あながち間違いではないのかもしれない。月明かりに照らされた小さく深い自分の影は“いびつ”な形をしていた。
「同じだな」
大きな窓が今日のポイント。すぐに準備をする。
肩にかけていたケースを床においてジッパーを開ける。
“カチャ”
幾度となく繰り返された動き。こいつを組み立てるのはもう体に染みついていて、半ば無意識におこなっている。月の光も届かない壁の裏で、まるで子どもがおもちゃで遊んでいるようなガジェットの音がする。
ものの数分で準備は完了し、私と相棒の姿は月にばれてしまう。冷徹で重々しい形状の筒、ボルトアクション式にしては珍しいストレートストック、銃身は銃床と接触しないためのフリーフローティング構造。そう、AWM—L115A1が私の相棒だ。
スコープをのぞきターゲットを確認する。優雅にタバコを吸ってふかしている。最期の慈悲として吸い終わるまで待ってやってもいいが、私は存外優しくない。
風向は南南西、風速三メートル。ターゲットまでの距離、六〇〇ヤード。
まばたきをするようにスコープのつまみを調整し、呼吸と同時にボルトハンドルを引く。そしてトリガーに指を添えるとスコープに反射する目が次第に赤みを帯びる。
「さよなら」
“カランッ”
重い轟音に続いて床に響く薬莢の音。二、三度はねてズルズルっと止まった。銃声はいまだにビル内をこだましている。
「こちらリリィ、任務完了」
人は私を“青いガーネット”とよぶ。
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