episode.1 あじさいに抱かれて

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episode.1 あじさいに抱かれて

 雨を見上げる。放射状にひろがりながら向ってくる透明な雫。頬に落ち、鼻に落ち、唇に落ちる。瞳に。思わず目を閉じる。空を覆う灰色の雲は、それでも朝の光をおぼろげに透かし、閉じたまぶたを乳白色に透かす。湿った土の匂いが鼻腔深くへしみこんでいく。  ふと翳る。 「いたいた、こんなところに」  あじさいの花の上から聞こえてきた声に、きさらぎは眉をひそめた。目を開く。雨に濡れる花の青はいっそう鮮やかだ。 「だめだよ、こんなところに寝たりしちゃ」    庭の東のあじさいの茂みに抱かれるようにきさらぎは横たわっていた。貴臣は隣りにしゃがみこみ、傘を差し掛け、呆れたように顔を傾ける。きさらぎは手を突っ張ってしかたなくからだを起こす。 「あぁあ。髪も服も泥だらけだよ。ほら立って」  きさらぎの両肩を掴んで立たせた貴臣は、そのまま後ろを向かせ、背中や腰まで伸びた長い髪についた泥を点検する。水色のルームウエアが肩からショートパンツの裾まで泥だらけだった。太陽の下に滅多に出ないため青白い脚は、少年のように細く、長い。膝裏のくぼみが痛々しいほど深い。はだしだった。 「昔さ、犬飼ってたんだよね。アフガンハウンドっていうの。知ってる? 毛のながい奴なんだけど」  きさらぎはうるさそうに首を振り、自分の髪をぐちゃぐちゃにかきまぜた。 「ほっとくと毛玉とかできちゃうの。だから結構まめにシャンプーしたんだ。毛が長いから乾かすのがすごく大変なんだけど、でもそのおかげであの子はほとんど犬臭くなかった」  雨にぬれたきさらぎの頬を、貴臣は親指の腹で拭う。 「十八歳の人間の女の子が犬より犬臭いってどうかと思うな。いつから頭洗ってないの」  きさらぎは顔を伏せ、肘をまわして、その手を払った。 「ほら。泥でますます犬臭くなっちゃってる。朝ごはんの前にシャワー浴びなよ」  さらに思い切り首を振った。雫の掛かった貴臣がわぉと芝居がかった声をあげる。知らぬフリをしてきさらぎは大股ではなれに向う。
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