episode.1 あじさいに抱かれて

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 どうして泥を汚いなんて思うんだろう。  土や枯れ葉、木の根っこ、昆虫たちの糞や死骸、堆積した柔らかいこれらに空からの雨がまんべんなく浸透し、しっとりと濡れている、この泥ほど清らかなものはないのに。泥に混じり、泥にもぐり、安らかに眠りたい、むしろ泥になりたい。  そういうの、分からないのかな。  そう、分からないのだこの人は。それは知ってる。  この人のそういう通俗的なところがお姉ちゃんは気に入っている。泥は汚い、雨は鬱陶しい、君たち姉妹はちょっと普通じゃない。そう思う貴臣が一緒だからこそ自分たちはこんなばかでかい屋敷でつつがなく生活することができる。税金を払い、光熱費を払い、必要最低限の近所づきあいをこなし、簡単な電化製品の故障を直す。週三回やってくる家政婦に的確な指示を与え、こざっぱりとした室内環境を整える。毎日風呂に入るようにきさらぎに指図する。すべて貴臣の仕事だ。 「服はすぐに脱いで。そのまま部屋の中歩き回っちゃだめだよ。ちゃんとシャワー浴びて、髪洗って、よく乾かしてからおいで。脱いだ服は全部持ってくること。すぐに洗濯するから」  背後で貴臣が言う。例えばまとわりつく夏の虫だと思ってみる。ちょっとうっとうしい。けど、ほっとく。ほっとけばそのうちいなくなる。返事もせず、ふんと鼻をならし、きさらぎは部屋へと上がった。それでも言われたとおりすぐに裸になり、そなえつけのシャワールームで髪も全身も洗う。タオルドライしたあとドライヤーで念入りに髪を乾かした。温かい湿気とシャンプーのミントの匂い。これはこれで悪くない。きさらぎが部屋として使っているはなれに鏡はない。必要としなかった。乾ききって、乱れきった髪を手櫛で梳いて、脱いだ服を抱え母屋へ向った。  洗濯室へ汚れた服を放り込んでからダイニングへと入る。
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