episode.1 あじさいに抱かれて

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「きぃちゃん、お庭で寝てたんですって? だめよ。風邪引いちゃうじゃない」  野菜サラダのボウルをダイニングテーブルに置きながらやよいが言った。  椅子を引きながらきさらぎはうんとつぶやく。やよいはにっこりと微笑みかけた。朝食の席につくきさらぎに、やよいは毎朝そんなふうに笑いかける。よく来てくれたわね、と。  二年前、きさらぎははなれに閉じこもった。思い悩んだやよいが体調を崩し、案じてこの家にやってきた貴臣に諭され、半ば強引に部屋から引っ張り出された。そしてこのダイニングの大きなテーブルの一番隅の椅子に座ったとき、やよいは心から感激しているというように微笑んで、言ったのだ。  よく来てくれたわね、と。  そして泣いた。  それからしばらく経った今でも、やよいは同じように微笑む。  きさらぎよりも八歳年上のやよいは、妹のきさらぎでさえ息を呑むほどに美しい。朝の日の光に溢れたダイニングできさらぎに向かい、目を細め、ふっくらとしたローズピンクの唇を弓形に曲げて微笑む、繊細な青磁器のようなつややかな肌のその顔を、きさらぎは真正面から見ることができなかった。ただ、もう二度と自分のせいでその目に涙を浮かべさせてはいけないと思う。強迫的に思う。だから毎日必ず三度、食事のために母屋のダイニングへ足を運ぶのだ。  きさらぎが椅子に座ると貴臣がやよいときさらぎのグラスにミネラルウォーターを、自分のカップにはコーヒーを注いだ。やよいが皿を並べ、フォークとスプーンを配る。ふたりの朝のルーティンワークだ。きさらぎは手際の良いふたりの連携作業が終わるのをじっと待つ。  最後にやよいがキッチンからかごに載せた焼きたてのパンを運んでくる。やよいはパンを焼くのが得意だ。毎朝、きさらぎと貴臣のために早く起きてパンを焼く。ふたりがそのあつあつのパンを手に取り、ちぎり、白い湯気を立てるのを幸せそうな笑みを浮かべ見つめるのだ。 「さぁ、いただきましょう」  パンのかごをテーブルの真ん中に置いて、やよいは言った。  きさらぎもやよいの焼いたパンは大好きだった。  しかし何かが違う。  胸を圧す。
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