第2部 3 高木瑠香

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 由美は編集部に戻ると、いつも通りデスクに置かれた郵便物に目を通す。  封筒と封筒に挟まれた一枚の葉書。裏面を見る。 “お手紙ありがとうございました。今度、面会にいらしてください”  差出人の名前は、“高木瑠香”だった。  驚きと戸惑い――どうして今なのか。  とはいえ、これで会えないという心配もなく面会に行くことができる。  編集部を出た由美は、書籍の原稿を書くため、近くのカフェに入る。  書き始める前にメールをチェックする。珍しく英文のメールが届いていた。  本文を読む。差出人は、フランスのテレビ局のディレクターを名乗る人物からで、「現在企画している佐伯玲のドキュメンタリー番組の制作に協力してほしい」という内容だった。  そのまま返信のメールを開き、“申し訳ないが、協力はできない”と返す。  送信後、別のメールをチェックしていると、すぐに返事が来る。 “協力の件については確認した。その代わり、もし知っていたら教えて欲しいのだが、佐伯玲が精神疾患を抱えていたというのは本当か?”  初耳だった。どのような取材ルートで辿り着いた情報なのか気になったが、はっきりとした身元のわからない人間に尋ねることは憚られた。 “その話は初めて聞いた。なので詳細はよくわからないが、私としてはその可能性は極めて低いと思う”と書いて、送信する。  それ以外のメールにも全て目を通した所で、コーヒーを飲みながら、先程のメールについて考える。 「時期について言及していなかったが、いつ頃のことだろうか」 「こちらに尋ねるということは、確たる情報を掴んでいるのか」  たしかに玲には常人離れしたところがあった。けれども、その要素は、芸術家としてなら、不思議なことではない。  以前インタビューした映画音楽の作曲家は、劇伴作品と自作品の違いについて、「劇伴作品は杖みたいなものです。自作品は(あし)ですね」と答えた。  こちらが解説を求めても、作曲家はそれ以上答えてくれなかった。  こういった発言が許されるのは、芸術家だけだ。政治家では許されない。  適切であるか否か、ふさわしいかふさわしくないか――玲の政治家としての失敗は、その基準を把握していなかったことにある、と由美は考えていた。  玲は玲のまま生きていた。けれども、それは舞踊家としてはふさわしかったが、政治家としてはふさわしくなかった。  そして、刺される直前、高木瑠香を抱きしめキスをした。それは玲としては自然なことだったのかもしれない。けれども、彼女を同性愛者(レズビアン)と見る人がいるのも当然で、その瞬間、彼女は政治家である前に、そういう人間として、社会から見なされる。  現在の精神疾患基準では、同性愛が治療対象でないことは広く知られている。ならば、先程のメールの内容はこの件ではない。  それ以上は、考えても仕方のないことだった。  由美は、ファイルを開き、最終章の原稿を書き進めていく。  結局、彼女達の行動は何であったか。  一連の事件が起こった時、メディアは彼女達の行動を「女性の反抗」「女性の反撃」といった文脈で語った。  だが、ここまで見てきたとおり、彼女達の行動は「駄々」と呼ぶにふさわしいものであった。それは否定することでしか自らを肯定できない、孤立の駄々だ。  しかし、歴史を振り返ると、あらゆる変化は既存の価値観から見ると「駄々」にしか映らないような小さな抵抗から始まっている。かつて――  何時間も原稿を書き続けてから、顔を上げる。  既に日は暮れ、街灯が点いている。  由美は、店員を呼び、コーヒーのおかわりとオムレツを頼む。  注文を待つ間、再び窓の外を眺める。  人々は、みな急ぎ足で通りを歩いていく。  地下鉄の入り口の前で女性が携帯電話を見ながら立っていた。  おそらく待ち合わせだろう。時計を見ながら、何度も周囲を見まわし、相手が現れるのを待っている。  彼女は迷っていない。彼女には目的がある。今の彼女は孤独ではない。けれども、いつ人が孤独になるかなんて誰にもわからない。このまま待ち合わせの人物が現れなかったら、彼女は孤独なのか。そうなると、彼女は、友人に電話を入れ、愚痴を聞いてもらうことで、孤独から脱しようとするかもしれない。もしくは、明日、職場の同僚に話すことで――そんな考えを巡らせながら、彼女の挙動を追う。  女性が握りしめていた携帯電話を耳に当て、笑顔を浮かべながら離れて行く。  届いたオムレツにナイフを入れる。半熟の卵がこぼれ、プレートにゆっくりと拡がっていく。あたたかい卵の(かお)りが、鼻をくすぐる。フォークに刺した一片を口に入れた瞬間、由美は先程の女性のことなど忘れた。
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