第2部 3 高木瑠香

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 翌日、由美は東京拘置所の面会室で、高木瑠香が現れるのを待っていた。  想像していたよりも落ち着いていた。  ドアが開き、高木瑠香が入ってくる。  Tシャツにジャージ姿の彼女は、「こんにちは」と挨拶して、椅子に座る。 「週刊プレスの中川佳織です。よろしくお願いします」  由美が頭を下げる。 「こちらこそ。何でも聞いてください」  気さくな笑み。何も知らなければ、中学生と紹介されても信じてしまうくらい、あどけなさが残る。  目が合う。輝きと倦怠の交じった香水のような瞳。 「どうかされました?」  よほどまじまじと見てしまったのか、声を掛けられる。 「いえ、では早速。どうして急に会っていただけることに?」 「なんとなくです」  拍子抜けする答えだった。 「なんとなく、ですか?」 「はい」  高木瑠香がニコッと笑う。 「では、懲役十三年という判決については、どう思ってますか?」 「まあそんなところでしょう、という感じです」  先程とは一変して、醒めた様子だった。その雰囲気は、面会室を萎縮させ、一回り狭くなったように感じさせる。 「もう少し具体的にお話いただけますか?」 「そのままの意味ですよ」 「それは納得されているということですか? もし、そうなら、なぜ即日控訴されたのかお伺いしたいのですが」 「納得と行動は別に一致しなくてもいいのでは?」  感情のない口調。 「『そんなところでしょう』と思うことと、『それが正しい』と認めることは全く違うことなので、控訴したんじゃないでしょうか」 「まるで他人事のようにお話になりますね」 「そんなことはありません。事実、私は佐伯玲さんという一人の女性を殺したために、今ここにいると認識しています」 「では、罪の意識はあると?」 「ありません」 「ないんですか?」 「罪と罰が一緒とは思っていない、ということです。罪と報酬、罪と称賛が結びついても構いませんし、罪と喜びが一緒でも良いと思ってます」 「おっしゃっている意味がよくわからないのですが」 「そうですか?」  高木瑠香は首を傾げる。 「社会と個人の違いですか?」 「私は社会的には犯罪者ですが、個人としてはそんなに悪くないと思っています」  由美は会話を止める。  歪んだ鏡のような言葉に困惑するしかない。  高木瑠香の瞳は、変わらず妖しげな輝きを放っている。  由美はノートに目線を落とし、会話の糸口を探る。  だが、そこに書かれた質問は、高木瑠香の吐息で糸くずのように飛ばされていた。 「一人の人間を殺しておきながら、『そんなに悪くない』というのはどういうことですか?」  何とか絞り出した言葉は、佐伯由美としての言葉でもあった。 「覚悟してましたから。そして、その結果、今のような状況になることも想像してました。ですので、今私がここにいるのは当然で、懲役も罰とは考えていません」 「そんなに重大なことではないと?」 「いいえ。誰かを殺すとは、その人の過去と現在、そして未来の全てを断ち切るという意思を持つことですから」 「そこまで考えているのであればどうして?」 「殺さなければならなかったからです」  高木瑠香は即座に答える。 「理由は?」 「わかりません」 「『わからないけど、殺さなければならなかった』というのは矛盾してませんか?」 「どうしてですか?」  言葉を失う。何なんだこの女は。  とてつもなく冷静で、狂ってる。 「矛盾しているという理由を説明していただけますか?」  高木瑠香が訊ねる。 「社会的ルールとして――」 「そんなことはわかってます」  高木瑠香が遮る。  「なんとなく仰りたいことはわかりますが、うまく説明できないのです」 「ですが、状況から考えると、決して衝動的なものではありませんよね?」 「その口ぶりは、まるで『計画性があったら衝動的ではない』『衝動的であったら計画性がない』という感じですね。裁判でも、私の計画性について検察の方が主張されていましたが、それってそんなに重要ですか?」 「重要かどうかはともかく、一つずつ整理していかないと、裁判は先に進みませんから」 「先に進んでどうするのですか?」 「刑罰が決まります」 「整理しないと刑罰は決められませんか?」 「と言いますと?」  由美が聞き返す。 「『よくわからないけど殺さなければならなかった』という理由で、刑罰を決めることはできると思うのですが?」 「遺族がその言葉を聞いて納得すると思いますか?」 「だから、納得してどうするのですか? 納得して何が変わるんですか?」 「それはあなたが口にする言葉ではありません」 「はい。だから、裁判でも何も話しませんでした」  互いに見つめ合う。  高木瑠香の瞳は深遠だった。何も語らず、全てを見透すような。 「時間です」  書記官の言葉に、高木瑠香が立ち上がる。 「今日はありがとうございました。また来ていいですか?」  由美が声を掛けたが、高木瑠香は無視して出て行った。  手続きを終え、拘置所の外に出た途端、喉の渇きを覚える。  近くの自動販売機で紅茶のペットボトルを買い、一口飲んでから面会を振り返る。  このままでは記事にならないことは明白だった。何を書こうにも、高木瑠香の覚悟の仮面に阻まれてしまう。  瞳は惹きつけてやまない無関心の輝きを放ち、口からは彫刻のような言葉を発す。  駅に向かって歩きながら、由美は、彼女の雰囲気が玲に似ていると感じた。  まばたきする度に感情が変化する瞳。玲の全てを貫くような眼差しとは真逆の、全てを呑みこむような眼差し。  そして、怖れるものなど何もないという態度。自らの論理と行動の結果、他者を裁くような振る舞い。  由美は、次の面会までにしなければならないことを考える。彼女の調子を変えるような質問を準備するために、何をすればいいか。  秘密――高木瑠香にそのような秘密があるのか。  これまでもずっと高木瑠香に関する記事には目を通してきたし、記者が知り合いの場合には、個別に連絡を入れて話を聞いてきた。  生まれは、富山県の山間部。絵本作家の父とフルート奏者の母。6歳の時に交通事故で両親を亡くした後、子どものいなかった叔父叔母夫婦の家に引き取られるが、翌年には叔母を癌で、17の時に叔父を心臓麻痺で亡くし、天涯孤独の身となる。  高校を中退した彼女は、年齢を偽り富山市内の出張型風俗店で働き始めるも、3ヶ月後に退職。その半年後、18歳になると同時に上京し、月野ルカの名前でAV女優としての活動を始める。  彼女の東京での生活は極めて質素なもので、築30年の1Kのアパートから撮影現場に通う日々。撮影のない日は、アパートから一歩も出ることはなかった。引退後もその生活は変わらず、ある日突然の犯行。  掘り下げていくにしても、彼女のことをよく知るという親しい人物の影がほとんどなく、何より高木瑠香本人に協力する意思が全くない。  泥の中を潜っているようだった。だが、週刊誌記者とは、元々そういう仕事であった。  泥から砂金を探す――これこそが週刊誌記者の醍醐味だ。  由美は改めて、秘密について考える。  頭に浮かんだのは、昨日受け取ったメールのことだ。  玲の精神疾患について――どちらであっても、事実を確かめなければならない。  駅に着き、自動改札にPASMOをかざす。  タッチが浅かったのか、改札は開かず、由美は警告音と共に止められる。  後ろに下がり、もう一度タッチする。しっかりと開いた改札を抜け、ホームに進む。
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