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翌日、由美は東京拘置所の面会室で、高木瑠香が現れるのを待っていた。
想像していたよりも落ち着いていた。
ドアが開き、高木瑠香が入ってくる。
Tシャツにジャージ姿の彼女は、「こんにちは」と挨拶して、椅子に座る。
「週刊プレスの中川佳織です。よろしくお願いします」
由美が頭を下げる。
「こちらこそ。何でも聞いてください」
気さくな笑み。何も知らなければ、中学生と紹介されても信じてしまうくらい、あどけなさが残る。
目が合う。輝きと倦怠の交じった香水のような瞳。
「どうかされました?」
よほどまじまじと見てしまったのか、声を掛けられる。
「いえ、では早速。どうして急に会っていただけることに?」
「なんとなくです」
拍子抜けする答えだった。
「なんとなく、ですか?」
「はい」
高木瑠香がニコッと笑う。
「では、懲役十三年という判決については、どう思ってますか?」
「まあそんなところでしょう、という感じです」
先程とは一変して、醒めた様子だった。その雰囲気は、面会室を萎縮させ、一回り狭くなったように感じさせる。
「もう少し具体的にお話いただけますか?」
「そのままの意味ですよ」
「それは納得されているということですか? もし、そうなら、なぜ即日控訴されたのかお伺いしたいのですが」
「納得と行動は別に一致しなくてもいいのでは?」
感情のない口調。
「『そんなところでしょう』と思うことと、『それが正しい』と認めることは全く違うことなので、控訴したんじゃないでしょうか」
「まるで他人事のようにお話になりますね」
「そんなことはありません。事実、私は佐伯玲さんという一人の女性を殺したために、今ここにいると認識しています」
「では、罪の意識はあると?」
「ありません」
「ないんですか?」
「罪と罰が一緒とは思っていない、ということです。罪と報酬、罪と称賛が結びついても構いませんし、罪と喜びが一緒でも良いと思ってます」
「おっしゃっている意味がよくわからないのですが」
「そうですか?」
高木瑠香は首を傾げる。
「社会と個人の違いですか?」
「私は社会的には犯罪者ですが、個人としてはそんなに悪くないと思っています」
由美は会話を止める。
歪んだ鏡のような言葉に困惑するしかない。
高木瑠香の瞳は、変わらず妖しげな輝きを放っている。
由美はノートに目線を落とし、会話の糸口を探る。
だが、そこに書かれた質問は、高木瑠香の吐息で糸くずのように飛ばされていた。
「一人の人間を殺しておきながら、『そんなに悪くない』というのはどういうことですか?」
何とか絞り出した言葉は、佐伯由美としての言葉でもあった。
「覚悟してましたから。そして、その結果、今のような状況になることも想像してました。ですので、今私がここにいるのは当然で、懲役も罰とは考えていません」
「そんなに重大なことではないと?」
「いいえ。誰かを殺すとは、その人の過去と現在、そして未来の全てを断ち切るという意思を持つことですから」
「そこまで考えているのであればどうして?」
「殺さなければならなかったからです」
高木瑠香は即座に答える。
「理由は?」
「わかりません」
「『わからないけど、殺さなければならなかった』というのは矛盾してませんか?」
「どうしてですか?」
言葉を失う。何なんだこの女は。
とてつもなく冷静で、狂ってる。
「矛盾しているという理由を説明していただけますか?」
高木瑠香が訊ねる。
「社会的ルールとして――」
「そんなことはわかってます」
高木瑠香が遮る。
「なんとなく仰りたいことはわかりますが、うまく説明できないのです」
「ですが、状況から考えると、決して衝動的なものではありませんよね?」
「その口ぶりは、まるで『計画性があったら衝動的ではない』『衝動的であったら計画性がない』という感じですね。裁判でも、私の計画性について検察の方が主張されていましたが、それってそんなに重要ですか?」
「重要かどうかはともかく、一つずつ整理していかないと、裁判は先に進みませんから」
「先に進んでどうするのですか?」
「刑罰が決まります」
「整理しないと刑罰は決められませんか?」
「と言いますと?」
由美が聞き返す。
「『よくわからないけど殺さなければならなかった』という理由で、刑罰を決めることはできると思うのですが?」
「遺族がその言葉を聞いて納得すると思いますか?」
「だから、納得してどうするのですか? 納得して何が変わるんですか?」
「それはあなたが口にする言葉ではありません」
「はい。だから、裁判でも何も話しませんでした」
互いに見つめ合う。
高木瑠香の瞳は深遠だった。何も語らず、全てを見透すような。
「時間です」
書記官の言葉に、高木瑠香が立ち上がる。
「今日はありがとうございました。また来ていいですか?」
由美が声を掛けたが、高木瑠香は無視して出て行った。
手続きを終え、拘置所の外に出た途端、喉の渇きを覚える。
近くの自動販売機で紅茶のペットボトルを買い、一口飲んでから面会を振り返る。
このままでは記事にならないことは明白だった。何を書こうにも、高木瑠香の覚悟の仮面に阻まれてしまう。
瞳は惹きつけてやまない無関心の輝きを放ち、口からは彫刻のような言葉を発す。
駅に向かって歩きながら、由美は、彼女の雰囲気が玲に似ていると感じた。
まばたきする度に感情が変化する瞳。玲の全てを貫くような眼差しとは真逆の、全てを呑みこむような眼差し。
そして、怖れるものなど何もないという態度。自らの論理と行動の結果、他者を裁くような振る舞い。
由美は、次の面会までにしなければならないことを考える。彼女の調子を変えるような質問を準備するために、何をすればいいか。
秘密――高木瑠香にそのような秘密があるのか。
これまでもずっと高木瑠香に関する記事には目を通してきたし、記者が知り合いの場合には、個別に連絡を入れて話を聞いてきた。
生まれは、富山県の山間部。絵本作家の父とフルート奏者の母。6歳の時に交通事故で両親を亡くした後、子どものいなかった叔父叔母夫婦の家に引き取られるが、翌年には叔母を癌で、17の時に叔父を心臓麻痺で亡くし、天涯孤独の身となる。
高校を中退した彼女は、年齢を偽り富山市内の出張型風俗店で働き始めるも、3ヶ月後に退職。その半年後、18歳になると同時に上京し、月野ルカの名前でAV女優としての活動を始める。
彼女の東京での生活は極めて質素なもので、築30年の1Kのアパートから撮影現場に通う日々。撮影のない日は、アパートから一歩も出ることはなかった。引退後もその生活は変わらず、ある日突然の犯行。
掘り下げていくにしても、彼女のことをよく知るという親しい人物の影がほとんどなく、何より高木瑠香本人に協力する意思が全くない。
泥の中を潜っているようだった。だが、週刊誌記者とは、元々そういう仕事であった。
泥から砂金を探す――これこそが週刊誌記者の醍醐味だ。
由美は改めて、秘密について考える。
頭に浮かんだのは、昨日受け取ったメールのことだ。
玲の精神疾患について――どちらであっても、事実を確かめなければならない。
駅に着き、自動改札にPASMOをかざす。
タッチが浅かったのか、改札は開かず、由美は警告音と共に止められる。
後ろに下がり、もう一度タッチする。しっかりと開いた改札を抜け、ホームに進む。
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