第2部 5 呪い

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 その日の午後、電話をかけてきた金子に誘われ、由美は少し遅めのランチを食べるため会社を出た。 「何か食べたいものありますか?」という問いに、「カレー」と答えた由美を、金子は少し歩いた所にあるカレー専門店に連れて行く。  ポップスの流れる店内で、席についた金子は、今朝の報道を受け、幾つかの取材がキャンセルになったことを知らせる。  由美は表情を変えることなく、その話を受けとめた。 「これでこの話は終わり」と説明した金子は早速、付け合わせのサラダについてきたふかしたじゃがいもの皮もむき、マヨネーズをつけて口に運ぶ。  由美も金子に倣ってじゃがいもにかぶりつく。熱々の芋が口の中でほどける。絶妙な塩加減のじゃがいもとマヨネーズが、この後に来るカレーに向けて、胃腸を目覚めさせる。  カレーが運ばれてくる。  待ってましたと言わんばかりに、金子はすぐさま手をつける。  由美も普段より増した食欲で、スプーンを口に運び続ける。  二人とも一言も発さず食べ終える。  由美より少しだけ先に食べ終わった金子は、ハンカチで汗を拭ってから、 「昔、記者だった頃、富沢さんに誘われて、この店に来たことがあるんです」と口を開く。 「その時、自分は特に話すことがなくて、ちょうどその前に書いた記事の話をしました。そしたら、富沢さんが顔を上げて、『記事より、今の話の方が面白いな』って言って、『金子は文章力こそあと一歩だが、着眼点に関してはなかなかのものを持ってる。どちらかと言えば編集向きかもな』と言ってくれました」  由美は何も言わずに金子を見る。 「自分でも少し前から気づいてました。自分には、記者に求められる貪欲さのようなものが足りないんじゃないかって。そんな時、記者として目標にしていた富沢さんに言われ、踏ん切りがつきました」 「それで編集に?」 「はい。その場で富沢さんに相談したら、富沢さんからも人事に掛け合ってくれて」 「よかったですね」 「それで、自分が言いたかったのは、『あの人の言葉なら信頼しても大丈夫』ってことです」  由美は頷く。 「色々言いましたが、今回の本は、自分には絶対に書くことのできない一冊です。だから、世間が何と言おうが、きっと届くと思います」  由美は、金子の激励を素直に受け取ることはできなかった。  行為自体は、とてもありがたく思っている。その一方で、周囲から見た時に、励ました方がいい状況にあるという現実を露わにした。  それでも、由美は「ありがとうございます」とできるだけの笑顔で頭を下げた。
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