第2部 6 おしまい

3/4
前へ
/95ページ
次へ
 中川佳織(本名・佐伯由美)は、1986年7月、民貴党所属の国会議員だった佐伯和昌氏の次女として生を受けた。彼女の姉は、世界的なモデルとして活躍後、衆議院議員となり、昨年街頭演説中に刺殺された佐伯玲である。  中川佳織は、地元の公立中学校を卒業後、都内でも屈指の名門女子高に進学するが、当時から浮いた存在だった。 「ちょっとお高くとまった、周囲を見下してる感じでした。特に友人と呼べる子もいなくて、孤立してました。付属の大学には進学せず、外部の大学を受験したのも、居場所がなかったからじゃないですか」(高校時代のクラスメイトAさん) 「同窓会にも来ませんでしたし、やっぱり後ろめたいんだと思いますよ。最近、一緒に食事する機会がありましたけど、全然変わってませんでした。久しぶりに会ったにも関わらず、『忙しいから』と言って30分くらいで帰っちゃいました」(高校時代のクラスメイトBさん)  高校卒業後は、都内の私立大学に進学。そこで先述のTomoと出会い、二人は交際を開始する。就職活動時に、父である和昌氏と約束していた「官僚になる」という約束を反故にし、潮談館に入社。『週刊プレス』編集部に配属となる。  その後、現在に至るまで同誌の記者として活動しているが、以前から彼女の取材方法には、問題が多かった。 「記事を見て驚きました。私が取材で話した内容も、趣旨にそぐわないものはことごとくカットされてました」(かつて取材を受けたCさん) 「女子記者と呼ばれる人達もせいぜいこの程度なんだなって。取材者の言葉を切り取って、自分の考えを文章にするだけなら記者じゃなくてもできますよね。だからこそ、そういった言説を望む人にとっては説得力があるように感じられるんじゃないですか」(かつて取材を受けたDさん)  現在、政界復帰を目論む佐伯和昌氏のアドバイザーを務める彼女だが、以前から支持者の中には、「(和昌氏の代わりに)中川佳織を出馬させた方がいいのでは?」という話もあり、本人も前向きに捉えていた。  だが、今回の騒動で、中川佳織の野心も煙となって消えてしまったようだ。  由美は絶望的な気持ちで顔を上げる。  かつて取材を受けたと称す人物達と同じ言葉を口にしたかった。  この記事を書いた記者は、まともな取材をしていない。その上で、取材者の言葉から、趣旨にそぐわない内容をカットして、そういった言説を望む人にとって説得力があるような文章にしている。  久々に会った友人に幻滅して、早々に席を辞したことの何が悪いのか。  取材内容と記事の違いに不満を持つ人間もいるだろう。けれども、由美は一人だけに話を聞いているわけではないし、複数人に話を聞いた上で、限られた誌面で伝えるため、情報を取捨選択しなければならない。  もうおしまいかな。二度と本を書くこともないだろう。記者を続けていくにせよ、今後私の取材を受けてくれる人がいるのか。  暗い連想が数珠となり、由美の茫漠(ぼうばく)とした不安を引きずり出す。  こうなると、もはや記者という仕事は成立しなくなる。  仕事にならないなら異動願いでも出すか?  いや、異動しようが、会社を辞めて別の仕事に就こうが、私が佐伯和昌の娘である限り、厄介事が起きれば、すぐに()われることになる。  結婚は?――ないない。  共働きを選んでも、事ある毎に「キャリアと家庭のどちらを優先するのか?」と問われ、「わざわざ男女平等を訴えて、こちらの世界に立ち入ってきたのだから当然だろ?」とする自己責任論を唱えられる。  何かあれば、家庭のことを(あげつら)い、「旦那や子どもが可哀相だ」と吹聴する。かといって、一度(ひとたび)家庭に押し込められた女性は、経済的な面から極端に弱い立場となる。  取材を通じてそんな女性をたくさん見てきた。 「一体自分はどうなるのか?」  そう考えた自分を叱責する。由美はこの言葉が嫌いだった。 「」  まだ記者の仕事を続けたい――なら、腹は決まった。由美はページを閉じると、シャワーを浴びるため、浴室に向かう。
/95ページ

最初のコメントを投稿しよう!

31人が本棚に入れています
本棚に追加