第2部 7 残酷な幸福

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第2部 7 残酷な幸福

 翌朝、由美の体調はすぐれなかった。  浅い眠りから目覚め、真っ先に感じたのは、身体のだるさだった。  体温計で熱を測る。37.6℃。  由美はシャワーを浴びながら、壁にもたれかかる。  昨晩ベッドに入った時は、身体の異変を感じなかったが、今朝になったらこれだ。 「最悪」  由美は自己嫌悪で一杯になる。  それでも、なんとか仕事に行く準備をして、マンションを出る。  編集部に向かう途中で平井から電話が入る。 ――町田の住宅街で、母親を殺した中年男性が警察署に出頭してきたみたいだから行ってくれるか  由美は新宿駅で途中下車し、小田急線に乗り換える。現場の最寄駅で降り、タクシーで現場に向かう。  既に報道陣が集まり始めていた。  緊張する。記者になったばかりの頃、事件現場に感じていた緊張とは別の緊張だ。  雑談を交わしていた記者の一人が、由美に気づき、驚きの表情を浮かべる。その波はすぐに報道陣全体に拡がり、現場は一瞬無言になる。 『週刊新知』の田渕を見つける。 「田渕くん、こんにちは」 「おう。珍しい」  田渕も応じるが、その声はこの前の電話と違って、よそよそしい。 「約束通り会いに来てあげたよ」 「ああ、そうだったな」 「で、どんな感じなの?」  現時点でわかっている事件のあらましを聞く。  概ね由美の想像通りだった。  息子と見られる人物は、ここ数年ずっとひきこもり生活をしており、ほとんど外に出てなかった。最近見かけたという近隣住民に話を聞く。 「小さい時は、明るくて元気な子でした。大学卒業後は、茨城の方で働いてると聞いてましたが、いつの間にか実家に戻ってたみたいです。最近って言っても、半年位前ですかね、ぶくぶくと太った姿に最初は気づきませんでした。なんでしょう、無職のニオイみたいなものがあって、それが私の知る息子さんとは繋がらなかったんですよ」  記事にするかどうかの判断は由美に任されていたが、売れない事件だと思った。  今晩のニュース番組で90秒取り上げれば終わりだろう。  ステレオタイプの事件――そんな雰囲気が、集まっていた報道陣からも伝わってきた。  取材を終え、平井に電話報告した由美は、そのまま直帰すると伝えた。  とにかく体調が悪かった。  久々の現場という緊張もあったが、高熱からくる身体のだるさで完全にバテていた。  由美はフラフラになりながらも、マンションに辿り着くと、すぐにシャワーを浴びてベッドに潜りこんだ。
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