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クリニックを出た由美は、歩きながら、柏木に電話をかける。
なかなか電話に出ない。
スタジオか? いや、スタジオなら電源を切っているはずだ。
一度電話を切った由美はメールを開くが、文章にまとめられるほど、気持ちの整理ができていない。
何より、一人で今の状況について考えなければならないことが恐ろしかった。
由美はもう一度電話をかける。やはり出ない。
繰り返されるコール音が柏木による拒絶ではないかと感じ始めた時、
――もしもし、と明らかな寝起き声で柏木が電話に出た。
――もしもし
由美が返す。
――由美? 何?
――寝てたの?
――うん。さっき横になったとこ
普段と変わらない鷹揚さを感じる声に、今日は苛立ちを覚える。
――今、家?
――いや
――じゃあどこ?
――作業部屋
イコール、今は会えない、ということだった。
柏木がマンションの近くに借りているという作業部屋。柏木は、誰も立ち入らせないだけでなく、場所も教えていなかった。
それでも、今は一刻でも早く話をしなければならない状況だ。
――今すぐ会いたい
――だから今作業部屋だって
――大事な話なの
――いや、だから……
――作業部屋じゃなくてマンションでもいいから
こちらの必死さに、柏木は何かを感じ取ったのか、
――今日じゃなきゃダメ? と確認する。
――ダメ
柏木は少し黙ってから、――じゃあ作業部屋の場所教えるから来て、とマンションからの道を伝える。
――ありがとう
由美が伝えるも、柏木は無言で電話を切った。
大通りでタクシーを拾い、運転手に行き先を告げると、車外をぼんやりと眺める。
妊娠――自分と柏木の子どもが今お腹にいる。
医師の診察を受けても、まだ自らの身に起こったこととして受け止められずにいる。
「デキ婚」「シングルマザー」記者としてどちらも書いてきた。
「デキ婚」では、離婚率の高さに注目した、離婚女性の後悔に関する記事を、「シングルマザー」では、生活の苦しさを、親と子それぞれの視点から取り上げる記事を書いた。
「中絶」については書いたことがない。だが、「不妊治療」については書いたことがある。
その時に取材をした医師の言葉を思い出す。
「診療のため、採集した精液を量り、比重や運動率、奇形率などを検査しますが、そういった説明を聞くだけで、たとえ社会的に成功している人でも、自らを不完全な存在と思い詰めてしまいます。女性の場合も同様です。受診することで、夫婦関係が悪くなり、離婚に至るケースもあります」
どんな選択をしても、記者として書いてきた自らの記事に磔にされる。
そして、何より女性は刷り込まれている。
女性にとって一番の幸せは、好きな人と結婚して子どもを産むこと。
だからこそ、厄介この上ない生理を、いつかの幸せのための準備として受け入れることができる。
一方で、言われ続けてきたのは、女性の社会進出。にも関わらず、その任を熱心に果たす程、女性のくせにという評が異性だけでなく同性からもついてまわる。
社会からの様々な要求を詰め込まれ、歪に膨らんだイチジク――そんなことを考えながら、首筋に伸ばしかけた右手を慌てて引っ込める。
学生時代まで長かった髪を入社前に短くしたのは、昔から女々しいと思っていた髪を触る癖を矯正するためだったが、今思えば、それは自らの生き方を定めるための覚悟だった。
由美は今後について考えないようにしながら、携帯電話で平井に全休の連絡を入れる。
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