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「ひどくお疲れのようですね」
開口一番、高木瑠香が口にする。
「そんなことないです」
「そうですか?」
高木瑠香は言い、「今日は何のお話で?」と訊ねる。
「世間話とか人生相談とか、そんなところです」
「囚人に人生相談ですか?」
「はい」
「普通そんな人いませんよ。間違いを犯したからここにいる人間に」
高木瑠香が笑う。
「高木さんもですか?」
「いいえ」
途端に無表情になる。
前回の面会で確信したことがある。
高木瑠香には顔がない。表情と感情が断絶している。
だから、彼女はどんな人物でも演じられる。
「高木さんはどうしてAV女優に?」
「急にどうしたの! もしかしてお金に困ってらっしゃる?」
今度はオーバーアクションで訊ねてくる。
「いいえ」
由美のつれない反応に、高木瑠香も淡々と話し始める。
「私がAV女優になったのは、男の欲望に買われる仕事だからです」
「もう少し具体的に教えていただけますか?」
「俗に言う『いい女を手に入れる』こと。それが一種のステータスとされますが、AV女優というのはそれを薄く拡げたものです。なので、食い扶持には困らないと」
「ですが、今は業界全体でも供給過多で、稼ぐことができるのはごく一部です」
「若くて貧乏な人ばかりですから。でも、ほとんどの人が、価値のある裸と価値のない裸が存在することを知らない」
「高木さんの裸は価値がある方ですか?」
「もちろんです」
さらりと答える。
「実際、結構なお金を稼ぐことができましたから」
「では、なぜ引退を?」
「飽きたからです」
「疲れた、ではなく?」
「疲れたはないですね。私のセックスは支配するセックスですから」
「支配する、ですか?」
「イカされるセックスではなく、イカせるセックスってことです。飽きたのは、男性の顔を見ることに対してです」
「もう少し具体的にお願いします」
「AVの仕事以外でも、お金をいただいて様々な人の相手をしました。ですが、年齢や肌の色が違っても、腰を動かしてる時の男性の顔は驚くほど似ています。私がすることは、相手の顔を見ながら、呼吸を合わせてあげることでした」
「そういったことは引退後も?」
「いいえ」
「では引退後は何を?」
「あなたのお姉さんを殺す準備を」
あまりに自然な口調に、由美は言葉の意味を認識するのがワンテンポ遅れた。
「いつからお考えに?」
「いつからでしょう。わかりません」
「では、最初に彼女を知ったのは?」
「どこかでRoom社の映像を見た時です」
「その際は、何かお感じに?」
「特に何も」
このままでは前回と一緒だ。
由美は質問を変える。
「高木さんから見て、佐伯玲との間に共通点のようなものはありますか?」
「共通点ですか?」
「はい。似ていると思う点でもいいです」
「そうですね……」
初めて考え込む姿を見た。
「一つだけあります」
「何ですか?」
「運命に対する死を望んでいる点です」
「運命に対する死ですか?」
由美は言葉を繰り返す。意味を理解できずにいた。
「そうです。ところで、中川さんは、あのCMの眼差しに何を感じました?」
「私ですか?」問い返してから考える。
「強さですかね。自分を確信しているからこそ他人を無視できる強さ」
「それはCMのメッセージであって、彼女の瞳ではない」
高木瑠香が断言する。
「彼女は死を望んでいました。数多くの運命に脅かされ、ぼろぼろになっても、自身の強靱さ故に倒れることもできず、立ち続けている」
「そうお感じに?」
「はい。私は彼女を見た時、『誰かすぐにでも彼女を殺してあげて』と思いました」
さっき聞いた時は「特に何も」と話していたではないか、と思うより先に、そんなはずはない、と由美は即座にその考えを否定する。
「その点で高木さんも同じだと?」
「まるで信じてない様子ですね」
高木瑠香が笑う。
「当然ですね。私自身全く信じていませんから」
前回と同じ状況に、由美は黙り込む。
高木瑠香の悪魔的な純粋さが、由美の気力を打ち砕こうとする。
「ですが、私には彼女が運命に対する死を望んでいたとは到底思えません。舞踊家としては勿論、政治家としても、日本ではあまり評価されませんでしたが、海外では思想も含めて高く評価されていました」
「運命は現実ですから。幸福でもあり絶望でもある。その両方を眼差しで表現できるのは、彼女が運命と生きていた証であると思います」
「今高木さんの仰ったことが、彼女を殺した動機ですか?」
「これを動機とするなら、運命があなたのお姉さんを殺したことになりますけど、あなたはそれで満足?」
由美は言葉に窮す。そんなはずはなかった。だが、言葉が出てこない。
「結局、みんな自分の都合」
ぽつりと漏らした後、高木瑠香の口調が変わる。
「全てがそこに落ち着く。でもそれは退屈。つまらないつまらないつまらない。犯罪者はピエロよ。反省するピエロなんて人々は笑えないでしょう。ピエロになったことを後悔するくらいなら、最初からならなければいい。私は殺したかったから殺した。後悔はない。理由もない。人々は憶測で笑えばいい。理解などどうでもいい。理解不能。それが犯罪を長く余興たらしめる。人々が飽きるまでね。狂人? だから強くて弱い。動機とか計画性とか反省は全て無意味。私の罪を判断すべきは、高木瑠香が佐伯玲を殺したという事実であり、それ以外の全ては、人々の眠りのために必要なだけ。だから私は笑う。ピエロとして。それが楽しい」
「そこまでだ!」
書記官の声が響く。
高木瑠香が立ち上がる。
「楽しめたかしら?」
にっこりと笑う高木瑠香の目は空洞のようだった。
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