第2部 8 運命という現実

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「ひどくお疲れのようですね」  開口一番、高木瑠香が口にする。 「そんなことないです」 「そうですか?」  高木瑠香は言い、「今日は何のお話で?」と訊ねる。 「世間話とか人生相談とか、そんなところです」 「囚人に人生相談ですか?」 「はい」 「普通そんな人いませんよ。間違いを犯したからここにいる人間に」  高木瑠香が笑う。 「高木さんもですか?」 「いいえ」  途端に無表情になる。  前回の面会で確信したことがある。  高木瑠香には顔がない。表情と感情が断絶している。  だから、彼女はどんな人物でも演じられる。 「高木さんはどうしてAV女優に?」 「急にどうしたの! もしかしてお金に困ってらっしゃる?」  今度はオーバーアクションで訊ねてくる。 「いいえ」  由美のつれない反応に、高木瑠香も淡々と話し始める。 「私がAV女優になったのは、男の欲望に買われる仕事だからです」 「もう少し具体的に教えていただけますか?」 「俗に言う『いい女を手に入れる』こと。それが一種のステータスとされますが、AV女優というのはそれを薄く拡げたものです。なので、食い扶持には困らないと」 「ですが、今は業界全体でも供給過多で、稼ぐことができるのはごく一部です」 「若くて貧乏な人ばかりですから。でも、ほとんどの人が、価値のある裸と価値のない裸が存在することを知らない」 「高木さんの裸は価値がある方ですか?」 「もちろんです」  さらりと答える。 「実際、結構なお金を稼ぐことができましたから」 「では、なぜ引退を?」 「飽きたからです」 「疲れた、ではなく?」 「疲れたはないですね。私のセックスは支配するセックスですから」 「支配する、ですか?」 「イカされるセックスではなく、イカせるセックスってことです。飽きたのは、男性の顔を見ることに対してです」 「もう少し具体的にお願いします」 「AVの仕事以外でも、お金をいただいて様々な人の相手をしました。ですが、年齢や肌の色が違っても、腰を動かしてる時の男性の顔は驚くほど似ています。私がすることは、相手の顔を見ながら、呼吸を合わせてあげることでした」 「そういったことは引退後も?」 「いいえ」 「では引退後は何を?」 「あなたのお姉さんを殺す準備を」  あまりに自然な口調に、由美は言葉の意味を認識するのがワンテンポ遅れた。 「いつからお考えに?」 「いつからでしょう。わかりません」 「では、最初に彼女を知ったのは?」 「どこかでRoom社の映像を見た時です」 「その際は、何かお感じに?」 「特に何も」  このままでは前回と一緒だ。  由美は質問を変える。 「高木さんから見て、佐伯玲との間に共通点のようなものはありますか?」 「共通点ですか?」 「はい。似ていると思う点でもいいです」 「そうですね……」  初めて考え込む姿を見た。 「一つだけあります」 「何ですか?」 「運命に対する死を望んでいる点です」 「運命に対する死ですか?」  由美は言葉を繰り返す。意味を理解できずにいた。 「そうです。ところで、中川さんは、あのCMの眼差しに何を感じました?」 「私ですか?」問い返してから考える。 「強さですかね。自分を確信しているからこそ他人を無視できる強さ」 「それはCMのメッセージであって、彼女の瞳ではない」  高木瑠香が断言する。 「彼女は死を望んでいました。数多くの運命に脅かされ、ぼろぼろになっても、自身の強靱さ故に倒れることもできず、立ち続けている」 「そうお感じに?」 「はい。私は彼女を見た時、『誰かすぐにでも彼女を殺してあげて』と思いました」  さっき聞いた時は「特に何も」と話していたではないか、と思うより先に、そんなはずはない、と由美は即座にその考えを否定する。 「その点で高木さんも同じだと?」 「まるで信じてない様子ですね」  高木瑠香が笑う。 「当然ですね。私自身全く信じていませんから」  前回と同じ状況に、由美は黙り込む。  高木瑠香の悪魔的な純粋さが、由美の気力を打ち砕こうとする。 「ですが、私には彼女が運命に対する死を望んでいたとは到底思えません。舞踊家としては勿論、政治家としても、日本ではあまり評価されませんでしたが、海外では思想も含めて高く評価されていました」 「運命は現実ですから。幸福でもあり絶望でもある。その両方を眼差しで表現できるのは、彼女が運命と生きていた証であると思います」 「今高木さんの仰ったことが、彼女を殺した動機ですか?」 「これを動機とするなら、運命があなたのお姉さんを殺したことになりますけど、あなたはそれで満足?」  由美は言葉に窮す。そんなはずはなかった。だが、言葉が出てこない。 「結局、みんな自分の都合」  ぽつりと漏らした後、高木瑠香の口調が変わる。 「全てがそこに落ち着く。でもそれは退屈。つまらないつまらないつまらない。犯罪者はピエロよ。反省するピエロなんて人々は笑えないでしょう。ピエロになったことを後悔するくらいなら、最初からならなければいい。私は殺したかったから殺した。後悔はない。理由もない。人々は憶測で笑えばいい。理解などどうでもいい。理解不能。それが犯罪を長く余興たらしめる。人々が飽きるまでね。狂人? だから強くて弱い。動機とか計画性とか反省は全て無意味。私の罪を判断すべきは、高木瑠香が佐伯玲を殺したという事実であり、それ以外の全ては、人々の眠りのために必要なだけ。だから私は笑う。ピエロとして。それが楽しい」 「そこまでだ!」  書記官の声が響く。  高木瑠香が立ち上がる。 「楽しめたかしら?」  にっこりと笑う高木瑠香の目は空洞のようだった。
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