第2部 13 降伏

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 翌朝、寝過ぎて頭が重かった。  カーテンから差し込む光。日はもう高い。  由美は布団の端でしわくちゃになったTシャツを拾うと気にせず袖を通す。  カーテンと窓を開ける。熱風が部屋に入りこんでくる。  ハーフパンツを穿いた由美はベランダに出て、洗濯物を取り込むと、そのままソファに座り、大きな欠伸をする。  テーブルの上には、裏返しになったままのリモコンが置かれている。その先のテレビは、窓からの光で画面中央部が照らされ、表面についた埃が白く輝いている。  何も映らないテレビは、綺麗で穏やかだ。  コーヒーでも飲もうかと腰を上げかけたところで、妊娠中であることを思い出す。  由美は両手をお腹に置きながら、昨日の続きを考える。  出産して育てる。そこにどれだけの価値があるのか。  社会人になって仕事に割いてきた時間は男性と変わらない。好きな仕事であれば、なおさら強い愛着がある。  それが妊娠によって、あっけなく奪われたかと思えば、産休育休明けには、重荷を背負った状態で再スタートさせられる。  現代は、女性に生まれついても、子どもを産みたいという価値観が大きなウエイトを占める時代ではない。むしろ子どもなどいない方が、社会での活躍を通じて、自らの生を証明できる。  ここまで考えたところで、由美のお腹が鳴る。  思えば、昨日のサンドイッチから固形物を口にしていなかった。だが、昨日の事を思うと、外出はしたくない。  出前を取るには、携帯電話の電源を入れなければならない。  結局、我慢することにした由美は、冷蔵庫に残っていたミネラルウォーターを口にする。途端にすることがなくなった。  由美は本棚に向かう。  大江健三郎の『われらの時代』を手に取り、パラパラとページをめくる。太字(ボールド)の文字が自然と目に入ってくる。  若者たちよ きみたちの時代だ!  妊娠!  戦争だ!  あんたはミッキー・マウスよ!  いやよ、いやよ、  卑怯者!  抵抗するな、抵抗するな、射殺するぞ!  若者たちよ きみたちの時代だ!  これがおれたちの時代だ  由美は最後までめくると、本を戻して、再びベッドで横になる。  きみたちの時代  この言葉は、本が出た当時には、ある種の響きを伴っていたかもしれない。だが、現代では、(しな)び、もはや何の感興も呼び起こさない。  今「きみたち」はどこにいる?  誰も「きみたち」と語りかけられることを望んでいない以上、「おれたち」もまた存在しない。時代という(いかだ)(ほど)け、波間を漂う木片となる。  私もその一人だ。  ベッドが沈んでいく。  ここは安全かもしれない。だが、どこに行くこともできないだろう。  由美は目を瞑る。静かな闇。何も見なくて良い。そのまま力を抜き、眠る。
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