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エピローグ
――今日は早く帰れそうだから、という声に、
――わかった、と答え、由美は電話を切った。
ベンチに座った由美は、平井から依頼を受け、ゴーストライターとしてまとめたインタビュー本のゲラを鞄にしまう。
ライブハウスを出てかかってきた電話で、柏木は、
――まだ三人で歩いていくことはできるか、と由美に訊ねた。
最初聞いた時は、なんて自分勝手と思った。
一方で、柏木にはわかっていたのかもしれない。由美が中絶しないことを。それが由美への理解と呼べるかはわからない。けれども、二人で話し合ったあの時、由美には全く見えていなかった「出産」を柏木が見ていたのなら、続きを聞こうと思った。
柏木は詫び続けた後で、こう言った。
――正直、うまくやれる自信は無い。でも、その時は二人でたくさん失敗しよう
由美は後ろ髪を留めていたゴムを取る。風ではためく髪を押さえながら顔を上げると、芝生の広場の真ん中に屈む美紀を見る。
ベンチから立ち、「美紀ー」と呼ぶ。
立ち上がった美紀が、こちらに駆けてくる。
由美は屈んで腕を広げると、目を瞑る。オレンジの寂静を駆けてくる足音が近づいてくる。
胸に飛び込むあたたかい衝撃。
力一杯抱きしめ、立ち上がる。重さ。私を支えてくれる生きた重力。
腕の中ではしゃぐ美紀の声が、耳の中で踊る。
「何を見ていたの?」
「アリさんが列を作ってた。一列になって。なが~く、なが~く。ねえ、アリさんはどこにいくの?」
その声は、由美の鼓膜に触れ次々と弾ける。
「さあ。でも、どこかへ行くんでしょうね」
由美は両腕に力を込める。
落葉を浴び、ひとつの影が芝生に伸びる。その影は震えている。
『女性の降伏』了
『男性の克服(未筆)』へ続く
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