story1 椅子

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*  夕立が来る匂いというのは、誰もが感じるものなのだろうか。真琴(まこと)は子供の頃からそんな匂いを感じた。「もうすぐ雨が降るよ」という言葉に、笑われた頃のことを思うとそれは真琴だけが持つものなのかもしれない。  でも今、スーパーを出たときの空の暗さからは、そこにいた誰もが激しい雨が来ることを悟ることが出来たのだろう。何人かが入り口横のスペースで、このまま家路につくか、雨宿りのためにもう一度店内に入るかを迷っているように見えた。 「夕立が来る匂いだ」  暗い空を仰いで真琴はそう確信した。3分も経たない内に、最近では『ゲリラ豪雨』と言われる雨が来るだろう。真琴は迷うことなく自転車置き場に向かった。  家までは自転車で15分。濡れることは覚悟だった。この季節、風邪をひくこともないだろうけれど、トイレットペーパーの袋に穴がないことを祈りながら自転車に跨るとペダルに足を乗せた。  ゲリラ豪雨、夕立、通り雨、どんな言い方であってもそれほど長くは降らない。 「それでも帰らなければいけない。雨が降ったとしてもトイレットペーパーを持っていたとしても少しでも早く。ベランダに洗濯物を干しているのだから」  さっきよりも暗くなっている空を見上げて、真琴は一度強く唇を結んだ。  自転車を漕ぐ真琴の腕に大粒の(しずく)がぽたりと落ちた。真琴はペダルの回転を早めながら、次の信号が赤でないことを祈っていた。 「ベランダの洗濯物が雨に濡れることなどなんでもない。また洗えばいいことだ。でも取り返しのつかないことになっては」  まるで強迫観念に憑かれたように、ペダルを踏む真琴の脳内に、数年前の恐ろしい光景が蘇っていた。
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