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第68話「敵意の理由」
「ほう、そういうのも分かるもんなのか。臭い云々というのは儂にはとんと分からんが、やはり人よりも鼻が良いのかのう?」
「黙れ、話し掛けんな。不愉快だ」
いつになく険しい空気を出すルーちゃん。
彼はトゲトゲしさ全開のまま、ソファの上で横になったまま、何かに耐える様に腕を組んで微動だにしない。
敵意を宿した鋭い視線がお祖母様に突き刺さる。しかしお祖母様も流石の強メンタル。
少しも怯む事なく笑顔のままだ。
あれ、でも待って。
ルーちゃんの目には生き物を本質的に怯えさせる効果があったはず。
事実、お母様やメアリーはその空気や視線に凍りつき、先程からどこか苦しそうにか細い息を吐いている。
私は慣れているからいいとして、初対面のお祖母様やバーレンクラハ様が少しも怯む事がないというのは、どういう事でしょうか。
「ルーちゃん、さっきからどうしたんですか。なんでそんなに…」
「チッ、うるせえ。今は構うな、見ての通りすこぶる機嫌が悪ぃ」
理由を問いただそうとすると、ルーちゃんは苛立たしげにガシガシと乱暴に頭を掻いた。
「ああくそ、胸糞悪ぃったらねえ。どれもこれも、全部あの野郎のせいだ…っ」
「あの野郎…?」
あの野郎って?
ルーちゃんがここまで敵意を露にする人物なんて、現状はネイトくらいだけど、お祖母様が事前にネイトに会って来たとは思えない。
あの子は今、任務で首都近郊の街を移動しているらしい。先日、暫くリアドには戻れないと連絡があったばかりだ。
じゃあ、ルーちゃんを不愉快にさせる臭いの原因ってなんなの?
不安に思ってお祖母様とルーちゃんを見比べていると、彼はギロリと鋭い視線を飛ばし
「ソラ、そいつに関わるな。そのババア、あのクソ野郎の臭いがしやがる。いや、厳密に言うと少し違うが…どちらにせよ、不快だ」
「く、…野郎って!…ルーちゃん、いくら何でも口が悪過ぎます!それにその態度、一体どうしたって言うんですか!」
このままではいけない。
お祖母様への無礼な態度もそうだけど、このまま彼を不機嫌なままにしておいたらお母様やメアリーが倒れてしまいかねない。
ここは私が何とかしないと。
怒鳴られるのを覚悟でソファに近寄り、ルーちゃんの腕に手を置いて宥める様に軽くさすると、彼は落ち着く様子も見せずに強い口調で呟いた。
「ラディウス…」
「え?」
「そのババアから、奴に近い臭いがする」
「ラ…!!」
ラディウス!?
ラディウスってあの、ラディウス神!?
ラディウスとは。
このラスガルドを創りたもうた創造神であり、天界の支配者とも言うべき主神。そして、ルーちゃんにとっては最も憎むべき天敵でもある存在だ。
終わりの竜を、終わりの竜たらしめた要因となった神。全ての悲劇の元凶。その神に近しい臭いがお祖母様からするだなんて、どういう事なのか。
「ルーちゃん」
更に尋ねようと彼の手に触れ、私は動きを止めた。
触れた腕が異常に強ばっていたからだ。
目を落とすと彼は爪が食い込む程強く、自身の腕を掴んでいた。まるで押さえ付けるように。鋭い爪が皮膚を破り血が滲んでいる。
「ルーちゃん、腕…!」
「構うな。今離したら、そこのババアが血達磨になるぞ」
ルーちゃん、貴方…
もしかして、ずっと耐えてくれてたの?
相手が憎きラディウスなら彼が自我を失う程怒り狂うのも分かる。けれど彼は自らの感情を押しとどめて、お祖母様に危害を加えそうになるのを防いでくれていたのだ。
こんな風に怪我をしてまで。
お祖母様が私の身内だから。
「……っ、分かりました。無理に付き合わせてごめんなさい。ルーちゃん、一旦神殿に戻って」
「ああ」
彼の気持ちを思うと、私はそれ以上の言葉を掛けてあげる事が出来なかった。
本当は部屋に帰してあげたかったけれど、天敵の臭いがする状況下で彼が私の傍を離れるとは思えない。なら、ここは魂の神殿に戻してあげるのが正解だろう。
神殿へ戻る様に促すとルーちゃんは未だ敵意を宿した瞳をお祖母様に向け、物質化を解除する前に警告を発した。
「どういう意図かは知らねえが、妙な真似はするなよ。こいつを巻き込んだら相手が身内だろうと容赦しねえ」
身体の色が薄くなる。
と同時に声も消え入るように揺れる。
だが、最後の言葉だけははっきりと聞こえた。
「必ず、殺す」
ぞくりと背筋が凍った。
訃音の効果だろうか、精神を揺さぶるような殺意を込めた魂の囁き。
ゆらりと魔力の残滓を残り、ルーちゃんは私の中へと戻っていった。
彼が消えると、お祖母様は少し複雑そうに苦笑いをし、それから記憶にあるいつも通りの口調でこう言った。
「はは、こいつは……嫌われたかのぅ」
「お祖母様、申し訳ありません…ですが、あの……」
聞にくいけど、ルーちゃんが言った事が引っ掛かる。
ラディウス、と。
彼は確かにそう言った。
ルーちゃんがこの世界で最も憎み、嫌悪する伝承上の神。
その神と同じ臭いが
お祖母様からする?
なんで……?
これは、一体どういう事だろうか。
記憶にある限りお祖母様とラディウス神にこれと言った関わりは無かったはず。
疑問を抱いたまま眉根を寄せると、祖母はやれやれと溜息をつきながら、ぽつりぽつりと事情を話し始めた。
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