それぞれの前日

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それぞれの前日

 魔界で「魔役の呪法(マズニ)」を覚えた俺は、その日の内に人界へと戻って来た。  実は魔王リリアから指導を受けている時に、俺にある閃きが浮かんだ。そして〝それ〟を実践してみると、何とその試みは見事に成功したんだ! 「おぉ、何と便利な! 勇者よ、〝それ〟は私にも扱う事が出来るのだろうか!?」  目の前で〝それ〟を披露した俺に、リリアは目を爛々と輝かせて詰め寄って来た。何事にも好奇心旺盛な魔王は、どうにもを覚えたいらしい。 「多分……覚える事は出来ると思うぞ。でも流石に、一朝一夕とはいかないだろう。それに時間が無いから、教えるのは次の機会で良いか?」  人界にメニーナ達を放ってきちまっているからな。多分こんな短期間で何もないとは思うけど、早く帰って様子を見ない事には俺の方が落ち着かない。  それに、クリーク達の方も気になる。  クリークやソルシエが事前に何かを考えたり疑問を持つなんて事は無いだろうけど、イルマやダレンならあり得るからな。そんな時に俺がいないと、気が気じゃあ無いだろう。 「そ……そうか。……そうだな」  出来るだけやんわりと話したつもりだったけど、殊の外魔王リリアの受けた精神的ダメージは大きかったようだ。ションボリした姿が可愛いな、おい。 「で……でも、すぐに戻って来て教えるから。……な?」 「ほ……本当だなっ!? きっと、すぐに戻って来るのだぞ!」  俺が慰めの言葉を掛けた途端に、ガバッと顔を上げたリリアが再び俺へ迫って来た。ダメッ! ダメヨッ! このままじゃあ、魔王リリアに抱き着かれちまうぅっ! 「ま……魔王様っ! 少し落ち着いて下されぃっ!」  あと少しで魔王の熱い抱擁を受ける……って直前、目にも止まらない速さでリリアの背後に回り込んだ虚無魔天王ナダが、彼女を羽交い絞めにして止めようと試みる!  しかし、こんな所で魔王の力が発揮されたのか、彼1人では制止させるには至らない! 四天王筆頭の力さえ意に介さないとは、魔王恐るべし! 「ちょ、とま、止まれってんだよぉ、くらぁっ!」 「魔王様、止まる! 止まらねば、駄目っ!」 「ちょっとぉ! 落ち着きなって!」  ナダの後ろに混沌魔天王ハオスと闇黒魔天王ザラームが付き彼の身体を引き留め、正面には四天王唯一の女性である陰影魔天王ウムブラが割って入った! これでようやく、魔王の進撃を止める事が出来たんだ!  ……魔王リリアの奴、レベルの恩恵を受けてから更に力強くなったんじゃないか? 「……ウホン! 取り乱したようで迷惑を掛けたな、勇者よ。それでは、次回の来訪を心待ちにしている」  落ち着きを取り戻したリリアは咳ばらいを一つして、改めて別れの言葉を口にした。  態勢を立て直しているつもりだろうけど、その顔は真っ赤だ。 「あ……あぁ。それじゃあ、行ってくる」  兎に角、今はクリーク達とメニーナ達のクエスト勝負を見届けなければならない。しかも、可能ならば双方ともに無傷で……だ。  俺は意識を切り替えて、彼女に挨拶をするとその場から転移した。  形としては慌てて逃げるように魔王城を後にした訳だけど、戻って来てみれば何も急ぐ事は無かったみたいだ。 「今考えられる準備は全て済ませました。後は、無理をせずに挑戦するだけです」  とはイルマの談だ。  実際、ジャイアントアントの巣には幾度か挑戦しているという話だし、問題があるとは思えなかった。  懸念があるとすれば、これがメニーナ達との勝負になっていると言う事だろうか。勝ち負けが関わってくれば、退く判断にも迷いが出る。 「まぁ、お前がいるんだ。ギリギリのところを見極めて、無理となったらちゃんと撤退の指示を出すだろう。そこに問題は無いんだが、あるとすれば……」  俺はイルマに返答して、その後に浮かんだ不安材料を思い考え込んだ。見るとイルマも、俯いて深く思案しているみたいだ。  ……んん? 何だか、顔が赤いな? 「お前も分かっているだろうけど、問題はクリークの無茶や暴走と言った処だろう。あいつも随分と成長しているとはいえ、今回はメニーナ達との勝負が掛かってるからな。言っても聞かないって状況になるかも知れないぞ?」 「……はい。贔屓目かも知れませんが、多少無理した程度なら、今の私達ならなんとかなると思うのですが……。でも、無理が過ぎたらと思うと……」  俺の指摘を聞いて、下を向いていたイルマが顔を上げてその不安そうな表情を向けて来た。流石の彼女にも、話を頑として聞かないクリークをどうやって制御するかの妙案は浮かばなかったみたいだ。 「まぁ、そう言った事もまた経験だ。多少の無謀なら、全員で取り組んで立ち向かってみろ。ただし、死ぬ事は許さないけどな」  実際、パーティの底力と言うものは目の当たりにしないと分からないってのが本当のところだ。強いと思っていたのが実際はそうでなかったり、逆に弱いと考えていたら予想以上の力を発揮したりな。 「……分かりました。最善を尽くします」  俺の口にした「死」と言う言葉(ワード)が切っ掛けだったのか、イルマの雰囲気がそれまでのものと完全に変わっていた。  以前に本当に死にかけた彼女には、「死」がどれほどの恐怖なのか他の3人よりも良く分かっているのだろう。  そしてそれを知るイルマがいるからこそ、このパーティは安心して目を離せるってのもあるんだけどな。……まぁ、今回は離さないけど。 「それじゃあ、勝負は明日実施するからな。今日はゆっくり休めよ」 「はいっ、先生っ!」  俺の激励に、イルマは力強く頼もしい笑顔で応えた。  クリーク達の方は何も問題ない。このレベルでは、むしろ頼もしいほどだった。  さて、そして対するメニーナ達はと言えば。 「あぁ! ゆうしゃさまぁ! お帰りなさぁい!」  宿屋の部屋で寝そべっていたメニーナが、俺が帰って来た事を察して元気よく挨拶をくれた。それに合わせて、パルネとルルディアも声を掛けてくる。  しかし、パッと見た限りでは特に何かを用意したという風には見えないな。 「いよいよ明日はジャイアントアントの巣に向かうんだろ? クリーク達との勝負も掛かってるってのに、用意はしなくて良いのか?」  余りにも気の抜けているメニーナに向けて、俺は半ば呆れた声で話し掛けたんだが。 「だいじょうぶなんじゃない?」「……何を用意したら良いのやら」「人界の魔物って、魔界より弱いんですよね? なら、大丈夫です!」  と、こんな感じだった。  彼女達の実力を考えれば、確かにジャイアントアントなんて敵にはならないだろう。……単体が相手だったらだけどな。  でも、巨蟻族は群れで襲って来る。1匹と戦えば、例え瞬殺しようとも近くの仲間をんだ。  ルルディアの言った通り人界の魔物は確かに弱いけど、油断していると足元を掬われるぞ。 「お前たちが強いのは俺が一番知ってるけどな。でも、個々の強さだけでは対処出来ない場合が必ず来る。そんな時には、仲間と共闘しなけりゃならないだろう。それに何があるか分からないなら、せめて回復薬だけでも用意しておかないといざって時に困るぞ?」  流石に、この程度の知識は3人とも持っている筈だ。今まで苦戦らしい苦戦をしてこなかったから、回復薬を用意するって発想も後回しになっていたって事か。  ……それに。 「えぇ―――……。でも、ゆうしゃさまはいつも1人で戦ってたじゃん」  これ……これだよ。  メニーナにとって俺は、悪しき例外……なのかも知れないな。  これまで俺は、たった1人で戦ってきた。そしてそれを、メニーナはずっと見て来た訳だ。  自惚れではなく俺に憧れているであろうメニーナにとって、冒険とは基本的に1人で突き進むと言う事なのかも知れない。  でも、それじゃあダメだ。 「……ふぅ。それじゃあ付いて行ってやるから、一緒に必要最低限の物を買いに行こう」 「えぇっ!? 今から買い物ぉっ!? 行く、行くぅっ!」 「……お買い物。……うふふ」 「お……おとうさんと買い物だなんて」  かなり甘いと言われようとも、ここはまず冒険の段取りを教えないとな。今は良いかも知れないが、今後の為にも。 「……それじゃあ、行くぞ」  何だか明日の緊張感なんて全く持ち合わせていないメニーナ達を伴って、俺は街中へと買い物に連れて行ったんだ。
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