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不思議な人
――夕立。夏の夕方に降る、激しいにわか雨。
雨に染まる夏の夕暮れをぼんやりと眺めながら、僕はあの日のことを思い出していた……。
当時小学3年生だった僕は、友達の家からの帰宅途中、夕立に見舞われた。
傘を持っていなかったので、ちょうど近くにあった小さな洋服屋さんの軒下を借りて、雨宿りをすることにした。
すると、僕と同じように傘を持ってないのか、大人の男の人が隣にやって来た。
年齢は当時の父と同じくらいに見えた。おそらく40歳くらいだったのではないかと思う。
「きみは、ここで何をしているの?」その人はそう尋ねてきた。
「雨宿りをしています。傘を持ってこなかったので。おじさんもですか?」
「うん。そうだよ。私も傘を忘れちゃってね。きみは小学生かな?」
「はい。今3年生です」
「3年生か。学校は楽しい?」
「うん。とても楽しい。授業はつまらないけど、友達がたくさんいて、みんなおもしろいんだ」
「そうか……。素敵なことだね。けどね、それがずーっと続くとは、限らないんだよ」
「え? どういうこと?」
「今仲良くしている友達とは、もう少しであまり遊ばなくなる」
「そんな、まさか。だって、あんなに仲がいいのに」
「そのまさかなんだ。だんだんと距離ができて、いつの間にか、全然喋らなくなっちゃうんだ」
「そんな……」
「中学生になったら、また新しい友達ができるんだ。楽しいこともたくさんあるんだけど、その新しい友達との人間関係にもかなり悩むことになる」
「嫌だなあ。なんでおじさんはそういう嫌なことばっかり言うの?」
「本当のことだからさ。君に心構えをしておいてほしくて」
「本当のことって、これから先のことなんてわかるわけないじゃないですか」
「まあそう言わずに。高校でも、勉強のことや学校のことや進路のことで、たくさん悩むことになる」
「高校卒業後は浪人して、なんとか大学へ行くけれど、友達はあまりできない」
「大学を卒業後は、定職に就くこともなく、無職の日々が続くよ」
「もう、なんなんだよ! もう何も言わないでよ!」
「けどね、」
「なに?」
「君が30歳を越えた頃、素敵な出逢いがあるんだ」
「出逢い?」
「そう。君はその出逢いをきっかけに、人生の喜びを噛みしめながら、幸せに幸せに暮らしていくことができる。だから、これから先、つらいこと、苦しいことがあっても、くじけず、あきらめず、必死で生き抜いてほしいんだ。ただ生きるだけでいい。とにかく、生き続けてほしい」
「う~ん……。よくわかんないけど、生きればいいんですね?」
「そう。生きるだけでいい。生きているだけでいいんだ」
「わかりました。やってみます……」
「あ、お母さん!」
母が傘を持って迎えに来てくれた。
あの不思議なおじさんに母を紹介しようとしたが、すでにそこに姿はなかった。
「あれ? どこ行っちゃったんだろう。」
「お母さん、さっき雨宿りしてたらね、隣に不思議なおじさんが来てさ、僕はこれからたくさんいろんなことで悩むけど、その先の人生で、幸せになれるらしいんだ」
「あら、よかったじゃない。どんな人だったの?」
「えーっとね、多分お父さんと同じくらいの年齢で、顔は……、あれ? そういえば、顔もお父さんに似てたかも。いや、違う。お父さんよりも、もっと誰かに似てた。誰だろう……?」
降りしきる雨のなか、僕は母と二人で自宅へと帰った。
もう一度、洋服屋さんの軒下を振り返ってみたものの、やはりそこにはもう誰もいなかった。
あれから、20年が経過した。僕はもうすぐ、あの人の言っていた年齢になる。
――「君が30歳を越えた頃、素敵な出逢いがあるんだ」
その後の僕の人生は、あの人の言ったとおりに進んだ。あんなに仲の良かった友達とはいつの間にか全然遊ばなくなり、その後も人間関係のこと、勉強のこと、学校のこと、進路のことなどでたくさん悩み、大学を出てからは、無職の日々が続いた。
けれど、最近ようやく仕事を見つけ、なんとか頑張って生きている。
――「あれ? そういえば、顔もお父さんに似てたかも。いや、違う。お父さんよりも、もっと誰かに似てた。誰だろう……?」
あの日浮かんだあの疑問。ずーっと引っかかっていたが、時の流れがその答えへと導いてくれた。
鏡を見ると、あの人によく似た人物が映っている。あの人より10歳ほど若い気がするが、間違いない。あの人は、今の僕にそっくりだ。
――あの人は、僕だったのだろうか。未来から来た、自分だったのだろうか。
もしそうであるならば、きっとまた、時の流れがこの疑問の答えへと導いてくれるだろう。おそらく、あと10年ほどで……。
それとも、すべてはただの偶然に過ぎず、あの出来事は、あの日の夕立が作り出した、一種の蜃気楼のようなものだったのだろうか……。
――夕立。夏の夕方に降る、激しいにわか雨。
空模様は相変わらずで、雨はもうしばらく、降り続きそうだ。
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