第1話:馬車の片隅で震え、暗い森に舞う少女

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第1話:馬車の片隅で震え、暗い森に舞う少女

--☆--  ぱしん、ぱしん、という音が耳に突き刺さります。これは鞭の音でしょうか。馬車馬(ばしゃうま)を叩くようなその鋭い音が、わたくしの耳に突き刺さります。その鋭さに、わたくしは今まで眠っていたことを気付かされます。 「すべて計画通りだ」  ――それでもまだ微睡(まどろみ)の中にいて、ぼんやりとその言葉を聞いていました。床はごとん、ごとんと揺れて、心地良いような、気持ち悪いような。出来の悪いゆりかごに乗せられているような気分です。それなのに嫌な眠気に包まれているようで、どうにも身体が動かせません。むにゃむにゃ。 「魔女はあの女を渡せば油断をするはずだ。その隙を逃さず殺せ」  ――物騒なことです。そう簡単に人を殺していけません、むにゃむにゃ―― 「魔獣だ!」  突然、わたくしの身体が前方に投げ出されました。微睡からわたくしを引き上げたのは、壁にぶつかった衝撃とお馬さんの(いなな)き、そして男性の怒号でした。もう少し静かにしていただければ……と思いましたが、冴えた頭でよくよく考えればわたくし、家を焼かれて攫われているところでした。あまり贅沢を言っては、人質失格となってしまいますので弁えなければなりません。  そもそも、ここはどこでしょう? 焼け落ちるお家から逃げるときに覆面の方々に捕まって、怪しげな薬を嗅がされた事まではおぼえています。……ここは馬車の中でしょうか? 扉は締められ窓も無いので昼か夜かも分かりません。  ――などと考えていたらその扉がばんと開けられました。そこに立っていたのは覆面をつけた男性で、わたくしを攫っている方です。その人攫いさんが怖い声で言いました。 「すぐに終わる。お前はここで人質らしく、大人しく震えていろ。動けばただじゃおかんぞ」 「……かしこまりました」  一体何がどうただで済まないのかはさっぱり分かりませんが、そこまで言うからにはわたくしにはここにいてほしいのでしょう。良いでしょう、不肖リヒト・フェル・ラフラニール、見事人質らしく大人しく震えておきましょう。ぶるぶる。  人攫いさんは開けたドアも閉めず(お行儀がよくありません)、真っ暗なお外――でも所々何かが青白く光っていて視界は確保できています――に向かっていきます。ドタドタという足音が聞こえ、そして次に聞こえてくるのは悲鳴ばかり。それが幾重にも重なっては消えて、また重なって、消えて。  ……わたくしに言われたのは「震えていろ」とのことですが、外の様子を伺うくらいは良いでしょう。そーっと馬車の出口から外を覗くと、糞便と血を混ぜたような色をした、馬車よりも大きな蛙さんがお馬さんを踏みつけて、先ほどの人攫いさんを足から咥えている姿が見えました。  鞭の音とは比較にならないほどの鋭い叫び声が耳に突き刺さります。蛙さんは暴れる人攫いさんを「うるさい」とでも言うように呑みこんでいきます。助けにいかなければ。でも、なにぶんわたくし人質らしくあらねばならないので、今まさに死に瀕している方を尻目に、ぶるぶる震えておくことしかできません。ぶるぶる。 「助けてくれ、こんなところで、おれの――」  人攫いさんは、泣いているのでしょうか、その声は針のように細いのに、わたくしの心臓を突き刺します。そんな声を聴くのは大変につらいです。耳を塞いでもう何も聞こえません。あー、あー、あー。  しばらくそうしていると、蛙さんは覆面の方々を残らずぱっくり呑み込んでしまいまったようで、あたりはしんと静まり返りました。恐る恐る外を見ると、蛙さんのお腹はぴく、ぴくと動いていました。蛙さんはそのまま踏みつけていたお馬さんを咥えて、今度はつるりと飲み込んでしまいました。それから二呼吸ほど間をとって、ゆっくりと辺りを見回した後、のそのそと歩いて闇の中に消えて行きました。  ……そのあとは、あたりを静寂が包みました。たとえ小鳥さんの囁き声であっても、さっきの蛙さんに聞こえてしまいそうに錯覚するほどに静かです。  外には見たこともないような大きな木が沢山生えていました。その葉っぱが空を覆っているのでしょう。まるで夜のように真っ暗ですが、その木の根本で何かが薄ぼんやりと青く光っています。神秘的な光景と言えばそうですが、生温い温度と汗を掻いているかのように思わせる湿度の高さが、その光景を台無しにしています。  そう言えば巨大な人食い蛙さんの話は聞いたことがあります。悪名高く恐ろしい「森」にのみ棲んでいるという獰猛な魔獣です。ただの森ではなく、一度入っては生きては出られないといわれる未開の地、世界に8人いた魔獣の王たちでさえ立ち入らなかった禁断の場所、誰も彼もが恐れて名前さえ付けようとしなかった魔境。……蛙さんを見る限り、わたくしはその「森」にいると考えて間違いなさそうです。  この馬車には結構な人数が乗っていたと思いますが、さっきの蛙さんに皆呑まれてしまったのでしょう。辺りには誰もいらっしゃいません。わたくしは状況が飲み込めていないから混乱して、自分でも茫然としているのが分かりました。  というか、わたくしはいつまで人質らしくしていれば良いのでしょうか。お腹が空いたら適当に食べ物を探しに行っても許されるでしょうか。恐らくはお亡くなりになった方との約束なので反故にしても怒られることはないでしょうが、覆面の方は計画通りとも仰っていましたし、ひょっとしたら何とかして帰ってこられるかもしれません。……さて、わたくしはどうすれば良いのでしょうか。  誰かに聞いてみたいところですが、周りにはどなたもいらっしゃいません。暗い「森」の中で一人なのは、大変心細いです。この際魔獣でも何でも良いので、どなたか喋れる方が来ていただけるとありがたいのですが……。  遠くの木から視線を感じます。殺気は感じませんが、どことなく品定めをされているような気がします。わたくしを食べようと狙っているのか、あるいは協力してくださるのか、判断はつきかねます。なのでしばらく、人質らしくおとなしくしておくことにしましょう。ぶるぶる。
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