第1話:馬車の片隅で震え、暗い森に舞う少女

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-☆-- 「わたくし、身体を動かすことは自信があるんです。大の男の方にも負けないと言われたこともあるんです」  魔獣と戦うのは久しぶりだったので少し怖かったですが、うまくいって良かったです。これには誇り高き夜の民さんであれば、たくさんの賛辞を送っていただけるかと思いきや、夜の民さんはじいっと怖い顔でわたくしを見ています。 「なにか?」 「い、いや、なんでも、ない。それよりも、その、なんていうか、……すごい動きだったね、本当に。目にも留まらなかった」 「うふふ、お父様に鍛えられましたの」  夜の民さんは、その綺麗なお顔を大層驚かせて――こういうお顔もされるんだ――わたくしを見つめなおしました。 「あなた貴族でしょ? 貴族のお嬢様がどうして鍛えられなきゃいけないのよ。男なら分からなくもないけど」  どきっとしました。 「そ、それにつて、ついてはひ、ひみっ、秘密(ひみちゅ)です」  その割には平静を装ってお返事できたかなと思います。お家のことは話してはいけないと小さいころからずっと言われています。人に話すと自慢に思われかねません。 「ふうん……まあどんな事情でも良いか。問題は今この状況。貴女みたいなお嬢様がどうしてこんなところにいるんだろう? 政変の戦火に乗じた人買いに攫われた……とか?」 「まあすごい。おっしゃるとおりです。さすがは誇り高き夜の民さんです」  そう言うと夜の民さんの表情が一瞬ゆるみました。……かと思うと、凛とした表情にもどります。 「まあ、ね。……ねえお嬢さん、貴女のその腕を見込んで、一つ提案があるんだけど」  夜の民さんが指を立てました。 「貴女もあたしもこの森で独りぼっち。貴女はこの『森』のことをあまり知らない。あたしはあたしで実は厄介な追手に追われている。……そこで共同戦線を張りましょう。あたしは貴女にこの『森』のことを教えて、安全なところまで連れて行ってあげる。その代わりに追手が出たら、あたしを守ってね。どうかしら? 悪い提案ではないと思うんだけど」  なんてお優しい! ……ですが、寂しいときに声を掛けていただきましたし、『色狂い』さんの撃退のためのヒントも頂きました。これ以上お世話になるわけにはいきません。なにより相手は誇り高いとはいえ、魔物ですし…… 「……ありがたい申し出ですが、先程の方々に『人質らしくしておけ』と言われておりますので、あまり動かない方が良いかと思うのです」 「なるほどね、魔獣や魔族とは群れない主義か」  見透かされています。さすが、誇り高き夜の民さんです。 「だけどお嬢様、覚えときな。男っていうのはそうやって女を動けなくして、地獄の底まで道連れにしようとするんだよ。実際、ここでじっとしてたって餓死するか魔獣に襲われるかのどっちか。あたしなら、貴女に美味しいご飯をあげられるし、魔獣との戦い方も教えてあげられる。そうでしょ?」 「食料なら、」馬車の中にあるはず、と言いかけて口ごもりました。馬車は『色狂い』さんに壊されてめちゃくちゃです。 「馬車に食料があってもあの瓦礫から引っ張り上げるのは骨が折れる。それに『色狂い』の死臭に釣られて賢しい鴉どもが来てる。そこで一騒ぎすれば、また別の魔獣がくるかもしれない」  夜の民さんは樹の上を指さしました。よくよく見ると十数羽の大きな鳥の魔獣の赤い目が、わたくしたちをじっと見ています。 「……そこであたしの出番。あたし達夜の民はこの『森』にちょっと縁があって、魔獣のことは一通り知っている。それ以外のことも——例えばどの木の実が食べられてどの生き物に害がないのか、目的地に向かうにはどの道を行けばいいのか。どうすれば胸の寂しさを紛らわせるのか、とね」  やっぱり、わたくしの事を思って……! 甘えたくなる気持ちもありますが……。でも、一人では何もできないし、ああ、どうしたら良いのでしょう。考えているうちにどうにも出来なくなって、 「……貴女の仰る通りです」思わず甘えてしまいました。 「わたくしは家を焼かれ、逃げているときに人攫いに捕まりました。後見人の下へ良ければ良いのですが、その御方も無事かどうか……」 「なるほどねえ」夜の民さんは深く頷きながらわたくしの話を聞いてくださいました。なにも解決していませんが、聞いていただけるだけでも心がすうっと救われた気持ちになります。 「人攫いたちはこの『森』のどこに行くつもりだったんだろう?」 「さあ……。ここを訪れる理由があるとすればどんなものがあるでしょう」 「一つは、魔女だろうね」  声色が変わりました。言外に「こまったなあ」と呟いているように。 「そういえば、人攫いさんたちも魔女がどうとか仰っていました。あなたはその魔女さんを御存知なのですか?」 「噂程度は知ってるってだけで会ったことはないね。さっき言った『縁』っていうのもそいつ。人間だけど時々あたしの国に来て、薬草の売買をしてた。……でもなんで人攫いがあいつに会おうとしてたのかが分からない。碌でもないことを考えてなけりゃいいけど」 「魔女さんは碌でなしなのですか?」 「さあ? でもこんなところにいるんだから、まともな神経はしてないだろうね。……こいつに会いに行くくらいなら、もう一つのアテを頼った方が良いね」 「と、言いますと?」 「あなたの国、鉄の国だよ。魔女に会いに行くくらいなら、元々いた所に帰って、適当な貴族に保護された方が安全じゃない?」  わたくしは思わず「うーん」と唸りました。厳密には「うーーーーーーーーーーーん」くらい唸っていたことでしょう。その唸り声が終わった時に、夜の民さんは言いました。 「別に捕って食べられる訳じゃないでしょう?」その顔はどんどん曇っていきます。「家を焼かれた同胞相手に酷いことをするってのは、少なくとも夜の民(あたしたち)の常識では考えられないことだけど、実際のところはどうなの?」  夜の民さんは、真剣に悩んでくださっているようです。わたくしよりも高いところから降ろされる視線は、最初にあった時のような見下ろすものではなく、真剣そのものです。ですが、 「申し訳ありません。一身上の都合で、わたくしの後見人以外を頼るわけにはいきません。そしてその方の居場所がはっきりと分かるまで、鉄の国には帰ることは出来ません」 「……そっか、結構大変な事情があるんだね」 「はい。お伝えできないことは不本意ですが、申し訳ありません。……あなたはお優しいのですね」 「え、そう? ふふん、そうだよ、あたしは優しいの。だからあなたを無理に連れて行こうなんてことはしない。どうしても魔女のところに行くっていうのなら、付いていってあげようか?」 「……その言葉、信じてもよろしいでしょうか?」 「うん。お母様に誓って。魔女の家の場所は前に聞いたことがあるから連れていけると思う。そこまでの食べ物は保証するし、魔獣が近付いてきたら教えてあげる。別に気を使わなくたって良いのよ。捕って食べようなんて気はこれっぽっちもないから。あたし、人助けは大好きなんだ」  最後の方は少し声が上ずって目も泳いでいたように見えましたが、やりすぎなくらい優しい声でした。……わたくし、魔物という存在を誤解していたのかもしれません。すべて軽蔑の対象だと思っていましたが、こんなに優しい方がいらっしゃるなんて。 「では、お言葉に甘えさせていただきます。誇り高き夜の民さん、なにとぞよろしく――」 「シャッテだよ」誇り高き夜の民さんは言いました。「『誇り高き夜の民さん』だなんて呼び方はやめてちょうだいな」 「あら、失礼しましたわ。誇り高き――シャッテ。……それでは、わたくしのことはリックとお呼びくださいな」 「リック、リックか。可愛い名前だね。さて、それじゃ魔女の家を目指して準備と行きますか。リックは裸足だから何か履けるものが必要だね。こっちにおいで。靴とまではいかないけど加工すりゃ履物にできそうなキノコがあるんだ。大丈夫、毒はないよ。ほら、こっち」  なんてお優しい。足の裏が真っ黒にならなくて済みそうです。……服は魔物の体液が染み付いていますが、まあ、どこかで洗えるでしょう。そんなことを考えるわたくしに背を向けて、シャッテは森の闇に飛んでいきます。 「ありがとう、シャッテ。このリヒト・フェル・ユレイシア、あなたに最大限の感謝と敬意を」  あなたがいなければ、ユレイシア家は潰えていたでしょう。わたくしはお父様の意志を継ぎ、いつの日かお(いえ)を再興させ、国を平和にせねばなりませんので…… 「……名前、」シャッテはいくらか驚いた顔をして、振り向いていました。「かっこいいね。リヒトを縮めて、リック?」 「……あっ、」わたくしったら声が大きかったようです。お(いえ)のことは他人様に言ってはいけないとお父様から言われていたのに。「ええ、なにとぞ、気安くお呼びくださいませ」  シャッテは「そう」とだけ呟いて先に行ってしまいました。……わたくしがユレイシア家の、の者だと悟られなかったでしょうか。悟られていたら、もっといろいろと尋ねてきそうなものですが。  ……悟られたかどうか分からない以上はあまり甘えられません。この血筋を鼻にかけていては、与える印象が悪くなってしまいます。できるだけ、気を付けてまいりましょう。  ……などと考えているうちにもシャッテはどんどん進んでいきます。あわや見失うかというほどです。お待ちください、と言いそうになる口をぐっと閉じて、彼女に着いていきます。できるだけ、噤んだ口の中で「甘えないようにしなければ」と繰り返して。 --♥--  リックは付いてこない。  俊敏で理知的に違いないあの娘が置いて行かれるなんてことは考えにくいから、何かの意図があるんだろう。夜の民のあたしに、家名を明かしたこともそうだ。  ユレイシアと言った。ユレイシアは先王を、母さんを殺した男の名前。彼女は母さんを殺した男の、娘。  はあっ、と吐いた息は何だろう。胸の奥に、言葉にできない感情がまとわりついて渦を巻いている。どうしてあたしに、そんなに愛らしい表情で名前を明かすことができるんだろう。どんな考えがあって、どんな悪意をもって。  ――殺さなければならない。お母様の最期の願いを、あたしが叶えないわけにはいかない。  それなのに瞳の奥には、まださっきの光景が焼き付いている。巨大な魔物を蹂躙し、やわらかく微笑む少女。ぞくりとする美しさと、抱きしめたくなるような可憐さ、そしてこの『森』の闇よりも深い瞳があたしの胸を高鳴らせる。もういちど、あの顔を見てみたい。  いつもそうだ。あたしが願ったものは、周囲が願ったものとは違う。  殺さなければならない。それでもできれば殺したくはない。……それでも、あの娘を手にかけたくはない。それでも、それでも――
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