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第2話:リック、『黄昏』からのお誘いを断る
--♥--
「これって食べられますかね?」
焚火に照らされるリックは、綺麗だった。そう思ってしまう自分の気持ちは情けなくなるくらいに単純で、泣きそうにもなる。
彼女の青く深い瞳は焚火で燻される『色狂い』の足に向けられている。昨日に続いて襲ってきた別の奴で、リックは同じように首を切り落とし「食べることができるのでは?」と足を一本持ってきていた。お腹の音がいよいよ隠しきれなくなった時点で、あたしが休憩を提案して今に至るという訳だ。
煙はもうもうと立ち昇って、視界は悪いし目に沁みる……泣きそうになる原因はこっちのせいか? とにかく、リックが食べようとしている『色狂い』の足の悪臭が煙にのってきて、吐き気さえ催させる。
リックは綺麗だ。たとえ『色狂い』の悪臭に包まれていても、その可憐さは変わらない。でもその美しさが変わらないように、悪臭はどこにあっても悪臭だ。
「毒があるとは聞いたことはないけど、あたしは遠慮しとくよ」できるだけ鼻で息をしないようにすると、声が少し変わってしまう。逆に、リックは臭くないんだろうか。あたしが神経質なだけ? それともリックはなんとか我慢しようとするあたしを見て、心の中で笑っているのだろうか。
「そうですか? お肉を食べないと力が出ないですよ?」
それ、肉か?
「夜の民は、何も食べなくても生きていけるんだよ」
「まあ。夜の民の皆様は人喰いの魔物と教えられていますが、それは誤りなのですか?」
「あたしたちは食べた生き物の力を奪い取れる。肉を食べるのはそのためだけ。最近の奴らは見境なく食べるけど、誇り高き夜の民はそんなことはしない」
「そうなんですね。……力を奪う、ということは、もしもシャッテが『色狂い』さんを召し上がったら、背中から大きな鎌が生えてきたりするのですか?」
「そうだよ。『色狂い』ばっかり食べてたら、最後はカマキリになっちゃうんだ」
リックは口に手を当てて「まあ」と驚いた。
「……嘘だよ。これは子どもの躾。だからバランスよく何でも食べろって、若い奴らはよく怒られてたよ」
「うふふ、我々と同じですね。わたくしも野菜も食べなさいとよく怒られました」
そんなやり取りをしながら、リックは『色狂い』の鎌をナイフで裂いていく。首を刎ねたものとは別のナイフみたいで、殻を裂くのに手こずっている。5回ほどナイフを動かした後、パキッという音がして殻が割れた。その中には黄色だか橙だかの半透明の膜に包まれた白い肉のようなものが詰まっている。
「おいしくなあれ、おいしくなあれ……」
リックは歌いながら『色狂い』の肉を枝に刺して焚火にくべた。粘液が火に落ちて「じゅう」と蒸発していく。その煙に乗って、悪臭が立ち込める。真心を込めたところで美味しくなるようなものでもなさそうだ。
「……あたしは木の実でも取ってくる。もしも待っててくれるなら一緒に食べよう。だからあたしが戻るまで警戒は怠らないでね。魔獣が出たら、大声で呼ぶんだよ」
「かしこまりました。約束ですよ、一緒にご飯を食べましょうね。こっちもきっと美味しくなりますよ」
ならない。それでもリックの微笑んだ瞳を見ると、悪臭さえ麗しく思えるから不思議だ。
「それじゃ」と手を振って舞い上がり、彼女から離れると、ふうっと溜息がでる。リックの顔を見ると、心がざわついて仕方ない。お母様の仇の、吸い込まれそうになるほどの美しい少女。無垢な表情で、悪臭を放つ魔獣の肉を焼く殺さなければならない相手。自分がどうしたいのか、どうすべきなのか、彼女の目を見ると分からなくなって、嫌だ。
---☆--
「森」は暗く、広く、恐ろしい。かつてお父様はそう仰いました。何を守っているのか、凶暴な魔獣が闊歩していて、そこでは人間を含めて捕食者と被食者の境目は曖昧なのだ、とも。実際にわたくしを食べようとしていた『色狂い』さんが、今やわたくしのお晩御飯となってしまいました。
シャッテと一緒に食べようと約束をしましたが、お腹が空いて我慢できません。……一口だけならバレませんよね、と一口かじってみれば、そのお肉は筋張って硬く、魚の肝にお砂糖を少し振ったような味がして、後からつーんとした酸っぱさがこみ上げてきました。後味は、妙にコクがあるというか、口の中にずっと残っている感じです。焼いてる間も臭かったですし、二本目には手が伸びそうにありません。げろげろ。
「森」に入って、一日は経ったでしょうか。曖昧な物言いになってしまうのは、ここでは陽の光はほぼ差し込まず、そのかわりにいくつもの奇妙なきのこが薄ぼんやりと発光していて、寝ても覚めても満月の夜のような感じなのですが、シャッテにはちゃんと時間が分かるようです。
ただ一点、「良い子はもう寝る時間だね」とか「コケコッコー。朝だよ、可愛いリックちゃん」とかなどとわたくしを子ども扱いしてこられます。これはわたくしにとって不満です。ぷんぷん。ひょっとしたら夜の民の中ではわたくしは子どもなのかもしれませんが、お父様曰くわたくしはいつでも子どもを産める年齢なので、わたくしはもう大人です。折を見てそう伝えなければ、いつまでもお子様扱いのままです。
その他については、まったく不満なく、気を使っていただけています。誇り高き夜の民を自称するだけあって、心強い限りです。わたくしの望むことをよく分かって、わたくしが何かいう前に行動してくださいました。
先程も、わたくしが空腹を感じるかどうかのところで、シャッテは休憩を提案してくださいました。焚火をつけてくれたのも彼女です。『色狂い』さんを焼いているときの悪臭にも何も言わず見守ってくださいました。もっとも、魔物の感性と鉄の民の感性は違うのかもしれませんが。
魔物とは人の心を誑かし堕落させるものと聞いていましたが、話してみればとても気の利く優しい方です。あまりに気が利くので自己決定を全て擲って全部を任せてしまいたくもなりますが、今は「森」を抜けることが先。その後でお家の復興が成れば、魔物にも優しい方がいるということは色んな人に伝えてあげようと思います。
そんなことを考えているうちに、帰ってきたシャッテは、わたくしのこぶし二つ分はある大きさの黄色い果実を腕いっぱいに抱えていました。
「まあ、ルゴスロの実ではないですか!」思わず叫んでしまいます。一個あれば十人の召使いが一月は雇えるという高級果実!「こんなところに生えているのですね」
ふふっ、という声。見るとシャッテは微笑んでいました。
「……何か?」
「笑ってた方が可愛いよ」
「あら、わたくし笑っていましたか?」手で口を覆って、確認すると、確かに笑っているようでした。「失礼いたしました。あまり人前で笑うなと言われていますのに、ちょっと気が緩みましたね」
「えー。いいじゃん、笑っときなよ。笑っちゃいけないなんて変じゃない?」
こういう風に、シャッテはわたくしの事をたくさん褒めてくださいます。褒められるのは大変ありがたいのですが、それに甘えてしまうと相手に失礼な行いをし兼ねないので弁えなければなりません。
「あまり感情を表に出すことは淑女の行いに反します。夜の民はそのように習わないのですか?」
「なにそれ? そんなの初めて聞いたよ」
シャッテは首をかしげながらルゴスロの実を割って、半分をくださいました。橙色の果肉から、甘い香りが漂っています。
「まあ、難しい話は置いといていただこうじゃないか。詳しい自己紹介もまだだったしね」
そう言うや否や、シャッテはルゴスロの実にかぶりつきました。とても上品な食べ方とは言えませんが、きのこの薄明りに照らされる彼女は、それでも美しく見えます。
おかしなものです。魔物を、しかも女性に対して美しいと思うことがあるなどと、三日前のわたくしでは決して思わなかったでしょうから。
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