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なぜかリックはすこし恥ずかしそうな表情をしながらあたしの目を見た。その瞳を意識すると、自分がどうにかなってしまいそうになって、なんとなく目を逸らしたけど、リックはあまり気にしていないようだった
「自己紹介……といっても、今わたくしが伝えられるのは、名前がリックというくらいです。ごめんなさい、お家の事情で詳しいことは言えないのです」
しゅんとしたリックは、年相応に見えて可愛らしい。
「別に大事なことだけじゃなくて良いよ。特技とかがあればそんなのでも伝えてくれたらうれしいけどさ」
「特技ですか……そうですね、ナイフ投げくらいのものです。狙ったところから左程外れずに投げることが出来ますよ」
「へぇ~」
と相槌を打ちながら『色狂い』に投げたナイフのことを思い出す。リックは『色狂い』の鎌を目掛けて投げていて。この娘からするとナイフ投げの方が自慢であって、あの体術は特技の範疇じゃないのか。……という事を聞いてみたかったけど、それは彼女の話せない部分にも触れてしまいそうなので、ぐっと我慢。
「今度はあたしの番だね。あたしはシャッテ。ご存知の通り夜の民で、元々は……その、人探しでここに来たんだけど、今はその人を探すのはいいかなってなってる。特技は、そうだなあ、身体が透けることと、ちょっとした魔法を使えるんだ」
「魔法! どのようなものですか?」
リックは途端に目を輝かせて身体を乗り出してきた。
「言う事を聞かせる魔法だよ」本当は生き物に使って言いなりにさせるんだけど、と言わなかった自分を後で褒めてあげよう。「例えば、そうだな……リック、ナイフがあったね。ちょっと貸してみて」
リックはルゴスロの実を切っていたナイフを渡してくれた。
「……ちょっと魔方陣を書き込むけど、大丈夫?」
「ええ。そちらは何の変哲もない物ですので、お構いなく」
そちらは、ってことは『色狂い』の首を刎ねた方のナイフは何か特別なものなんだろうな、と頭の片隅に置いておく。もう少し仲良くなれたら聞いてみよう。
「それじゃ遠慮なく」
尖った石を見繕って、柄の部分に丸く切れ込みを入れてやる。……よし。
「……はい、できた」
「あら」リックは少し拍子抜けした表情だった。
「魔法と言うと、もっとビカビカ光って煙がもくもく立ち上がるものだと思っていました。……どのような魔法をかけたのですか?」
「言う事を聞いてくれるようになったよ。……具体的には名前を呼んだら手元に戻ってきてくれるよ。すごいでしょ」
「わたくし、このナイフの名前を知りませんが、鍛冶屋さんに尋ねればよいですか?」
「ううん、適当に付けても大丈夫だよ。初めてできた友達の名前とかにしたら愛着が湧くかもね」
「それはちょっと……恥ずかしいですね」
意外と初心なところがあるのかもしれない。実際に試してもらって、そこから交友関係でも聞ければ良いのかなと思ったけど、貴族の娘なら、交友関係には楽しいことばかりじゃないだろう。
「まあ、その、なに? 魔法なんていつでも試せるからさ。あとあたしの特技と言えば、面白い話をいくつか覚えてるってくらいかな」
「面白い話とは?」
「ん? そうだなあ。人間に一番受けるのは――『ラフラニールの鎧』かな」
ラフラニールとは、魔物の八王を打ち取った鉄の民の英雄。そしてリックの父親の名前――
「まあ! 有名な叙事詩ですね」だけどリックは全く意に介していないように笑った。こういう揺さぶりみたいなことはよくされていたんだろうか。「少しだけ読んでもらったことがありますわ。でもあの話、長くて聞いてると眠くなってしまいます」
もっと父親について突っ込んで訊いてみたら――という考えとは別に、別の思いもあふれ出してくる。……もっと、普通におしゃべりしたい。
「眠くなると言えば、『されど眠ってはならぬ』だよね」――5章、ラフラニールの夜襲を警戒する牙の王が、臣下たちに警戒を促す場面――「『目を閉じてはならぬ。視界が暗闇に閉ざされた時、かの者の剣は我らの喉元に届くだろう。さすれば我らの牙はやがて彼奴等の剣となりて、我が同胞の胴に突き刺さるやもしれぬ。眠ってはならぬ。眠ってはならぬ。……しかし、ああ、眠い、眠い』」
少しそらんじて見せると、リックはその瞳を一際大きくしてあたしを見た。揺さぶりをかけようとしたことの、罪悪感が心の底から吹き上がる。
「今のところ、わたくしも覚えています。最後の『ああ眠い眠い』のところでわたくしも眠くなってしまって、なんだか凄く好きでした。……ねえシャッテ。どうしてあなたは人間の叙事詩について、わたくしよりも知っているのですか?」
その瞳を向けられたまま、身体を寄せられると、心臓が情けないくらい素直に高鳴るのが分かる。甘えるようなこの姿勢であっても、リックの深い瞳はあたしのことを深く見透かそうとしているようにも見える。
「――シャッテ?」と無邪気に促してくる彼女は可愛くて、そして、怖い。ひょっとして、あたしの立場をすべて分かったうえで、あたしを弄んでいるんじゃないだろうかと思うほどに。
「……人間のことを知っていないと仲良くなれないでしょう?」ふむふむと頷く彼女は本当に興味を持っているように見える。
「だからあたしたちは人間のことを沢山知る。どんなものを好んで食べるのかは勿論、身体を走る血の管の構造とか骨の生え方も。どこの土地にどんな英雄がいて、どんな物語があって、それにどんな気持ちを寄せているのか……などなど、覚えることが結構あるんだよ」
「……お父様から聞いていたのとは少し違うようです。どうしてそのようなことを?」
彼女の口が「お父様」という度に、あたしの頭がぴりぴりとしてくる。
「……血生臭い殺し合いよりも、どうせなら楽しく生きたいでしょ? あたしたちの寿命は長いんだから、楽しくやらなきゃ。食べたいと思った相手がいたなら、五十年くらい添い遂げて、死ぬ寸前に許可が下りれば食べれば良いのさ」
「お父様は、容赦のない人喰いの魔物だと言っていました」――この娘の父親はラフラニール・フォン・ユレイシア。お母様の仇、お母様を慕っていた一族がこの子の首を待っている。……それがどうした。「――それは誤解ですか?」
「前も言ったけど、最近はそういう血生臭い奴が多いね。誇り高き夜の民としては嘆かわしいよ」
「誇り高き……ねえシャッテ、『誇り高き夜の民』とは何なのです? 普通の夜の民に誇りは無いのでしょうか?」
願ってもない話題だった。お父様の話題にならなければ何だって良い。自分から振っておいて情けない限りだけど、リックに父親のことを話してほしくなかった。
「よくぞ聞いてくれました。誇り高き、ってのはあたしが勝手に言ってるだけなんだ。何でかって言うと、昔、ある騎士と戦ってね」
「騎士!」リックは光りきのこにも間違えるほどに目を輝かせていた。
「その時のあたしは誇り高くもなにもなかった。だから言われるままに誑かして、鎧を剥いで、身体を重ねたよ。なんてことない。そうなれば夜の民に勝てる人間なんていない――と思ってたんだけどね」
まあ、と驚いた顔をしながらリックは話の続きを待っていた。
「……身体は完全に堕とした。お母様に誓って、あいつはフニャフニャだった。でも心までは折れなかった」
「……と、言うと?」
「どれだけ愛を囁いても、どれだけ気持ちよくしても、あいつは最後まであたしを睨みつけてた。……いっそ諦めて、心を開けば楽だったと思うよ。でも蛇みたいにあたしを睨みつけて『あんたの思い通りにはならない』って。『人間の誇りを舐めるな』って、ね。それから、あたしはその人間に敬意を表して誇り高き夜の民を自称するようになったのさ」
「……それで、その騎士の方は?」
「……さあ、どうなったと思う? 当てたら教えてあげるよ」
「まあ、卑怯ですね」
その時の彼女はとても楽しそうに見えてしまい、なぜか辛い。どうして彼女はこんなにもあたしに近付いてくるのだろう。この子の出自を知らなければ微笑ましいと思ったかもしれない。けれど蛙を飲み込んだ蛇が二度と蛙を吐き出さないように、知ってしまった事実を忘れることはできない。この娘はお母様の仇。一族の宿願。殺さなければならない相手。無邪気を装う貴族の女。
……この娘が何を考えているか、食べてみれば分かるかもしれない。そんな気持ちが小さな泡のようにぷつ、と湧いて、すぐに首を振った。
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