【短編】注文の多いラブレター

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私は、恋をしている。 正確に言えば、マスターの淹れた香り高いコーヒーの美味しさに、恋をしている。 三か月前。今にも雨粒が落ちてきそうなどんよりとした空を見上げながら、私は駅までの道のりを急いでいた。 降ってくるかも。そう思った瞬間、ポタリと頬に一滴ヒットした。傘を持ってこなかったことを後悔していると、あっという間に雨あしは強くなった。手を雨避けにして、どこか避難できる場所を探していた時、『OPEN』の文字が目に飛び込んできた。 趣きのある木製の門の脇に、シンプルな黒板があった。立ち止まり確認すると、そこにはコーヒーや紅茶、食事のメニューが丁寧な文字で書かれていた。 カフェだ。助かった。雨はいつの間にか大粒になり、地面を跳ねている。雨宿りを兼ねてひと息つこうと、敷地内に脚を踏み入れ、入口の扉を開けた。 店内は思っていた以上に暗かった。それは落ち着く薄暗さ。ほっと肩の力が抜けるような、薄暗さ。趣味の良い音楽がかかり、焙煎の香りがふわりと鼻をかすめていく。楽しそうな話し声も店内の奥から聞こえてきた。 「いらっしゃいませ。何名様ですか?」 『あ…一人です』 「お好きな席へどうぞ」 店内をぐるりと見渡す。手前にはソファ席とテーブル席、奥にはカウンターがあった。そのカウンターの一番奥に、男性客が一人いた。二人掛けのテーブル席と迷ったけれど、結局私はカウンターを選んだ。男性客から二席開けた手前に腰を下ろした。 「初めてですか?」 メニュー表とお水を持った店員がやってきた。 スラリとした長身に、白いワイシャツがよく似合っている。バリスタエプロンをしているということは、この男性がマスターなのだろうか。どこからどうみても30代。 『はい。急に降ってきちゃって、目の前にこんな素敵なカフェがあるから思わず入っちゃいました』 「ありがとうございます。雨、結構降ってますね。ゆっくりしていって下さいね」 男らしい風貌に、清潔感のある身なり。笑顔はとてもチャーミングで声は柔らか。それに、雰囲気はどことなく色気が漂う。これでコーヒーが美味しければ言うことはない。久しぶりに居心地の良さそうな店を発見して、嬉しくなった。
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