第22章 温室を出る

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実際には悩むまでもなく。わたしの生活の中で柘彦さんと接する機会は、以前にもまして全然なくなっていた。 最近は忙しいのか、呉羽さんもクリスマスのお披露目パーティーの打ち合わせのために立ち寄ることはあるがそれだけでぱっと帰っていく。あるいは思いついたように車で夫を迎えに来て、嵐のような勢いで彼を連れて去っていくか。 お屋敷のホールの改装は既に完了していた。だけどそこを使うのは満を持してのことで、本番のパーティーまでの間の社交は外で済ませるつもりらしい。そのたびに連れ回される彼の能面のような顔を遠目に見るにつけこのままでいいのか。とぐさぐさと胸を刺される思いに悩まされた。 それ以外には彼は自室からほぼ出てこなくなっていた。だから悩んでも迷っても関係なく、どのみちわたしが彼と話すチャンスは全然ない。 以前みたいに四階の彼の部屋の前まで行ってノックする勇気があればもちろん話は別だが。さすがにそれはちょっと…。 ノマドを抱えて自分の部屋の中を熊みたいにうろうろ歩き回って、思いきってそのまま尋ねて行こうか。と迷い続けるときもあったが、結局決断できないまま着々と毎日が過ぎていった。 そうしてるうち、ついにパーティー本番の日がやってきた。 当日前後はさすがのわたしもろくにものを考えてる余裕もないくらい、ばたばたと慌ただしく駆けずり回る羽目になった。 忙しいこと自体は悪いことじゃない。考えたり悩んだりする隙間がある方が気分は重くなるし。立ち止まってる時間がないくらいの方が気楽と言えば気楽だ。 だけど、そんな割り切った思いも。会場で見せ物みたいに周囲を取り囲まれ続けてる彼を遠くから目にするたびいっぺんに吹っ飛んで、ずんと現実を突きつけられた気持ちになる。 まるで美しさで目を引く珍しい高価なペットの扱いだ。一見皆にもてはやされて崇められてるみたいに見えなくもないけど。飛び交う言葉はペットショップのショウウインドウの前でのお喋りみたい。 「まあ、本当に。こんなにお綺麗な男性がこの世にいらっしゃるのねぇ…。儚げで透明感があって、妖精みたい。世間から身を隠してひっそりと過ごしてらしたところをしっかり見出して。藤堂さん、そういうところはさすがやり手の腕ね」 「あそこまでお美しいとむしろ羨む気にもなれないわ。わたしなんか、とてもじゃないけど。お隣に立つ勇気も出ないわよ。…ああ、でも。いくらでも見ていられるわぁ。そういう意味ではやっぱり、羨ましいかも。毎日あんな素敵な方のお姿を見られて…」 「あの純白の髪が神秘的。非現実的存在ね。まるで少女漫画の登場人物みたい。二次元から飛び出して来たんじゃないかしら」 やけに上品な口振りの囁き声の内容は普通にミーハーなのが何とも。上流の上澄みの方々とはいえ中身は一般の女の人たちと大して変わらないもんなんだ、当たり前だけど。 それより何より、うっとりと彼を褒めそやし羨む賞賛のほぼ全てがその外見の話に終始してるのがなんともつらい。遠巻きに様子を伺ってる限りでは確かに、最低限の自己紹介と無難な相槌以外ほとんど口を利かないんだから内面の評価のしようがない。と言われてしまえばそれまでだが。 常に四方八方から無遠慮な視線に晒され続けてる彼のそばに何とか近づいて、大丈夫ですか?って訊きたかった。きついならもう無理することないですよ、お部屋に戻って休みましょう。これだけやれば義理も立ったし。役割は充分果たしたはずです。 そう言って誰が何と言おうと構わず彼を促してその場から連れ去れたらいいのに。そうは思ってもごった返すパーティー会場の中を強引に横切ってまでして真ん中まで行けない。 今晩でクリスマスは終わるし、あと少しの辛抱だから。お開きになったら誰が何と言おうと直接彼に声かけて体調が大丈夫かどうか確かめればいい。 その場はとにかく自分にそう言い聞かせ、気持ちを切り替えて今は目の前の仕事に集中することにした。 彼を会場中あちこち引き連れて次々紹介して回る呉羽さんの得意げな声が立ち去るわたしの耳に刺さる。 「年が明けたらしばらく、休暇を兼ねて二人で渡米するつもりなんです。せっかくだからお付き合いのある方のところにもひと通り挨拶して回りたいし…。この人、この歳まで海外に行ったこともないんですよ。暮らしぶりに余裕もあるのに、どうして?って初めて聞いたときは思ったわ。一緒になってからやっと実情がわかって納得したけど…。こんなに自分から動くのを億劫がる人なら。確かにわざわざ手筈を整えてまで旅行するなんて、なかなか機会に恵まれないわよねって」 「じゃあ、こういう段取りのお得意な行動力ある奥様を見つけて正解だったね。殿様みたいに全て采配を任せておいて海外旅行できるなんて。なかなか優雅な話だよね」 男性の声で面白がるように合いの手が入る。わたしはそっちへ思わず向き直りそうになるのをぐっと我慢した。 やっぱり、ほんとにアメリカに行く予定は組まれてたんだ。 澤野さんの口からそれとなく匂わされてはいたけど。あれ以来誰も話題にすることもないから、このまま流れてしまえばいいなと胸の内でこっそり願ってた。
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