第21章 見ないふりはできない

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…わたしはため息をついた。やっぱり、理屈に基づかない情緒的な反論してくる哉多しか想像できない。自分がそう思うから間違いない、ってずっと言い張られたら。結局説き伏せられなくて最後には根負けしそう。 わたしの両親や育ちが問題も、お互い若過ぎて将来の気持ちの変化が不安も説得材料としては難しい。としたら。 ちょっと憂鬱な思いで花の付け根に鋏を入れた。ぱちん、と鳴る音が思いのほか周囲に響き渡って思わず首をすくめる。 …結局。言いにくくて言えなかったことをはっきり口にするしかないのかな。つまり、わたしはあんたのこと好きってわけじゃない。恋愛感情があって受け入れたんじゃないから、って。 てっきりそっちもそうだと思ってたから今まで平気で付き合ってられた。だけど、哉多の方に多少なりとも特別な気持ちがあるんだってことなら。こっちの思いがそれとはずれてるのに、見てみない振りして一緒になるのは。結果、いつかゆくゆくはトラブルのもとになるんじゃない?…って。 そこでわたしの脳内の仮想『カナタくん』が、ためらいもなく堂々と言い返してくるさまが脳裏にやけにリアルに映った。 「うん、それはもう知ってる。だけど別に大したことじゃないよ。こっちもお前が俺のこと好きかも、なんて最初から思ってないから」 …そうだった。 眉根にしわを寄せ、慌てて結婚を申し出られた日のあの会話を思い返す。あまりのことでその場では飲み込めなかった数々の言葉の中に。そんな台詞もあったような、…気が。 確か自分の方は遊びのつもりなんだと思わせとかないと、わたしがびびって逃げ出すと踏んだから。好きだとはあえて言わなかった、って聞いたような。それにお前の気持ち教えて、とか眞珂は俺のこと好きなの?とかは結局尋ねてこなかった。 言われたのは自分がどれだけお買い得かってことと、他に結婚を考えるような男も他に周囲にはいないだろうから俺で手を打ちなよみたいな話だったと思う。いえ実は、わたしのあなたへの気持ちは正直恋愛じゃないんです。と身を切るような思いで口にしても、それはとっくにわかってるから。とあっさり受け流されるのが関の山なんじゃないだろうか。 …じゃあ、あえて。いっそのことわたしはあんたが嫌いなんだ、そばにいるのも嫌。と思いきって伝えたら? ちらと考えただけでもう無理、と諦めて力なく首を振った。さすがにそんなこと言えない。だって、それはやっぱり嘘だし。 哉多のことは嫌いじゃない。好きか嫌いかって言われたら好きの方寄りだと思う。こんなうち捨てられたしょぼい野良猫みたいな女に目をかけて、わざわざ構って抱きしめてくれた。 落ち込んでずるずると沼に沈んでいきそうなときに体温で包んで、寂しさを紛らわせてくれた。それでいて自分を好きになれと無理強いしてもこないし。それはそういうもんだ、と割り切って受け止めてくれてる。 恋愛じゃなくてもいいから居心地いいなら自分のとこにに来て、二人で穏やかに幸せを作ればいいって言ってくれた。これほど理解度の高い口説き方、わたしののちの人生でもそうそうお目にかかる機会もないかもしれない。 …わたしは花鋏をエプロンのポケットに放り込み、集めた咲きがらや落とした葉っぱや枝を入れた袋を手に移動を始めつつ考えた。 だったら。もう諦めて結婚するか。そうしちゃえばこれ以上悩む必要もないし。進路も自分の未来もどこかもやもやした漠然とした不安も、あいつと入籍してこの館を出てしまえば全て考えなくてよくなる。今の悩みや迷いも全部ばっさり終わりだ。 恋愛感情はないけど嫌いじゃない、一緒にいてまあまあ気楽な相手と新しい生活を始められる。ああ見えて意外と全貌が見えないというか。掴みきれないところのあるやつだけど、心根はそう悪くないと思うし。わたしに対してある程度の気遣いはしてくれるはずだ。 理性ではそう悪くない話だとわかってはいるのに。どこかでそれはやっぱり無理だろう、と感じてる自分がいる気がする。 でも。それが何故なのか、自分でもはっきり説明ができない。若過ぎるから、手に資格も職もなく家庭に入ってしまうのは何だか心許ないから。 …それもある。あるんだ、…けど。 柔らかな土を踏みしめて庭園のゲートをくぐり、お屋敷の近くまで来てふと顔を上げてその全貌を見渡した。 内部の改装はだいぶ進んでるけど外観はわたしがここに来た二年少し前とほとんど変わらない。相変わらずずっしりと重厚な、石造りの歴史を感じさせる威容を誇って建っている。 視界のなかに以前は毎日のように通っていた図書室の窓を認めて、何がどうということもなく無性に胸がきりきりと痛んだ。 冬が近いからってことも当然ある。単に寒い時季だから窓が開いてないのかもしれない。でも、この何ヶ月もの間こちらの庭から見上げたときにあのレースのカーテンがひらひらと舞う様子を見た覚えがないので。多分もう長いことずっと、あの人は以前みたいに午後の昼下がりを静かにあの場所で過ごすことはなくなってるんじゃないかと漠然と思う。
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