第21章 見ないふりはできない

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例えばわたしが結婚してこのお屋敷を出てしまったら。そのあとあの人は一体、どうなってしまうんだろう。 そんな風に考えるのは自惚れもいいところだ。現にこうして何ヶ月もずっと、彼の助けになるどころか。顔を遠くからでも伺えたらいい方で、言葉なんてもう長い間交わしてもいない。わたしがここにいることが彼にとって何の意味もないのは明らかだってわかってる。 何の役にも立っていない。だけどそれはそれとして。彼がここで苦しんでるのに見ない振りして自分だけ幸せになろうとするのもどうしてか、できない。 あの人があの日、雨の降る中傘を手にしてわたしを門まで迎えに来てくれなかったら。今頃一体どんなことになっていたかって考えたら、それに見合うほどのお返しなんて未だにかけらもできていないのに。 お屋敷で呉羽さんのお客様を接待するのに付き合わされてるときや、お得意先との会食に連れ出されるときの何も映ってない死んだような目を見るとこのままじゃいけないって思う。だけど、自分に何ができるかって具体的な策はどうにも思いつけなかった。 お屋敷の建物のすぐ近くまで来て、もう一度改めて四階にずらっと並ぶ窓を見上げる。図書室の場所を確かめて、そこから彼の居室まではどのくらいの距離だったっけとぼんやりと考えた。 思えば同じ側の並びにあるのに、柘彦さんの部屋の窓はあれだなとか外から見て確認したことってなかったな。部屋数というか、扉の数でいうといくつ間があったっけ。と廊下の長さを脳裏に思い浮かべながら思案した。 まあ、彼の部屋の窓がどれかわかっても別に何ていうこともないんだけど。あの人が窓際に立ってたまたま外を眺めてるところに居合わせられるとも思えない。そんな偶然を期待するほどお目出たくもないし。 だけど。今はあの人のいるはずの窓をそっと眺めるくらいしか、わたしと彼との接点は全然ないんだよな。 窓の形と外からでもうっすら見えてるカーテンの色で多分あれ、と見当をつけた。窓の中は外より薄暗く見える、当然だけど。明るい昼間だから室内に明かりがついてるはずない。もしかしたら眠っているのかも。 ふとカーテンが揺れて動いたような気がして、それがきっかけで自分があまりにもあからさまに彼の部屋をずっと眺めてたのに気づきようやく我に返った。 傍から見たら何してんのって思われちゃう。お屋敷の主のお部屋の窓を下でじっと佇んで、捨てられた仔犬みたいに哀れな顔して見上げているなんて。なんか、もうちょっと周囲からどんな風に見えてるか。考えて少しは遠慮しろよ過ぎる。 だけど、もうわたしにできることなんて。何の意味もないし助力にもならないと知りつつこうやって遠くから見守る、くらいのものかもしれない。 視線でパワーが送れるのなら、彼が奥さんの前で自分を主張して。嫌なものは嫌だとはっきりきっちり断れるようになるまでわたしの分を削ってでも支援できたらすごくいいんだけどな。と未練がましくもう一度カーテンを見つめてから、諦めて視線を戻し道具小屋の方へと足を運んだ。 そうしてる間にも。クリスマスのシーズンを目指してだろう、パーティールームの全面的改装は着々と順調に進んでいた。 「せっかくだから、ホールのオープンは大々的にしたいわ。海外からもお客様をお招びする予定なの。ケータリングはどこのシェフにお願いしようかしら?」 うきうきと弾む気持ちを隠せない呉羽さんが澤野さんと打ち合わせをしてる場にわたしも居合わせた。彼女の旦那さんの状態を考えなければ、新しい玩具を手に入れた子どもみたいに目をきらきらさせてる様子は実に楽しそうで微笑ましいというか。決して悪い感じではないと思うんだけど。 澤野さんはおっとりといくつかのお店の情報を見較べて値踏みしつつ、呉羽さんが並べ立てる希望や要望をメモしながら頷いて話を聞いている。 「この前の結婚式のときのお料理も評判良かったですよ。さすが世界を飛び回っていろんなお店を知ってる方は舌も肥えてらっしゃると思いましたもの。…人数はあのときより少ないですし、クリスマスシーズンでホールでのパーティーですから。また選定する基準も変わりますよね…」 あれこれと額を突き合わせて検討する二人にコーヒーを用意して邪魔にならないよう横からそっと供する。わたしもただそばで話を聞くだけで口は挟まないながらも一応最後まで立ち会った。当日は澤野さんの補佐として手伝いに回ることになるので。 いくつかのお店を候補として絞り、その日の打ち合わせはとりあえずお開きとなった。呉羽さんはよほど機嫌がいいのか、それとも最近は夫婦関係が上手くいってる手応えがあって余裕があるのか。立ち去り際にわたしにも顔を向けてにっこり微笑んで声をかけた。 「眞珂ちゃんも。ごめんなさいね、クリスマスにお手伝いなんかお願いして。いろいろ予定もあるでしょうに、余計な仕事入れてしまって申し訳ないわ。パーティー終わったらゆっくりお休みとってちょうだいね」 「あ、はい。ありがとうございます。…全然大丈夫です」
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