4人が本棚に入れています
本棚に追加
着なくなった洋服のほとんどをゴミ袋に詰めて、使わなくなった化粧品もすべて燃えないゴミに入れていたら、大きな埃が立ってクシャミが出た。連続して三回も出た。少し寒く感じて目をあげると、すでに西日は弱くなり、遠くのコスモクロックがライトアップされているのがわかった。私は急いで脱ぎ捨てたフリースをはおった。前のファスナーまできちんと閉じてから、立ち上がって窓を大きく開ける。冬の寒い空気が入ってきて、埃だらけになった部屋の換気をしてくれる。
Kさんのお母さんは、数年前に認知症になって特養に入ったと聞いた。私の母も同じだ。それでもKさんは実家に帰ってはいないので、やはりパートナーと暮らしているのだろう。ずいぶんと長続きしているカップルなのだなと、いつも思う。私は彼女よりも早く結婚して、早く離婚して、今も一人暮らしだ。パートナーはいない。ほしくない。
Kさんでなければ、パートナーはほしくない。
けれども、彼女にはパートナーがいる。私ではない女性と、長く一緒に暮らしている。その人のことは、何も知らない。名前すら知らない。Kさんは語ったことがない。
私は一度だけ、Kさんに言った。
「あなたが初恋の人だった。もう時効だけど」
Kさんは驚いて、「知らなかったよ」と叫んだ。でも、私をそのように見たことはなかったのだろう。揺らぐ様子はまったくなかった。
大きなクシャミが出た。いい加減、風邪をひいてしまう。私は窓を閉めて、電気をつけた。断捨離の途中で足の踏み場もない汚い部屋の真ん中で、ぼんやりとたたずんでいた。写真の入った段ボール箱に手を伸ばす。そっと開いて、一番上に置いてある、観覧車の前で撮った写真を手に取る。まだ若い私たちが、そこにはいた。私は彼女が好きだった。今でも好きだ。他の誰でもない、彼女が好きだ。好きだけれど、何かしらの欲求のない「好き」だと思う。ただ一緒にいたいだけの「好き」なのだ。
交換日記で「いつかスペインに行きたいね」、「ガウディの教会を見たいね」、「一緒に行こうね」と書いていた。その後、Kさんは海外旅行が趣味になり、休みを取ってはパートナーと共に旅に出ている。もちろんスペインも聖家族教会も、すでに行っている。私とではなく、パートナーと二人で。私はKさんと旅行に行ったことは、ただの一度もなかった。
ふと、部屋が無音であることが、悲しくなった。かけていた音楽が終わっていた。HomePodに声をかける。
「hey, Siri, TMネットワークの『Spanish Blue』をかけて」
今となっては古い歌だ。スペインの街並みを歌った、少し暗い、けれども小室哲哉らしいメロディの。この歌を二人で歌いながら、スペインへ行きたいねと話したものだった。私はまだ、スペインへは行ったことがない。この先もきっと、行くことはない。
コスモクロックがまわり、時間は進む。私たちは今だって親友だ。私たちは、今だって。
写真を手に持ったまま、私は少し泣いた。年賀状の返事、どうしようか。メールをしようか。やめようか。「お茶でもしよう」と言おうか。やめようか。
観覧車のライトアップが、滲んで見えなくなった。
【完】
最初のコメントを投稿しよう!