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神戸出張は二泊三日だ。礼央くんは帰国された先生のお母様が見てくださることになっているから心配は無用だ。
先生のお母様には、帰国されて早々に紹介された。若々しい印象の方で、シルバーヘアがチャーミングだった。先生と目元がよく似てらして、上品に微笑む様子もそっくりだった。
「あなたが三原さんね、真吾から話は聞いてます。至らないところばかりだろうけれどもよろしくお願いします」と、深々と頭を下げられ、慌てて私も「いえ、先生に出会っていなかったら私、就職浪人だったと思いますので。私の方こそなにかとご面倒をおかけするかもしれませんが、よろしくお願いいたします」と、お辞儀を返した。
先生のお母様は「礼央の相手は任せてね、お仕事頑張って」と言ってくださり、私は初対面から好感を持ったのだ。
神戸出張の日の朝、私は先生をご自宅まで迎えに行った。おそらく徹夜になるだろうから、朝自宅に荷物を取りに行く、と前日夜に連絡があったのだ。ならばタクシーをご自宅に呼びましょう、ということになり、私は久しぶりに先生のご自宅に向かった。
先生はご準備できているだろうか……。家を出るときに送った「これから伺います」のメッセージに既読がついていないのをなんとなく不安に思いながらも、呼び鈴を押す。数秒後に「はーい」と声が聞こえ、スリッパがパタパタと音を立てるのが聞こえた。
「おはようございます」
「おはようございます、三原さん。ごめんなさいね。真吾朝帰ってきて、さっき起きたばかりなの。ちょっと上がって待ってくださる?」
お母様の声にやはり、と思いつつもチラリと腕時計を確認する。タクシーが迎えに来るまで後十分だ。
「三原さん、すみません。仮眠するつもりがしっかり寝てしまって」
お母様の後ろから先生が顔を出す。ああ、寝癖のついた髪、うっすらと髭が生えた顎。普段は見られない、今まで見たことのない先生のお姿に、私はそっと心のシャッターを押した。
「お姉さん、おはよう!」
「礼央くん、ずいぶん早起きだね、おはよう」
お母様の脇からはパジャマ姿の礼央くんがひょっこりと顔を出す。呉林家全員が玄関先に揃ってしまったことに、微笑ましい気持ちになる。しかしここでほっこりしてはいられない。
「先生、タクシーが来るまであと十分です。お支度できますか」
「大丈夫です」
言うや先生は身を翻し、洗面所に駆け込んだ。
「ごめんなさいねぇ、ほんとに。何度も起こしたのにちっとも起きなくて」
「いえ」
「今までもこんな感じだったのかしら」
「そんなことはないです。先生はいつもきっちり時間を守ってくださいますし、締め切りに遅れたことがなくて編集の方からの評判もたいへん良いので」
「そう……いくつになっても自分の息子のことは心配になってしまうから、それが聞けて安心したわ。ねぇ、三原さん」
「はい」
お母様は私をまっすぐに見ると、深々とお辞儀をした。
「息子をよろしくお願いしますね」
「あ、はい。いえ、こちらこそ」
「さ、礼央に朝ご飯食べさせないと」
お母様はそう言うと、「礼央、朝ごはん食べちゃいなさい」と礼央くんを連れて引っ込んでしまった。
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