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いらっしゃいませ、の声がかからない。店内は薄暗く、カウンターに常連とおぼしい中年男性客が二人、ボックス席に初老の男性が二人。カウンター内に眼鏡をかけ、濃い緑色のエプロンをした男性がチラリとこちらを見る。あの人がこの店の店主だろうか。黒田さんを認めたのか、軽く会釈をする。
「あっちの奥行きましょう」
黒田さんに促され、言われた席へと赴く。
「この店はみんな座る席が決まってるんです。僕は姉と来るときはいつもここでしたので、今日はここが空いていてよかった」
「一見さんは来られない感じですかね」
「そういうわけではないんでしょうけど、結果的にそうなっちゃってますよね」
黒田さんはテーブルの隅に立てかけてあった重厚そうなメニューを取り出して開いた。表紙が木の板で、中には店主がアナログカメラで撮ったであろう写真と料理の名前、説明書きがある。
「モーニングだったらピザトーストがおすすめですね」
「では、僕はそれにします。後、クリームソーダで」
「わ、私も同じでお願いします」
「僕はフレンチトーストのセットにしようかな」
黒田さんは独り言のように呟くとカウンター内の男性に手をあげ、「ピザトーストのセットとクリームソーダ二つずつ、後フレンチトーストセットをアイスティーでお願いします」と大きな声で言った。男性は頷いた。返事はなし。
「なんというか、変わった店、ですね」
私はこそ、っと黒田さんに言った。黒田さんはああ、と得心したかのように頷き、「オーナー一人でやってらっしゃるので、仕方ないんですよ」と言った。
「店内の雰囲気といいメニューの感じといい、非常に僕の好みですよ」
先生はニコニコとしていらっしゃる。接客につい丁寧さを求めてしまう私としては多少の不満が残るけれども、先生が機嫌良くいてくださるなら、と言葉を飲み込む。
「まあ、初見だと印象悪いですよね。でもオーナーの作るフードもドリンクも本当に美味しいですし、常連の方々も買って知ったるで寛げるので、ここはいつも人気です。僕の姉も、常連になるのにかなり通ったみたいですから」
「へえ、そうなんですね」
そんなところに東京から来た私たちが座っているのはなんとも居心地が悪い。でも、そんな思いは運ばれてきたピザトーストの良い香りを嗅いだら、どこかに行ってしまった。
「これは美味しそうだ」
「フレンチトーストは時間がかかるのでお先にどうぞ」
黒田さんはそう言うと立ち上がり、カウンターに並べられたサラダを取ると私たちの前に置いてくれた。お礼を言う間もなく再びカウンターに戻り、水とおしぼりを持ってきてくれる。
「セルフだと思えば違和感ないですよ」と、私に向かって言う。不満そうな表情でもしていただろうかと焦った。
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