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黒田さんと別れた後はホテル近くの、昨日とは違うところで先生と食事をした。食事もほぼ終わり、そろそろ出ましょうかというときに黒田さんから電話がかかってきた。
「黒田さんからです。出てもいいですか」
先生に断り、電話に出る。大した用ではなかった。夏に、京都の大文字焼きを見に行きませんか、と誘われて、それも「思い出したんですが」的な言い方で誘われたので、まったくなんの意味も感じていなかった。
「黒田さん、なんのご用だったのですか」
「夏に京都の大文字焼きを見に行きませんかって誘われました」
「……そうですか」
先生の目が昏く光った気がしたのは、気のせいだろうか。
「なんで私を誘うのかまったくわかりませんけど、何かイベントとかあるんでしょうかね」
「三原さんは、行かれるんですか」
「わかりません。夏休みをいただけるかわからないですし、いただけるとしても茉麻たちと旅行に行くかもしれないので」
「もし旅行の予定がなかったら、行かれるんですか」
先生の質問が、なんだか粘着質に感じる。一体どうされたのか。
「……多分行かないとは思いますけど。それほど興味があるわけではないですし」
「そうですか」
先生は伝票をつかむと立ち上がった。
「行きましょう。今日は朝から動き回って疲れましたね。早めに休みましょう」
「はい」
先生は私を振り返らない。それもなんだか引っかかる。いつも、私が立ち上がったか、上着を着たか、忘れ物をしていないか、など気を配ってくださるのに。
ホテルの部屋に戻るためにエレベーターに乗るまで無言だった。私は明日の予定を頭の中で再確認をしていた。
「三原さん」
「はい、なんでしょう」
「お疲れのところ申し訳ないですが、僕の部屋に寄っていただけませんか」
「先生のお部屋、ですか」
「はい。先日篠和紅茶さんからいただいた茶葉の件で」
ああ、と合点がいった。やはり何か、気まずいことをしたか、言ったかしたのだろう。そのことについて知らされるのだろう……二度と、同じ間違いをしないように。
「わかりました。では伺います」
「良かった」
先生がほっとしたような声を出す。それになんとなく違和感を感じつつも、私は先生の部屋に行く、つまり「男と女が一つの部屋にいる」ことになるのを、大した意味がないこととして捉えていた。
だって先生はオトナの男なのだ。そんなことを……そんな苦悩を持っていたなんて、想像すらしていなかったのだ。
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