290人が本棚に入れています
本棚に追加
「先生……いけません、やめてください」
私は遠のきそうな意識を必死につなぎとめて先生に伝えた。先生が私にキス……? いけない、絶対にいけない。だって先生は私の雇主で上司なんだから。
「どうしていけないんですか」
先生の手は優しい。私の頬を愛おしそうに手の甲で撫でる。
「いけません、先生は私の上司です。いくら私が先生のことを好きでも、先生がわたしを好きだとしても、いけないと思います」
「三原さん……」
懸命に首を横に振る。頭がぼーっとしていて、幸せで、でも、いけないのだ。
先生は、しばらく名残惜しそうに私の頬を撫でていたけれども、やがて小さく、艶かしいため息をついた。
「……わかりました。軽率でしたね、三原さんの気持ちも考えず、失礼しました」
「先生」
「今日はゆっくり休んでください。明日は普通にしますから」
「先生」
「さ、つかまってください。立てますか」
差し出された手につかまった。まるで腰が抜けたようにふらふらで力が入らなかったけれども、なんとか立ち上がった。
「部屋まで送ります」
「はい……」
先生は、傷付かれてしまっただろうか。私が拒否したから、嫌な思いを持たれていないだろうか。
先生のことは大好きで、性的な魅力も感じているし欲もある。けれども、けれども……。
断ったことは正しかったのだろうか。それとも、もしも受け入れていたら、どうなったのか。
「明日は朝、明石海峡大橋に行ってからプラネタリウムなど、「デートコース」の履修でしたね」
「は、はい」
「おやすみなさい」
「……おやすみなさい」
静かに閉められたドア。私の中は感情の大嵐で、どうしたらいいのか、どうすべきかがわからない。
「好きって……」
唇に触れた。さっき、先生の唇が何度となく触れた、私のこの唇。私の、私の……。
先生と気持ちが通じ合ったことは嬉しかった。本当に、心の底から嬉しかったのだ。なのに、素直に喜べないもう一人の私がいる、この恋を進めるべきじゃない、と必死に止めてくる。ならば、どうしたら良いのか。
ぐるぐると頭の中でまとまらない考えを持て余しながら、私はベッドにばたんと倒れ込んだ。
最初のコメントを投稿しよう!