はじめての泊まり出張(3日目)

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はじめての泊まり出張(3日目)

 よく眠れないまま朝を迎えた。ホテルのシングルベッドで何度も寝返りを打ちながら、ぐずぐずと起きるのを引き延ばす。  先生に会うのが正直、怖い。昨日の今日で、なにか変わってしまっていないかが気になって仕方がない。それに、私は普通の態度で接することができるだろうか。  それでも時間はやってくる。先生に指定された時間にはきちんと身だしなみを整え、部屋のドアをノックする。やや下を向きながら、先生がドアを開けるのを待つ。 「三原さん、おはようございます」 「お、はようございます」  頭の上から聞こえる優しい声。先生の態度ははいつもと変わらない。にこやかな表情、当たり障りのない会話。  ホテルのラウンジで朝食を食べ、今日の行程を確認する。昨日、お互いの気持ちを知ったことも、私が先生を拒否したことも、何もなかったかのような態度に、、心なしかがっかりした。  先生は大人だ。先生にしてみたら、私は一回り以上年下で、好きだと言われたけれどどこを好きになってくれたのか全くわからない。  先生の、亡くなった奥様のことは詳細を存じ上げないが、あの写真を見る限り私と同じタイプには思えない。  私はどちらかというと真面目一辺倒で融通の効かない委員長タイプ、という自覚がある。先生の奥様は、ふんわりとした優しそうな笑顔で、とても柔らかそうな雰囲気を纏っていた。きっと、男女問わず人気があった方なのだろう。  私は、和田さんのアドバイスで少しは気にするようにはなったものの、まだまだおしゃれに疎く、女性的な面がない。体型だって貧相だ。背が高いからスレンダー、と言えば言えなくもないけれども、先生が小説で書かれている艶かしい女性たちとは真逆だ。 「どうされました?」 「いえ、なんでもないです」  トーストを持ったまま固まっている私に、先生が声をかけてくださる。先生は微笑まれると品よくスクランブルエッグをフォークで掬い、口に運んだ。  先生の唇を無意識で凝視してしまい、慌てて目を逸らす。昨日、キスされたことを思い出し、からだの中から感情が爆発しそうになる。  先生……私のことを、本当に好きなんですか?  お互いに好き、ということがわかったのに気持ちが晴れないのは、私が「上司と部下」「雇い主と雇われ」に拘ってしまっているからだろうか。  ならば、仕事における関係を解消したら素直に喜べるのだろうか……それも、違う気がする。 「先生、あの」  私は意を決して話しかけた。昨日のこと。そしてこれからのことを明確にしておきたい。 「昨晩のことなんですけど、その」 「ああ」  先生は紙ナプキンで口元を拭うと、にっこりと微笑まれた。が、感情がこもっていない、上部だけのアルカイックスマイルだ。 「三原さんのお気持ちを尊重します。仮にも僕は上司ですから、昨晩は軽率だったと改めて反省してます」 「あ……はい、ありがとうございます」  お礼を言うべき状況かわからなかったけれども、一応そう言った。 「大丈夫ですよ、安心してください。僕は相手の意思を尊重します。それは三原さんであってもなくても変わらないです」  その言葉は、先生の気配りだったのだろう。なのに、私はどこかで拗ねてしまった。  いっそ、強引に行動に出てくれれば、と思ってしまったのだ。上司だ部下だと言い訳ができないように。 「ありがとう、ございます」 「そろそろ行きましょうか。今日の夕方の新幹線に間に合わせるためにも、デートコースを効率よく回りましょう」  はい、と返事をしようとした時には、先生はもう立ち上がられていた。私は喉元まで出かかった返事を冷めたストレートティーで飲み干すと、先生の後をついてラウンジを出た。
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