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空を雲が覆っているにも関わらず、山道が妙に明るく感じられて、三郎太は嫌な予感がした。果たして空を見上げてみれば、先程までなかった入道雲が、茸で一杯になった籠を背負っている三郎太を見下ろすように天高くそびえており、それは周囲一帯が間もなく叩きつけるような雷雨に見舞われることを宣告しているかのようだった。
「冗談じゃない……!」
三郎太はゾッと背筋を震わせると、籠の中から多種の茸が零れ落ちるのにも構わず、必死に山を駆け下りる。だが間もなくすると、嘲笑うような雷鳴が響き渡り、直後には、夏の熱気に当てられ、ぬるま湯のようになった豪雨が、樹々を貫き、三郎太へ向かって勢いよく降り注いだ。
「うわーーーー!」
三郎太は悲鳴を上げ、必死に山を駆ける。背負った物の無事など考えもせず、ただただ襲い来る夕立から少しでも逃げようと、がむしゃらに走り回った。
両手は山で迷わぬようにと幼いころから教え込まれた紐結びを、走り抜ける中で無意識のうちに随所の木の枝へと器用に括り付けていたが、三郎太の頭の中は、夕立への恐怖心で一杯だった。
「来るな! 来るな来るな来るな! 俺はお前なんかに惚れたりしねぇぞ!」
叫び声を雨音と雷鳴にかき消されながら、三郎太はひた走る。籠は何処かで放り投げて紛失し、迷い対策の紐ももうない。自分が山のどこを走っているのかも解らぬまま、止まぬ夕立から逃げる中、三郎太は唐突に、何かに身体を正面からぶつけてしまった。
「がっ……!」
苦悶の声を上げ、チカチカと点滅する視界に惑わされながら、なおも三郎太は、目の前に唐突に現れた何かを手で探りながらよたよたと走る。やがて途中にある隙間へと身を滑り込ませると、そのままバタリと倒れ込んでしまった。
息が熱い。後先考えない全力疾走は、すっかり三郎太の体力を奪い、倒れ込んだ身体を起こす気力すら奪っていた。荒い呼吸を懸命に繰り返し、やがて少しずつ、息は落ち着いていく。そこまでやってようやく、三郎太はなおも雨音がするにも関わらず、自分の上に降り注いでこないことに気が付いた。
倒れ込んだ身体をゆっくりと反転させ、仰向けに寝転がると、板張りの天井が視界に広がる。そこは家屋のようだった。三郎太がぶつかったのは外壁で、滑り込んだのは、開きっぱなしになっていた扉だった。三郎太はその玄関先で、雨と泥にまみれた身体を投げ出しながら、ぜぇぜぇと息をしている。
「……た、助かった……。山小屋に着いたのか。しばらくここで雨宿りをさせて貰おう」
起き上がり、扉を閉めながら、一人呟く。外の雨はまだ激しい。雨が止み、空が晴れたところでゆっくりと帰ろう。山小屋からの帰り道は知っている。夕立が過ぎ去った後でも、暗くなる前に帰路には着く。山菜は全部だめになったが、仕方ない。
一人呟きながら、三郎太はゆっくりと振り返り……そして、思考が一瞬停止した。
廊下が続いていた。大人三人が横並びになってもなお余裕のある大きな廊下が、奥へ一直線に続いている。左右に張られている襖には、鶴や富士などが大きく描かれ、金銀琥珀でもまぶされているのか、それらはキラキラと輝いている。
自分の知る山小屋ではない。
三郎太が今いるのは、控えめに見ても立派な屋敷の、玄関先だった。廊下には、既にだいぶ時間が経って乾いた泥で出来たと思しき足跡がついていて、それは奥へと歩いていた。
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