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 それから僕はなるべく毎日マツコさんを訪ねた。彼女のおばあちゃんは、僕らが仲よくしていることを嬉しそうに見守ってくれていた。  僕らはいろいろと楽しんだり、話した。  調子の悪いときのマツコさんは、身体中が痛くて動けなかった。金づちで叩かれているようだと、つらさを教えてくれた。  親しくなって、彼女は病状を話してくれるようになった。  実は僕が会ったころには関節がこわばることがあって、首や腕が動かしづらかったらしい。動かそうとすると激痛がともない、あの二の形も悲鳴をあげたかったらしい。  そして、同じような病状で母親を亡くしていて、母親よりも進行が早いことから、彼女は自身の命が長くないことを悟っていた。  マツコさんの身体の調子がいいときもあって、浜辺で貝拾いをしたり、砂浜に絵を描いた。  でも、体調の悪い日のほうが多くなって、七月にはいると咳きこむようになった。 「薬飲まないの」  と、聞いたことがある。 「うち、お金、ない。けど、飲んでも、治らない。おかあさん、そうだった」  そうマツコさんはあえぎながら答えた。  僕は自分の無知を恥じた。  藤野家が裕福で、自分が(やまい)とは無縁だったとは言え、薬の入手が難しいことに考えがおよばなかったのはなんて(おろ)かなのだろうと。  七月二十九日。入隊前日。僕は家にあるの薬を持ち出した。
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