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落ちそうなハマボウの前で「ハマボウ」を歌うマツコさんは、力づよかった。
楽しい思い出をつくる、という前向きな姿勢が生き生きとさせていたのだろう。
夕立のなかハマボウは散った。けど、マツコさんはその日も生きぬいた。
「またいっしょに楽しい思い出を」
と言って別れた。
もう生きて会えないだろうと感じながらも。楽しい思い出をつくりたいという願いがあれば、運命を変えられる気がしていた。
そして、その日、藤野家に帰ってきて戸を開けると、伯父に地面に叩きつけられた。
「てめぇ、この泥棒が!」
軍服姿のかっぷくのいい伯父が、転がった僕のえりをつかむ。
「忙しい俺が、勝手に志願したやつの壮行会なんてのに来てやったのに。なにしてやがる!」
えりをつかまれたまま僕は持ち上げられ、また地面に飛ばされた。
「あなた、やめて」
と、止めにはいったゆきさんは咳きこんでいる。
「ゆき、さん?」
どうやら、咳止めはゆきさんのための薬だったらしい。
「ごめんなさい! いますぐ買ってきます」
僕は走りだし、無我夢中で薬屋や医者を駆けまわった。マツコさんに渡したものをもう一度取りに行く気にはならなかった。
田舎に薬屋や医者は少ない。そうでなくても、置いてある薬はわずかで、咳止めを求めてさまよった。
ようやく五包み見つけたときに、僕はお金を持ってきてないことに気づいた。
陸軍中佐である伯父の名前を出して、ツケにしてもらえた。
そう僕は、軍人という権力を嫌悪している僕は、その威光に頼ったのだ。
伯父の力がなければ、自分は無力であることを知った。伯父のおかげで僕は生きていたのだ。
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