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今からおよそ数百年前のハンガリー
──
「あと少しですよっ、しっかりなさって下さい」
「あぁぁぁっ」
何百年もの歴史を持つクラウス家の屋敷では、一人の婦人がまさに出産の最中にあった。
美しさもさることながら、それを上回るほど豊かな教養を持ち合わせる彼女は、国内に数百ホルド(1ホルド=11エーカー)の荘園を管理する領地主の妻であり、夫との間にはすでに六人の児をもうけていた。
薄暗い産室には髭をたくわえた老齢の医師と下女の数人がランプを掲げて腰高のベッドを囲み、今か今かと子の誕生を待っている。
空には一面黒く厚い雲が垂れ込め、時折濁ったような雷鳴を轟かせていた。
珍しいことに屋敷の裏手には木々に囲まれた墓地があり、そこから立ち上る靄を潰すようにして大粒の雨が迫る頃、ようやく婦人の叫びと共に開く脚の間から胎児を包む羊膜が現れてきた。
「破水がない、しかしいよいよだ。
布の準備を」
煌々と照らす灯りの下、子を受け止めようとする医師の首が傾いだ。
「、、、被膜児か」
出てきたのは頭ではなく、半透明の液体を抱えた袋状のもので、羊膜と呼ばれるその中に赤子が身を丸め拳を握っていた。
「破るぞ、もっと布を」
医師が銀製のハサミで羊膜を破ると、中にいる子供の動きが止まった。
「先生、背中に何かありますわ。
これは、、、痣、でしょうか」
小さな子の背中、その肩甲骨の中心に花びらを思わせる楕円形の痣が重なるように幾つか浮かび、それぞれが赤い筋を何本か伴っている。
「それよりも子供が息をしていないようだ。
すぐに蘇生させなければ」
老医は子供の両脚首を片手でまとめ掴むと、
逆さに吊り、雨音に負けぬ強さで尻を叩いた。
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