夕立の下で始まる一歩

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 呼人は御神木のすぐ傍にいた。しめ縄で隔たれた向こう側、僅か数歩の距離を詰めるのに抵抗を感じて近寄れる限界ののところで空を見上げていた。あと少し、あと少しで真上に一番強い雷雲がやってくる。こんなに研ぎ澄まされた感覚は初めてだ。高揚する気持ちのまま呼人は左手を空に掲げた。落ちてくれないだろうか。落ちたら雷の弟子になれるんじゃないだろうか。最悪、命を落としても……後悔なんて。しないと続けようとして少しだけ胸が痛んだ。小さな棘が刺さったような気がかり。ダメだ、雨歌アマネは雷が嫌いだ。一緒にいられない。そう迷いを払おうとしたその瞬間、  「呼人‼」  雨音にも雷鳴にも負けない大きな声が響いた。  「え……?」   瞬く。目に入る雨を瞼で押し流し、それでもすぐに濡れるから手で庇を作って仁王立ちしている姿を凝視する。ありえない。雷光に照らされてアマネの泣きそうな、もどかしそうな、怒った瞳が強く光った。体の両脇で拳を握り締めてアマネが叫んだ。  「雨の方が、守ってる! 雷よりもずっと呼人を守っているんだから‼ 雷よりずっと身近で、呼人の傍にいるの! 雷より私がっ、今度は私が守るんだから‼」  「!」  がくりとアマネの膝が崩れた。とっさに腕を伸ばして受け止めた背後で凄まじい音と光が炸裂する。呼人はアマネを守るようにしっかりと抱きしめて身を伏せた。耳鳴りがしてぐらつく頭を押さえ腕の中のアマネを見て血の気を引かせる。閉じられた瞼、青ざめた頬。恐る恐る触れた肩の冷たさに息を呑む。  「あ、お前、雨歌、雨歌、しっかりしろ」  返らない反応に焦りが増す。もう雷は意識にない。アマネが心配だった。声が震える。揺さぶる手が恐怖に負けそうになる。雨じゃないもので目が潤んだ。  「お願いだ、目を開けろ! 雨歌。……アマネ‼」  「……呼人?」  微かに身じろぎが腕を伝わり、ぼんやりとアマネの目が開いた。呼人を認めてホッとしたような笑みを浮かべる。  「良かったぁ……呼人がいる……」  「バカッ!」  思わず上げた大声にアマネがびくりと身を竦めた。一瞬で後悔して零れそうな涙を隠すためと自分に言い訳してアマネを抱きしめた。こんな大胆な行動生まれてこの方したことがない。  「死んだかと、思った……」  驚いて逃れようとしていた動きがぴたりと止まる。そっとアマネの両腕が呼人の背に回された。  「死なないよ。……私、呼人の傍にいたいんだもん。雷にも負けないよ」  「どんな最強だよ、それ……」  過去最高に走ってもう動けないというアマネを背負って家路を辿る途中の道、呼人は背中で寝息を立て始めたアマネの顔を窺い見た。なんだか幸せそうな顔に見える。くすぐったいような気持ちに赤面し、風邪をひいたかななんて呟いた。きっとまだ雷には惹かれるだろう。でも知ってしまったから。アマネの方がよっぽど激しく綺麗に光っていた。この気持ちが恋というのかは知らないけれど、改めてアマネと話してみたいと思う。  「あ、虹だぞ」  「ん~……ホントだ! 綺麗だね」  うれしそうな笑顔に呼人の頬も緩む。雷ばかり見ていた男と、ひたすら思い続けていた雨女の一緒の一歩。遠い雷鳴とオレンジの空に浮かぶ大きな虹が2人を応援しているようだった。
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