4.夕立

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4.夕立

 僕は病院で目覚めた。  目覚めると警察の事情聴取が待っていた。僕はこの地にいつから来たのか、なぜ銀行へ行ったのか、どのような行動を取ったのか、何を見、何を聞いたのかなどを詳しく説明した。病室へ戻り、ベッドの上で目を閉じる。  頭がのけぞり、目を開けたまま後ろへ倒れていったあの人。  うめき声、笑い声。  しかし、あそこで起こったどんな殺人事件よりも、僕はあの女性のスマートフォンが気になっていた。  そうだ。  と、スマートフォンを立ち上げニュースを見る。やはり昨日の惨事が記事になっている。  あの時殺されたのは五人。僕の応対をしてくれていた人、警報機が鳴ってからの二発、そして仲間割れの二人。そして残りの犯人は自殺だったそうだ。どうやら覚せい剤中毒で何らかの中毒症状が出たのではないかということだ。  三人の写真も出ていた。一人は丸顔で髪が短く白髪交じり、一人はエラが張った色黒で長髪、一人は目の鋭い面長でパーマをかけている。  まさしくあの女性のスマートフォンに表示されていた人物だった。  僕は激しく嘔吐した。何度も。何度も。  だって目出し帽を被っていたのに!  あの時点で犯人の顔がわかる筈がないのに!  震えながら嘔吐する僕の姿を見て、看護師さんがカウンセラーを頼んでいる。  違うんだ。そんなものが怖いんじゃない。  早く帰らなければ。早くここから逃げなければ。  彼女に会ってはいけない!  僕は警察に、地元に帰らなければならないこと、事情聴取は早く終わらせてほしいことなどを訴えた。事件の被害者の立場でまだ学生ということもあり、僕の希望は叶えられ、すぐに退院し、午後には解放してもらえた。  ホテルに帰らなければ。雅美のところに帰らなければ。きっと心配しているだろう。  病院からホテルへ向かうため、僕は病院の敷地内にあるバス停に立っていた。ほどなくしてバスはバス停に到着し、僕を乗せて駅へと向かった。  僕がバスに乗り込むと、みるみる空が暗くなり雨が降り出した。  まるで洗車機の中に居るような雨を浴びたバスの中、僕は気づいてしまった。 ――居る。  僕の右斜め前に、視界に入るか入らないかの場所に、しっかりとスマートフォンを握った女性が。 僕は降車ボタンを何度も押した。  早く降ろしてくれ! 早く!  次のバス停に到着すると、僕は彼女の方を見ることなく料金箱に千円札を突っ込んでステップを駆け下りた。土砂降りの雨の中僕を降ろし、扉を閉めたバスはゆっくりと動き出した。  しかし 「なんで……居るんだよ……」  バスのほうに振り向いた僕の前に、彼女が居た。  そして手に持ったスマートフォンを見て、音もなく笑っていた。 「やめてくれ! やめてくれえ! 見るなよ、そんなもの見るな!」  僕は彼女の手からスマートフォンを奪い取り、地面に叩きつけて何度も踏みつけた。そして全速力で走り出した。  なんだよ、なんだよ!  僕はめちゃくちゃに走り続けた。しかし走りながらこうも考えた。  そうだ、スマートフォンは壊してしまったんだ。もう怖いことはないじゃないか。  あの女性が死を予言できたのか、それとも死を告げるのか、もしくは死を与えるのか、結局わからなかったけれど、キーになるスマートフォンはもうないんだ。彼女が人ではない何かだとしたも、もう現れることはないさ。  僕は走るのをやめ、息を整えながら歩いた。  そうだよ、そして僕は何も悪いことなどしていない。  買春や立てこもりや強盗なんて僕はしていない。  そう、僕は殺してなんかいないんだ。そうだろ?  だってあれは君が悪いのだから。  君が僕の言うことを聞かないのがいけないのだから。  ねえ、雅美。  お詫びにこうしてちゃんと旅行にも連れてきてあげているじゃないか。  部屋の隅で身体を小さく小さく折りたたみ眠っている雅美に向かって、歩きながら呟く。  いつのまにか雨は上がっていた。やはり夕立か。  背の低い広葉樹が並ぶ道を歩く。先程の夕立のせいだろうか。陽の光に照らされて、葉がキラキラと輝く。しかし不思議なことに道路は乾いている。僕は葉から落ちる露に濡れないよう少し木から離れて歩いた。  そして、その風景は現れた。  道が急に古くなり、緩やかなカーブを曲がる途中にある右側に設けられたベンチがある。崖の方に向けられたベンチのある場所には木でできたテーブルなども置かれ、ちょっとした休憩スポットのようになっており、崖の下には清流と名高い川が流れている。その向こうにはここと同じような道、そしてこちらとあちらを繋ぐ赤い橋が架かっている。 「なんで……」  崖の方を向いたベンチに人が座っている。 「ちゃんと壊したはずなのに……」  ベンチに座っていた人がゆっくりと立ち上がり、振り向いた。  彼女の顔が、ゆっくりと雅美の顔にスライドしていく。  彼女はスマートフォンを持ってはいなかった。  しかし……  ――音のない笑いで 僕をじっと見つめていた――
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