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2.再会
次の日、僕はバスに乗って、この地域で有名な朝市に行くことにした。雅美の機嫌がまだ直らないため、朝市も単独行動だ。普段ならまず起きないような時間に起きて準備をし、スマートフォンが圏外になっても大丈夫なよう地図は画像に残した。
画像……昨日の女性の笑顔を思い出す。そしてそれが雅美の笑顔へとスライドする。
いや、切り替えよう。僕はぶんぶんと頭を振るとリュックを背負ってホテルを後にした。
ホテルからの直行便で駅へ向かい、駅から朝市へ。行き先を間違えないようバスに乗り込む。
朝市のせいなのか、早朝なのに席に座れない程乗客がいる。入り口に近い吊革につかまり前方を向いていると、視界にスマートフォンの光がちらついた。
何気なくそちらに目を落とすと、斜め前に立っている女性のスマートフォンに、知らない男性が映っていた。そして、その画像を見て音もなく笑っていたのは、まぎれもなく昨日の女性だった。
「あのう」
僕は昨日のお礼を言おうと女性に話しかけた。
「はい」
彼女は途端に真顔になり僕に視線を向けた。
「昨日はありがとうございました。おかげで無事に駅に着くことができました」
「ああ、そうですか。良かったです。駅へ行く道はいくつかありますが、昨日の道が一番安全で分かりやすいですから」
「あのう、あなたも朝市へ行かれるのですか?」
「いいえ、私は他の用事を済ませに」
彼女も朝市へ行くのなら一緒に回りたいと思ったが、残念だな。そんなことを思っている間にバスは目的地へ到着した。
朝市はとても活気があり、様々なものが雑多に並んでいる様は、お祭りの屋台のようで心が躍った。しかし、彼女が見ていたあの男性は……彼氏かな。あんなに綺麗な人だから彼氏くらい居るよな。仲が良いんだろうな。そんな思いがほんの少し気分を沈ませた。
朝市は昼近くまで続く。たっぷりと堪能してからその場を後にし、ホテルに戻って昼食をとる。いつものようにスマートフォンでニュースをチェックしていた僕の指が止まり、そして震えた。
――早朝からコンビニエンスストアの従業員を人質に立てこもっていた神林篤弘容疑者が、人質を刺殺した後みずから頚部を切り自殺――
ニュースで流れた神林篤弘という男の写真は、彼女がスマートフォンで見ていた人物の写真そのものだった。
そんな偶然って?
僕はそれから外に出る気が起こらず、雅美と部屋で過ごした。
今日は僕達が付き合って丁度一年。しかしそんなことを考えていられる状態ではなかった。
この寒さは、どうやらエアコンの設定温度が低いせいだけではないようだ。僕はベッドの中で丸くなり、今日の出来事を考えないように考えないようにしていた。
そうだ、早朝に起こった立てこもり犯の顔を、早朝のバスでなぜあの女性が知っていたのかなんて、考えちゃだめなんだ。
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