1.記念日旅行

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1.記念日旅行

 夏休みを利用して、僕達は避暑地へと旅行に出かけた。  実は、僕と彼女の雅美は付き合って一年。この旅行は記念旅行だ。記念旅行に相応しいものにするため半年前から計画し、旅行地も彼女の行きたい場所を選んだ。  宿泊予定のホテルも記念日用にいつもよりもグレードの高い場所。いいんだ。人生でこれくらいの贅沢は。  ただ、昨日大きな喧嘩をしてしまったせいで雅美の機嫌がすこぶる悪い。朝からひと言も口をきいてもらえず、僕は途方に暮れていた。  駅に降り立った僕達は、ここからホテルへの直行便で、ほどなくホテルに到着した。そしてチェックインの後部屋へ行き、スタッフが運んでくれていた荷物の傍に座る。 ふう。  隣にあった連泊用のキャリーケースをポンポンと軽く叩く。 「折角の旅なんだ。どうせなら楽しもうよ」  僕は雅美に話しかけるが、彼女の機嫌はまだ直らないようだ。 「……仕方ないな」  僕はそう呟くと立ち上がり部屋を出た。フラフラとロビーまで戻った僕は、この際だからと一人で辺りを探検することにした。  そういえば駅からホテルまではバスで5分程度だったな。  よし、駅まで徒歩で歩いてみよう。  そうして僕はホテルを後にし、駅へ向かった。  ホテルは小高い場所にあり、駅へ向かう道は多分一つではないだろう。 折角だから、来た時とは違う道を歩いてみようと、わざわざ目にしたことのない風景を目指す。そしてすぐに後悔する。 ここはどこだろう?  道を訊こうにも随分と人気のないところへ来てしまった。 来た道を戻ろうとも思ったが、来た道を完璧に戻れる自信もない。 さて、困ったな……  背の低い広葉樹が並ぶ道をとぼとぼと歩く。陽の光に照らされて、葉がキラキラと輝く。  雨でも降ったのだろうか。  道路は乾いているけれど、山間部は夕立が多いと聞くからきっと少しは降ったのだろう。僕は葉から落ちる露に濡れないよう少し木から離れ、駅を探し人を探し歩いた。そして歩き疲れた時、その風景は現れた。  緩やかなカーブを曲がる途中にある右側に設けられたベンチ。崖の方に向けられたそのベンチに、一人の女性が座っていた。  ベンチのある場所には木でできたテーブルなども置かれ、ちょっとした休憩スポットのようになっており、崖の下には清流と名高い川が流れている。その向こうにはここと同じような道、そしてこちらとあちらを繋ぐ赤い橋が架かっている。  地元の人かな。まずは話しかけてみよう。  僕は真っすぐに彼女の方へ向かって歩いて行った。しかし、不思議と彼女が気付く様子はない。近づきながら、何をしているのだろうと様子をうかがうと、彼女はスマートフォンをじっと見つめ、音もなく笑っていた。 おかしいな、僕のスマートフォンは圏外なのに。  疑問に思い彼女のスマートフォンをじっと見ると、どうもそれは最近スキャンダルで騒がれている芸能人の画像のようだった。  ファンなのかな……などと考えていたが、そうだ、僕は道を訊かなければ。 「あのう、すみません」  僕が話しかけると途端に彼女の笑みは消えた。しかし別段驚くふうでもなく 「はい、なんでしょう」  と真顔で答えた。 「高村坂駅はどちらかご存知ですか?」  僕が尋ねると 「ああ、それなら一旦坂を上がって、最初の信号を左に曲がって道なりに行けば着きますよ」  と、丁寧に教えてくれた。 「ありがとうございます」  とお礼を言って、僕は彼女が教えてくれた通りの道を通り駅に着いた。  なるほどなるほど。少し予定外のこともあったが、これも旅の醍醐味か。そんな風に考えることにし、僕は再び駅からの直行便でホテルへ戻った。  迷ったこともあって、ホテルに着いた頃には夕食の時間。僕は慌てて部屋へ戻りシャワーで汗を流してから、食事を運んでもらうようフロントに電話した。  普段泊まるグレードのホテルなら食堂で他の宿泊客と一緒に食べるのだが、今回僕が予約したこのホテルは部屋食だ。誰に気を遣うこともなくゆっくり食事ができる。  雅美の機嫌は相変わらずで、部屋の隅で僕の話に相槌すら打ってくれない。  ……参ったな……  食事を待っている間、さすがに間が持たないので、スマートフォンでニュースをチェックする。ホテルはWi-Fiが繋がっているので通信料の心配なくインターネット通信ができる。  ふう。さて、と。  ニュース一覧をスクロールしていた指が止まる。今日、見たばかりの画像が飛び込んできた。 ――未成年買春疑惑渦中の俳優、上志田彬さん自動車事故。同乗の女性と共に死亡が確認された――  事故死……亡くなったのか。  食事を済ませ、ベッドの上で考える。あの女性、悲しんでいるだろうな。あんな風に画像を見て笑みがこぼれる程好きなのだ。きっとショックだろう。  今日の女性のことを考えていると、彼女の顔が雅美と重なった。  いけないいけない。他の女性の事など考えていたらまた雅美の機嫌を損ねてしまう。  僕は慌てて雅美の方へ向き直った。そして部屋の隅に置かれた荷物をぼんやり眺めていると、何故か自然に笑みがこぼれた。  二人でこんなところまで来てしまったなあ。  旅の疲れもあったのか、僕はベッドへ倒れこみ、そのまま眠りについてしまった。
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