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濡れる、走る、息があがる。空気と共に体内へと取り込む生温い雨水が気持ち悪い。肌に張り付く服も、靴下まで濡れた足元も、全てが気持ち悪い。全部、全部、だ。
ようやく雨宿りにかなうバス停を見つける。植物に侵食され、運行予定表も読むに能わない。此処でバスを待つ人などいるのだろうか。そもそもまだ使われているバス停なのだろうか。激しい夕立に降られなければ自分も終ぞ訪れることもなかったであろう。
錆びっぽいベンチに腰を落とし、振り続ける雨に目を向ける。夕立だかゲリラ豪雨だか、こういう突発的な大雨に鉢会う時はいつも『彼』のことを思い出す。目を閉じ『彼』と袂を分かったあの日のことを、今日も俺は思い出す。
──
濡れる、走る、息があがる。空気と共に体内へと取り込む生温い雨水が気持ち悪い。肌に張り付く服も、靴下まで濡れた足元も、全てが気持ち悪い。全部、全部、だ。
ようやく雨宿りにかなうバス停を見つける。俺は共に走っていた友人に声をかけた。
「おい、あそこで雨宿りが出来そうだ」
返事はない。しかしそれを気にしていられるほどの余裕が俺にはなかった。一足先にバス停へと滑り込む。
学生服にかかった雨水を払う。鞄の教科書の被害を確認する。いっそのこと教科書など全て水に溶けてしまってくれていても構わなかったのだが、端が滲んでいる程度であった。
いつまでも友人がバス停に入って来ないことに気付き、濡れない程度に身を乗り出して彼を探した。すると、雨に濡れることを一つも厭わない様子で空を仰いでいる友人の姿を見つける。
「おい、何をしている。風邪をひくぞ」
俺の声に友人は我に帰る。こちらに走って来るのかと思えば、その足取りは悠々と余裕に溢れる。ようやく屋根のあるバス停に辿り着いたかと思えば、どっかと腰を下ろして訳のわからぬことを口にする。
「私は天啓を得たよ」
「どうした、雨に濡れておかしくなったか」
「新しい商売を思いついたのだ」
「またか……先日に失敗して全ての小遣いを失ったばかりではないか」
「小遣いどころではない! 幼少の頃からのお年玉貯金も全て投資信託で溶けたのだ!」
「競馬場で勝てそうなおっさんに金を渡して運用してもらうあれを投資信託と呼ぶのはお前くらいだろう」
「その負けを取り戻さねばなるまいよ」
友人の顔は自信に溢れていた。して、天啓とは何かを彼に問う。
「雨男である私自身を商品にするのだ」
「お前は雨男だったか?」
「最近の下校時、よくゲリラ豪雨に遭遇してるからその資格は十分だろう」
「下校時に雨が降られてるならば、同じ学校の人間は全員が雨男になるのでは?」
「早い者勝ちの言った者勝ちだ」
これ以上は水掛け論にしかなり得ないと感じ、質問を止めて話の続きを聞く。
「雨が降って欲しい、人間ならば一度や二度そう思ったことがあるだろう。日照りが続いて水不足。明日の運動会が憂鬱。嫌いな奴が主催のイベントを台無しにしてやりたい。貴様も雨を求めたことくらいあるだろう」
「まあ、なくはない」
「だろう? だから私は派遣雨男として、自らをフリマアプリに出品して金を稼ごうと思う。これはビックビジネス、バブルの予感だ」
バブルなんて雨で消えそうだ、とか、まさに泡銭だな、だとか。色々感じたこともあったが友人の真剣なる面持ちに圧倒された俺は何も言えなかった。
「早速登録するとしよう。ええと、商品名『雨男』、送料無料、出張費別途……」
「送料無料と謳って出張費を取るのは途端に詐欺くさくないか」
「いいんだ。こんなサービスを利用する奴なんて馬鹿しかいないんだから気付かない」
「酷い言いようだ」
「商売は馬鹿をターゲットにした方が儲かるものだ……と、早速購入された」
そんなまさか、と俺は彼のスマートフォンを覗き込む。彼の言葉に偽りはなかった。購入されましたという表示と、購入者からのメッセージが書き込まれていた。
『初めまして。どうしても雨が降って欲しくて購入してしまいました。僕は小学校の三年生です。僕のお父さんは野菜を作っているのですが、雨が少なくて困っています。お金がなくなって、最近では晩ご飯に雑草が並び始めました。僕は何とか我慢して食べられるのですが、妹はいつも泣きながら食べていてかわいそうです。どうか、雨を降らせてください。お願いします』
「お前……いくらで出品したんだ?」
「19999円」
「本気で何とかしてこいよ!? いたいけな子どものお小遣いをむしり取って失敗しましたじゃあすまないからな!?」
「私も鬼ではない、失敗したら半額でいいことにしてある」
「半額でも取るな!」
「出張費は変わらず」
「充分に鬼だろうよ……」
購入者の元へ向かうと言い残し、彼は俺の前から去っていった。そんな濡れ鼠で行くのかと問えば、この方が説得力があるだろう、と。
──
あれ以来、彼とは十年近く会っていない。商売が上手くいって高校も辞めてしまったのだ。たまに小さなネットニュースに取り上げられている彼の名前を見ると、彼が遠くにいってしまったように感じて少しばかりの寂しさを覚える。
あの日、雨に濡れて俺の携帯電話は壊れた。データのバックアップも取れず、彼も、彼の連絡先も行方知れず。
なんの気無しに、フリマアプリを起動すると、の出品を見つける。出品者の評価も上々である。
手でも滑ったか、心が求めたか。俺は即決で雨男の出費サービスを購入していた。どうして購入したのか、自分でもよくわからなかった。
しかし、買ってしまったからには仕方がない。何処か、外が見える居酒屋にでも彼を呼び出そう。あの時の子どもの件はどうなったのか、それからどんな依頼があったのかを彼に聞いてみよう。
窓から見える景色が晴れていても雨が降っていても構わないから、彼ともう一度会いたい。そう思った。
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