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「あの、どうかされましたか?」
ここからは僕の拙い英語と彼女の流暢な喋りの攻防戦が繰り広げられた。といっても、僕の方が英語をあまり話せないと悟ったらしい彼女が、簡単な言葉でゆっくりと発音してくれたため、なんとか会話をすることができたのだが。
「泊まれるところがないか探していたら、水が、空から降ってきて困っていたんです」
ん。
彼女は今、なんて言った。
「水が空から降ってきた」?
雨のことをそんなふうに表現する人と初めて出会ったので、僕は「雨のこと?」と聞き返す。
「雨……? ああ、これが、“雨”なんですね」
WowとかOhとか呟きながら、突然彼女は目を輝かせて降り続く雨を眺めていた。なんだ、何がどうしたっていうんだ。雨でこんなにテンションが上がる人間がこの世にいたのかと不思議に思う。
「失礼ですが、どこから来たんですか?」
「遠い国です。ご存知かは分かりませんが……」
彼女は伏し目がちに、とある国の名前を口にした。名前は知っている国だったが、それを世界地図に当てはめるとどの辺に位置するのか、地理が苦手は僕には判然としない。ただ、その国が日本からは遠いところにあるということだけはなんとなく分かった。
「私の国は一年中暑くて、めったに雨が降りません。実は私、今初めて雨を見ました」
なんということだ。
かなり遠い国から来た黒人の少女と話をしているというだけで僕にはとても珍しい出来事で、だぶんこの田舎で暮らしていればもう二度と味わうことのできない体験だと思っていたのに。
加えて彼女は今日、人生初の“雨”を体験したというのだ。
先ほどよりも強く激しく降る雨が、時折僕の足下で跳ね返って足を濡らした。彼女はサンダルを履いており、とっくに足の裏までびしょ濡れになっているだろう。
「雨、うっとうしいでしょう。どうしたって濡れちゃうし、傘を忘れた日なんか最悪です。今の僕みたいに」
僕が自虐ネタで自分の鼻を指して笑って見せると、彼女もふっと頬を緩めて微笑んでくれた。初めて見えた彼女の笑顔が僕の心に優しい灯火をつけてくれた。
「そういえば、名前、聞いてもいいですか。僕は三秋輝良といいます。あ、今18歳です」
自己紹介をする時、僕は決まって語呂遊びみたいな自分の名前をありがたく思う。一度聞けば覚えてくれる人がほとんどだから。
彼女は、「ミアキ、アキラ」とたどたどしく発音をし、僕の名前を必死に覚えようとしてくれているようだった。なんだかその光景が、初めて言葉を喋った小さな子供みたいで可愛らしかった。
「私は、アンリ。もうすぐ16歳。よろしくね、アキラ」
にっと白い歯を見せて握手を求めてくるアンリ。日本人同士だと、初めましての際にこういうフランクな態度を取れないので、ドキドキしながら彼女の手を握った。
アンリは歳下だった。
外国の人って、どう見たって大人っぽく見える。彼女の年齢を聞くまで、もしかしたら大人な女性なのかもしれないと思い緊張していた。
しかし、歳下だと分かると一気に心が和んだ気がする。
「アンリはどうして日本に来たの?」
見たところ、家族や友達と旅行に来ているという感じはしない。もしも観光目的で日本に来たのならば、どこの観光雑誌をあさっても載っていないような田舎町ではなく、いかにも観光地らしい場所に行くだろう。
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