10章 灰と少女のグリザイユ

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10章 灰と少女のグリザイユ

 2114年 10月某日 元侍女の日記より    訪ねて来たのは、スイレンだった。彼女は乳児をかかえ、城の刺客に追われて来たと言った。     わたしには誰の子かすぐにわかった。あのひとに似た、好奇心旺盛な金色の瞳。  赤ん坊をわたしに託し、彼女は亡くなった。最期まで謝りながら……    レイチョウの下士官たちの働きで、蜂起した近衛兵は捕まり、城は明け方には平穏を取りもどした。 「閣下、城内の暴動は鎮圧を確認、スクラップの徒党らも引きわたしました」    ウツギに敬礼をするレイチョウに、イチイが罵声を浴びせながら警察軍に連れられてゆく。 「野郎、すましてんじゃねえ、コラァ!」 「それとやつら、こちらも隠し持っておりましたので、奪還いたしました」  レイチョウが、金の万年筆をさし出す。 「む。これはシュウカイドウのものではないか。いつの間に盗んだのだ」  不思議そうに首をかしげるウツギの背後から、なおもイチイの雑言が追いかける。 「このハイイロウサギ! しらばっくれてんじゃねえぞ!」 「? やつはさっきから何を言っているのだ? レイチョウ」 「わかりかねます。違法の服薬等で酩酊しているのでは」    ツバキとふたりして堀に落ちたためびしょぬれではあったが、顔色ひとつ変えずに答えるさまはさすがだ。 (……やっぱ腹黒いわ、こいつ)    呆れた半目で彼らを遠巻きに見るツバキの横では、アニスもぽかんと半口を開けたまま立っている。 「……まさか、アカザさんがレイチョウ少佐だったなんて」 「カシはあいつの城の従者なんだとよ」 「ツバキ、上官をあいつ呼ばわりするんじゃない」  ハッカが眉をしかめる。 「だってよォ、アカザ──少佐のやつ、おれたちのこと騙してたんだぜ?」 「いいじゃないか。スクラップを活気づけたいと、レイチョウの家系が自警団も兼ねて代々続けている副業なんだそうだ。わざわざ有給を使ってな」  感心したように腕を組むシュウカイドウに、ツバキがひねた口調で冷笑した。 「『ハイイロウサギ』が、ですかァ?」 「──ほう? 何か文句でもあるのか?」    突然後方から湧いた低音に、ツバキが思わず飛び上がる。 「不正規連隊(イレギュラーズ)とうたっておいたほうが、犯罪の多い灰都では動きやすいんだよ。お前も危険な目に遭ったからわかるだろう」  落ちてくる髪をかき上げる仕草はやはりアカザだが、ツバキは何とも居心地が悪い。    そんなツバキをくすりと笑うアニスに、桜城の大臣が声をかけて来た。 「では、参りましょうか」  アニスはDNA鑑定のためのサンプルを提出するため、城へ泊まることになったのだ。 「──行って来ます」 「がんばれよ」  何度も後ろをふり返り、大臣につき添われて行くアニスの後ろ姿を、ツバキはじっと見守った。  相方に呆れながら、ハッカが腕をのばし息をつく。 「鑑定くらいで心配して大げさだなあ。でもやっと、一段落ついたってとこかな」 「いや、まだ終わりじゃないんだ、ヨシノ」  シュウカイドウはハッカに目線を送り、ツバキと互いにうなずいた。      鑑定のためのサンプルを提出し、アニスは案内された客室でひとを待っていた。城からウェルカムドリンクがあるという。  ほどなくしてノックの音がし、王室御用達のワインを持って入って来た人物を、アニスは部屋に招き入れた。 「まあ、上等なお酒ですね。ありがたいんですけど、わたしまだ未成年なんです。え? 薄めてシロップをまぜるとおいしい? そうですか、では少しだけ」    小型のソムリエナイフで、キャップシールを開ける女性。  ふたりが向かいあってすわったサイドテーブルで、白く美しい指で摘んだステムがアニスにわたされる。  ゆらりと柘榴色の液体がゆれ、芳醇な香りが立ち昇った。 「桃のようにあまい香り。でも……」  アニスはくんと鼻を鳴らすと、困ったようにグラスをテーブルに置いた。 「すみません、毒入りのワインは飲めません」    思わずはっと肩が上がったドレスの背後から、カーテンの陰に隠れていたシュウカイドウが現れる。 「──」 「シュ、シュウカイドウ、なぜ……」    ユウカゲはよろめくように後退った。同じく窓際に身を潜めていたハッカが素早くワインとグラスを回収し、ツバキが鼻によせる。 「この匂い、おれも知ってるぜ。これは灰都の工場でかいだ──」 「ニトロベンゼン」  アニスは憂えるように答えた。  ハイト油脂の石けん、S2タイプの香りだ。 「有毒ですが、ニトロベンゼンの桃に似た香りは香料としても使われるんです。水には溶けにくいけれど、アルコール──そう、ワインなら……」 「母上、叔父上を毒キノコで殺害したのも、母上なんですね。どうして……」  青ざめるユウカゲを、息子は悲しみと憤りのまなざしで見つめた。  理由は聞かなくてもわかっていた。亡くなった者も狙われた者も、玉座に関係する人物だからだ。    そもそもハオウジュ将軍が王の殺害を目論んでいたなら、クーデターの際に実行するはずである。わざわざ偽王女を用意する意味もない。  それに元医師である彼女なら、毒物にも詳しく薬品の入手も可能だ。    ユウカゲはうなだれ、(くう)を見つめつぶやいた。 「……王が亡くなれば、ウツギがこの国を継ぐものだと思っていたわ。それなのにあのひとは継承をいやがるばかりか、あなたに任せる気もない。そうこうしているうちに、ハオウジュ将軍が王女だという少女を連れて来て……」 「──殺したんですね」  ハッカがやりきれない顔でユウカゲを見下ろす。 「あなたたちの話で、リクドウが王女を見つけたと聞いたわ。刺客を放ったけれど、リクドウたちにはグレーターから逃げられて、それならと、彼を偽の王女の殺人犯に仕立てることにしたの」 「だが、まさかハオウジュ将軍が、クーデターを起こすとは思わなかったんだろ」    不快に言葉を継ぐツバキにはうわの空で、ユウカゲはぽつりとつぶやく。 「ええ、本当に。こんなことなら、あの男を一番に消しておけばよかった」 「母上、何て馬鹿なことを……!」  シュウカイドウは片手で顔を覆って嘆いた。 「あなたのためよ、シュウカイドウ」  なだめるようにすがるユウカゲを、シュウカイドウの手が強く払った。 「違う、ぼくのためなんかじゃない。母上はいつも自分しか見ていない!   ぼくは叔父上が好きだった、この子のことだって──!」    それは、シュウカイドウが初めて感情をあらわにする対象への嫉妬だったのかもしれない。  ユウカゲの表情に絶望が走り、それは憎しみとなってアニスを襲った。 「母上!」  ──カラン、とソムリエナイフが床に落ちる。    腹部を抑え膝を折ったのは、アニスをかばった息子のほうだった。 「シュウカイドウさま!」  アニスがシュウカイドウを支え、ツバキとハッカがユウカゲを拘束する。  待機していたレイチョウが踏み入り、ユウカゲは呆然としたまま警察軍に連れて行かれた。 「──王子、たいした傷じゃないってさ」 「そう、よかったです……」    翌日、グレーターの病院でシュウカイドウの容態を聞いたツバキたちは、ようやく胸をなで下ろした。だがアニスの表情は、こわばったまま晴れない。 「自分のせいだって思ってんのか?」  いたたまれなくなったツバキがアニスに声をかけると、 「いや、きみのせいではない。わたしのせいだ」  病室のドアが開き、出て来た人物がいた。 「あ? そーだよ、奥方の暴走を止められなかったあんたのせいだろ、閣下!」  カッとなったツバキが、ウツギの胸ぐらをつかむ。 「やめろよ、ツバキ」  ハッカが止めるのも聞かず、ツバキは食ってかかる。 「うるせー! ここが『丘』じゃなきゃ、このモヤシ野郎ってつけ加えるとこだ!」    血が昇ったツバキを下がらせ、頭をかかえながらもハッカは自分が前に出た。 「申し訳ありません。でも……ぼくも意見できる立場ではありませんが、もっとシュウカイドウさまのこと、理解してあげてほしいです」 「ああ……そうだな。その通りだ。自分のことで精一杯で、これまで家内のことにも息子のことにも、あまりに無関心だった」  ウツギは何年分かに相当するような長いため息をつき、アニスを見た。 「……だが、シュウカイドウはどうやら我が姪を護ったらしい」 「え、それって──」 「DNA鑑定の結果、故灰桜(カイオウ)国王はアニス・リィの──『生物学上の父親である』と証明された」      アニスの身柄は桜城に移されることになり、翌日アニスは聖マツリカ女学院へあいさつへ行った。    正式な発表はされていないものの、アニスが護衛をともなってもどって来たので学院は大騒ぎになった。  大臣が学長に報告している間、アニスは馴染みの舎監室へ向かう。    シスター・シキミはすでに話は聞いているらしく、お茶を出して迎えてくれた。 「よかった、というところかしら。あなたはもっと広い世界へ出て行くべきだわ」    アニスはカップを置いて、小さな頃から一番近くにいた舎監をじっと見つめた。 「シスター・シキミ、あなただったんですね」 「何の話?」 「これ、王の遺品にありました」  アニスは、色褪せて破れかけた写真をわたした。    シスター・シキミは写真を手にとって一瞥したが、興味がないようにすぐにテーブルにもどす。 「これが、何だというの?」  色眼鏡の奥からは何の感情も見られない。 「亡くなった王が愛したひとは、あなたでした。シスター、あなたも王を愛していましたか? わたしの父を」  シスター・シキミはめずらしく少し苛立ったように、眼鏡のブリッジをおさえた。 「……確かに、わたしが昔桜城に勤めていたことは事実です。でもそんなことを聞いてどうするのかしら。もう、王はいないというのに」   「王も亡くなって、今はわたしの母だったスイレンもいません。誰を好きだったとしてももう誰にも迷惑をかけないわ、教えて下さい」  アニスはポケットから、ひとつのペンダントをさし出した。  シスター・シキミの目尻がわずかに動く。明らかに、見覚えのある表情だった。 「王の部屋で見つけたんです。日記といっしょにありました。王の日記は、名前は書かれていなかったけれど、あるひとのことばかりでした。多分あれはあなたのことです。  ドーム開閉のパスワードもシスター、あなたの名前だった。  これ、シスターが持っていて下さい。石言葉は『あなたを思う』です」    灰色の月長石。それは遠い昔、一度は彼女に贈られたプレゼント。  ペンダントを取ったふるえる手に、ぽたりと一滴涙が落ちた。 「シスター……」 「長いこと、あなたに王の面影を見ていた……」    シスター・シキミは静かに涙を伝わせながら、記憶の王と同じ、アニスの金色の目を見つめた。 「いつも逃げてばかりでわたしは愚かだった。でも、今なら愛を理解できる。  アニス、あなたも好きなひとができたのね。わかるわ、とても素敵になった──」    我が子のように抱きしめられ、アニスの目にも涙があふれた。    小さな頃からそばで馴染んでいた、ツンとしたハーブの匂い。  家族はなかったけれど、自分は生まれたときから愛に包まれていたのだと、アニスはようやくわかった。 「あなたは、後悔のないよう生きて──でも、そうね」  シスター・シキミは、もう1度アニスの顔をのぞくと、涙目で笑いながらささやいた。 「次に会うときは、少しはレディになっているといいのだけれど」    シュウカイドウの退院の日、久しぶりにアニスはツバキと顔をあわせた。   シュウカイドウがアニスとツバキ、ハッカを食事に誘ってくれたのだ。  いろんな手続きや引っ越しやらで、会うのは実に一ヶ月ぶりとなる。    アニスを連れコミューンの繁華街に行くというシュウカイドウに、ウツギは難色を示したが、帰りは迎えをよこすということで何とか了承を得た。  にぎやかなアジアンレストランで、四人は再会を祝って乾杯をする。 「きみたちには世話になった」 「いえ、わたしこそ……もう大丈夫なんですか?」 「ああ、大事ない」    心配そうにシュウカイドウを見るアニスは、今日はきちんとプレスされたワンピースを纏い、ほんのり化粧もしている。ツバキは正視しつつもコメントに困った。 「……何か、アニス博士、いつもと違うな」 (そこはきれいですね、だろ。ツバキ。口下手かよ!)  小声で突っ込むハッカもひと苦労だ。アニスは照れながら慣れない装いに下を向いた。 「出かけるって言ったら、勝手にスタイリングされたんです」 「うむ、退院したらアニスがきれいになっていたのでぼくも驚いた」 「さすがセレブ、ほめ上手だ……」  ハッカもつい感動して声に出してしまう。  そんな和やかな雰囲気の中、シュウカイドウが改まってグラスを置いた。 「母上のことだが……ぼくにも責任がある。遺族には、一生かけて償うつもりだ──だからアニスも、ぼくにできることなら何でも言ってくれ」    そう伝えられ、アニスは自分も遺族なのだと思い出した。  学院を訪れた日、シスター・シキミは、スイレンは城の刺客に追われ亡くなったのだと言った。  おそらく、彼女の出産に気づいたユウカゲが手を下したのだろう。    ただ今は、誰を恨む気にもなれない。自分は護られながら成長し、かけがえのない者たちとの出会いもあったからだ。    シュウカイドウが会計をすませている間、ハッカがツバキに耳打ちをする。 「いいか、ツバキ。シュウカイドウさまのスマートな口説きを見習えよ」  ツバキがふり返ると、ハッカはシュウカイドウをともなって店を出るところだった。 「シュウカイドウさま、この先に新しい回転焼きの店ができたんです。よろしかったらお土産に──あ、アニス王女はタコ焼きを、ツバキがいっしょに買って参ります」    せわしく去って行くハッカたちから取り残されたふたりは、顔を見あわせとりあえず街を歩き出した。  言われた通りタコ焼きは買ったもののどこへ行くあてもなく、雑踏を抜けた公園のベンチに腰を下ろす。    何を話せばいいかわからず、ツバキはぽりぽりと顎をかきながらつぶやいた。 「……王子、アニスって呼んでたな」 「わたし、アニスですから」 「そーいうことじゃなくてだな」    大きな目で不思議そうにのぞかれ、ツバキはぐっと息を呑んだ。 「ア、アニ……アニサキスって何だ」 「魚介類につく寄生虫です。感染しちゃったんですか?」 「なわけねーだろ」    ツバキの話はよくわからなかったが、以前も灰都でこんなことがあったなと、アニスはくすりと思い出し笑いをした。  こんな他愛のない話をする機会は、これからはもうないだろう。 「リクドウさんは、わたしにとって勇者です」 「──何だ? いきなり」  呆れたように片眉を下げるツバキを、アニスはまっすぐに見る。 「だって、二度もわたしを助けてくれたじゃないですか」 「あー……憶えてないのか。アニス博士も二度、おれのこと助けてるんだぜ。ほら、灰都のビルで一度目は机の山崩してさ。二度目は、偽ウサギから躰はっておれをかばってくれた。  工場を救い、国を変え、ほんとの勇者ってのは、あんたみたいなやつをいうんだ」    ツバキは笑い出しそうな口許で言った。  照れたような、くすぐったいような、ほめられた子どものような笑顔。    アニスはとたんに切なくなり、ぎゅっと鳩尾をおさえた。 「あ、あの、リクドウさ──」  言いかけたとき、通りの向こうに黒のロールスロイスが見えた。 「──お迎えだ」    ツバキはすっと立ち上がると、 「じゃあ……いや、どうか元気で──」  片膝をつき、アニスの前で深々と頭を垂れた。    目の前にいる者に途方もない隔たりを感じ、アニスはこれほど悲しかったことはなかった。    黒服が見守る中、アニスとシュウカイドウは静々と車へ乗り込む。ツバキは心の中で素直に祝った。 (よかったな、アニス博士)    アニスがどんなに遠い存在になろうと、その気持ちに変わりはなかった。これからは、近衛兵として護衛していけばいいだけだ。      クーデターの間はどこへ身を隠していたのか、いつの間にかもどって来た3人の元老院とウツギに囲まれた円卓で、アニスはもぞもぞと身をゆらしていた。  アニスをふくめての初めての議会である。    自分も議席のひとつにすわっているのだが、上座であるうえに恐ろしく背もたれの高い豪奢な椅子で居心地の悪さときたらない。  おまけにサーブされた割れそうに薄いティーカップは、ハンドルがせま過ぎて指が通らず、さっきから飲むのに苦戦している。    心の支えといったら、シュウカイドウが同じ円卓の対極にいることくらいだ。そのシュウカイドウは、さっきからまじまじと元老院を観察していた。 (あの3人、どこかで見たことが……)    そんな若者ふたりとは対照的に、ウツギはうきうきと議長を務めていた。 「では、来月の戴冠式についてだが、アニス王女」 「へっ?」  青くなって、アニスは思わずティーカップをがちゃんとソーサーに置く。 「あ、あの、戴冠って、わたしまだ未成年ですけど……」 「もちろん、王女が成人するまでは、議員と元老院でフォローする」 「わたし、王さまのお仕事なんてわかりません!」 「なあに、現場に出ればそのうち慣れるから」    ウツギは軽い口調で国務をぽんと投げて来る。 (そんな、工場の業務と同じこと言われても!) 「ちょ、ちょっと待って下さい」  キャッチボールのように続くふたりの応酬を見ながら、シュウカイドウが挙手した。 「父上、ほかの議員の意向も聞いてみては」  ここ2ヶ月で見違えるように頼もしくなった息子にたじろぎながら、ウツギはコホンと咳払いをし、元老院のひとりに発言を委ねた。 「では戴冠はさておき、まずはアニス殿が国の長にふさわしいかどうかを見定める必要がある。王女自身がお開けになったドームの処置について、お考えを頂きたい」    ウツギは余計なことを、という苦い顔で元老院を睨み、アニスも若干責められている雰囲気を感じとり、やや尻込んだ。    どう、返せばいいだろう。ここで論破することに意味はない。かといって、言いくるめられるつもりもない。 (自分の感覚を信じろ)  ツバキの声が胸に湧いた。 (そう、自分が信じたことを、まっすぐ伝えるんだ)    アニスは立ち上がり深呼吸をすると、円卓を見回し丁寧に述べ始めた。 「ドームを──クーデターを止めるためとはいえ、グレーターの許可なく勝手に開けてしまったことは謝ります。でもわたしは、この国にドームは必要ないと思います」    とたんに一同がどよめいた。さすがのシュウカイドウも動揺している。 「歴史ある桜城が灰で汚れてもいいということですかな。聞き捨てなりませんな」 「まったく。ゆゆしき発言です」 「待って下さい。最後まで王女の話を聞いて下さい」  ざわつき出した元老院を鎮めるように、シュウカイドウが助け舟を出す。ウツギはおろおろと事の成りゆきを見守るばかりだ。 「混乱させてしまい申し訳ありません。ただわたしが言いたいのは──ひとはおのずから自分で幸せになる力を持っている、ということです。  みなさん、(あけ)ノ島を訪ねられたことはありますか?」    みな一様に首をふる中、ウツギが肩をすくめる。 「一度視察に行ったことはあるが、ひどい場所だ」 「でもわたし、(あけ)ノ島やスクラップへ行ってわかったんです。なぜひとはこんな不便な場所を出て行かないのか。それは、この国が好きだからなんです」    いきいきと語るアニスに円卓の視線が集まる。 「(あけ)ノ島は功罪の島です。住民は灰と共存して生きています。灰に埋もれてもそこから芽吹く木があるように、ひとは決して滅びません。施設によっては覆いも必要でしょう。  でもそろそろ、わたしたちも本物の空の下で暮らしませんか?」  もう誰も口を挿む者はおらず、アニスは笑顔で話をしめくくった。 「わたし、灰都に行って本当によかった」    話を聞き終えると、三人の元老院は揃って席を立った。 「──長かったですな」 「いや、本当に」    何かまずいことを言ってしまったかと、アニスは戸惑って引き止める。 「あ、あの、みなさん……!」  去ってゆく三人の後をあわてて追うアニス。  地下まで来たとき、ひとりがふり返ったかと思うと、 「ようやく我々もこれで引退できますよ」   と、一言を残し姿をかき消した。  アニスたちは、ぽかんと三人を見失った辺りに立ち尽くす。  シュウカイドウがはっと声をあげた。 「あっ、やっぱり……!」    彼らが消えた場所には、碑文が彫られた石碑が建っていた。三人の元老院によく似た、のレリーフとともに── 「ま、まさか……!」  ウツギが腰を抜かしすわり込み、石碑を凝視する。  代は変われど、元老院ははるか昔から同じ一族が治めてきた。 「ずっと、城を、我々を見守っていたのか……」    シュウカイドウが、父親の腕を力強く取って立たせた。 「──父上、この碑に誓うよ。ぼくもこの国を作る礎になるって」  千人目の世継ぎは王国を開く者──    実は数えたウツギしか知らないことではあったが、千人目となる王家の子は、アニスではなくシュウカイドウだった。  息子に玉座を任せる気がなかったウツギは、あえて偽って報告していたのだ。当然、三賢者たちは知っていた事実であろうが。 (……碑文は真実だったのだな)    彼らの手の上で踊らされていたかと思うと少々悔しくはあるが、すっかりたくましくなったシュウカイドウを見上げ、ウツギは満足げに諦念の笑みを浮かべた。 「とりあえず、我々もマスクとゴーグルを常備するか」      数日後、城の図書館では、残った謎解きに挑むシュウカイドウがいた。アニスも協力すると言ってきたのだが、これはひとりで解きたかったのだ。 『軽くて重い、長くて短い、苦くてあまい、それなんだ?』 (今ならわかる、これが答えだ)  ブロックに書き込むと最後の階層が開き、図書館に膨大な書庫が現れた。  シュウカイドウが喜びに天に向かって両手を仰ぐ。    少しだけつらいが、大丈夫。みんな知ってる、みんな持ってるんだ、この気持ちは。    そう、答えは──      2130年 5月某日 王の日記より    図書館の答えが解かれたとき、この国は少し変わるだろう。そのときわたしがこの世にいなくても、国を愛する者がいればいい。    この、灰で汚れた王国を──(これが最後のページとなる) 「配転……か。ま、あんだけ騒ぎを起こしたんだし当然だよな。別にいいけどよ」    王女を見つけ出した功績をさし引いても、指名手配されたり車を盗んだり塔牢を破壊したりと(そこは自分のせいではない気もするが)、ツバキの失態は始末書だけでは済まされなかった。  無事賞与は出たものの、リクドウ卿への借金の返済と塔牢の修理でほぼ使ってしまった。  結局ツバキはレイチョウの代打として、例の副業を担いながらのスクラップ勤務となった。  見送りのプラットホームで、餞別のようにレイチョウが『アカザ』のバンダナをツバキに託す。 「若いうちの苦労は買ってでもしろと言うからな」 「……へいへい、お言葉痛み入ります。でも少佐が灰都に行かなくなれば、チビがさびしがりますよ」 「アオイは、コミューンの美術学校に入れることにした。休暇にはそっちに連れてもどる。お前は心配せずに業務に励め」    相変わらず高圧的な笑みのレイチョウに今度はしっかり敬礼すると、ツバキはひとり列車に乗った。    遠ざかってゆく『丘』を見ると今や蓋のように覆いかぶさっていたドームはなく、城は灰の中、まっすぐと新芽のように天にのびていた。    ぼんやりと車窓の外を眺めていると、ふいに通路から声をかけられる。 「おとなり、いいですか?」 「ええ、いいっスよ──」    ふり返ったツバキは、シートがひっくり返りそうになるほど仰天した。  大きなトランクを下ろし、白衣のアニスが照れたように笑って通路に立っている。 「おまっ……アニ……いや王女!?」 「えへへ、わたしも来ちゃいました」 「来ちゃいました、じゃないだろ! 何やってんだ!」    額にだらだらと汗を流すツバキにおかまいなしに、アニスは手荷物を備えつけのラックに上げる。 「スクラップ地区に面する湾が、輝安鉱(きあんこう)の採地だって明らかになりましたよね。王の後を継いで、レアメタル応用学の研究をするために来たんです。鉱床はX線の調査で──」 「いや、説明はいい、いい。どうせよくわかんないから」 「そうですか。とにかく、これで灰都も以前より経済が安定すると思います。マンホールタウンの住民のひとたちも、地上でお仕事できそうなんですよ」 「そうか、そりゃよかった……いや、それはともかく護衛はどうした!」 「あら、スクラップ駐在の気鋭の近衛兵がいるじゃないですか。ここに」  平然とアニスはツバキを見る。 「いやいやいや……研究員だって他にもいるだろ? 何でわざわざあんたが、ここに来るんだよ」  シートにじりじりと後退るツバキに、アニスは真面目な顔で答えた。 「……そばにいたかったから」 「へ?」 「だってリクドウさんの──そばにいたく、って……」    アニスの顔がぐしゃりとゆがむ。  堰き止められていたダムが崩壊するように、込み上げる嗚咽を抑えきれず、アニスは泣きじゃくった。わけがわからず、ツバキは放心・硬直する。 「……お、王国は?」 「ひっく……シュ、シュウカイドウさまが継ぎます。海外の大学に留学して、何年か後ですけど。わ、わたし、わたしは……!」    説明するそばから、また涙が出てくる。アニスはもうまわりも気にせず、ツバキの胸に飛び込んでわんわんと大泣きした。 「リクドウさんのそばにいたいんです。お仕事の邪魔はしません。だめですか? わたしがいっしょに行っちゃ、だめですか?」 「……いや、別にだめじゃない」    ツバキは一度だけ、ぎゅっと力を込めてアニスを抱きしめた。  だがそこは人目があるので、アニスの肩越しの乗客に気まずそうに苦笑いを送る。    抱きつかれたまま1時間。いくつものトンネルを抜け、再び灰の街が近づいて来る。    相変わらずの曇り模様でも、ふたりは広がる空のまぶしさに、思わず笑って目をつぶった。
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