第二章【キィ】

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 その日、たけるがぼくの家に泊まりに来た。  これ自体は別に、全然めずらしくない。もともと、たけるの母さんとうちの母さんが親友同士だったとかで、ぼくらは小学校に入る前からお互いの家に泊まることが多かった。その関係で、たけるは未だにぼくの家にしょっちゅう泊まりに来ていたし(本当にしょっちゅう、だ。夏休みに入ってからは一週間に一、二回くらい来ている気がする)、今日泊まりに来ても不自然じゃない。  だけど、今日たけるに泊まりに来いといったのはぼくで、これは作戦のうちだった。  晩御飯を食べながら、ぼくはさも今思い出した、というように母さんにこう切り出した。 「あ、そうだ。母さん。今日、宿題やるからこのあと外にでていい?」 「宿題? なんの」  晩御飯のナスのでんがくを食べながら、母さんが首をかしげる。ぼくはおみそ汁を飲み干して、 「理科のだよ。宿題一覧のプリント、渡してたでしょ? その中に書いてたじゃん。夏の星座を見てみよう、ってやつ」 「あー、あったわね。あ、ほんと」  母さんは自分のすぐ後ろにある冷蔵庫を振り向きながらいった。冷蔵庫には、ぼくの学校関係のプリントがはってある。 「一人で行くの? 夜は一人じゃ危ないでしょ」 「こーすけたちと一緒。たいちの兄ちゃんが来てくれるって」  たいちはクラスメイトのしっかりもので、その兄ちゃんは高校生だ。こないけど。呼んでないし。 「ああ、こーすけくんと。いいわよ、いってらっしゃい。あんまり遅くならないように気をつけてね」 「わかってる」  よし、ここまでは成功。もちろん、ここまでは失敗るわけもない。  問題は、ここから先。  ぼくは隣でごはんを食べていたたけるに、小さく目配せをした。たけるは、はっと気付いたようにお茶わんを置く。  作戦、スタートだ。 「ひろと、どっか行くの? たけるも行きたい!」  よし、上手いぞたける。  ぼくはたけるの言葉に、嫌そうな顔をしてみせる。 「嫌だよ。なんでたける連れて行かなきゃなんないんだよ。ぼくは遊ぶんじゃないぞ、宿題なの」 「やだ、たけるも宿題する!」 「二年坊には必要ないの」  ぼくはぴしゃりと言って、食べ終わったお茶わんを重ねて、流し台にもって行く。  たけるはぼくの後を追いかけて、イスから飛び降りて、お得意の両腕ブンブンをはじめる。 「たーけーるーもーいーくーのー! ひろとずるい!」 「ずるくない! うるさいな、わがまま言うなよたける!」  ぼくが怒鳴ると、たけるは今にも泣き出しそうに顔をゆがめた。  う。ちょっぴり罪悪感。……いや、これは作戦のうち。演技、演技。 「母さん、たけるがわがまま言う。なんか言ってやってよ。ぼく、嫌だからね。たけるなんてつれてったら、笑われるじゃん」 「たけるもいくのお!」  たけるはそう言ってうそ泣きをはじめた。振り回した両腕を武器にするみたいに、ぼくを叩いてくる。ぼくは顔をしかめて、助けを求めるように母さんを見た。 「母さん!」 「いいじゃない、連れて行ってあげなさいよ」  ――よし、作戦どおり!  ぼくは内心でガッツポーズを作った。だけど顔はしかめたまま、振り回しているたけるの手を抑える。 「ヤだよ。ぼく、宿題でするんだよ? たけるなんて邪魔!」 「邪魔とか言わないで、ちゃんと面倒見てあげなさい。あんたもう六年でしょ」 「えーっ」 「たけるもいくの、たけるもいくの!」  母さんと、たけるの二人にはさまれて、ぼくはとうとう根負けしたように、大きくため息をついてみせた。 「……わかったよ。連れて行けばいいんでしょ、連れて行けば!」  ――作戦、成功。  ぼくとたけるは、母さんから見えない位置で、こっそりお互い親指を立てた。  あの時、もしぼくから「たけるも連れて行っていい?」ってきいてたら、母さんはたぶんノーと言ったはずだ。だけど、ぼくが嫌がってみせたことで、「一緒に行く」というたけるのわがままを、「絶対連れて行かない」というぼくのわがままにすりかえたんだ。そうしたら、わがまま合戦。二年のたけると六年のぼくじゃ、ぼくのほうが負けるに決まってる。母さんは自然、ぼくのわがままをダメっていう方向に動いて、結果たけるのわがままをオーケイしたってわけ。  つまり、これをやるにはまずたけるが「たけるも行く」って言い出さなきゃ出来ないわけで、だから泊まりに来てもらったんだ。  ばっちり作戦どおり。大人なんて、ちょろいもんだ。
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