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「ひろと!?」
びっくりしたようなこーすけの声が聞こえたけれど、後の祭りだ。
左ひざを緩め、左手を地面につけるほどに急カーブをえがく。ローラーが地面と摩擦する。倒れるぎりぎりの角度で、左に曲がって、曲がりきったら無理矢理体勢を整えて、また漕ぎ出す。
夏の熱い夜の風が、肺を満たした。
振り返ってみると、どろどろ〈コースケ〉はぼくについてきている!
よし、作戦どおり!
「ねぇ!」
〝何〟
白い彼女は、ぼくについてきたままだ。
「昼間のあれは、出来ないの!? っていうか、ぼくどこまで逃げればいいわけ!?」
〝エネルギーがまだ充電しきれていない。もう少し、粘って欲しい〟
「どのくらいだよ!」
〝貴方達の時間感覚で言えば、四分と二十七秒四〇〟
細かっ。
――約五分、か。
五分なら、何とかなる!
ぼくは気合をいれなおして、地面を蹴った。
どろどろの〈コースケ〉は、徐々にスピードを速めてきて、ぼくとの距離を縮め始めた。相変わらず溶けたままで、無表情だ。
横断歩道をわたり、図書館の前を駆け抜けて、砂山の土管をくぐって直進する。
夜の角野はいつもと何となく雰囲気が違って、感覚が掴みにくかったけれど、それでも滑りなれた道には変わりない。右に左に足をきって、時々は障害物をジャンプして切り抜ける。
ブレイブボードの感覚が楽しくなってくる。
滑りながら判ったんだけれど、〈コースケ〉はあまり頭が良くないみたいで、先回りをするということは一切ない。律儀にぼくの通った道を通った順に追いかけてくる。
しばらくそうやって、追いかけっこをしつづけた。ぜぇぜぇと息が上がってくる。やっぱり、五分間全力でブレイブボードを操るのはきつい。
「まだなの!?」
〝後五秒。四、三――〟
彼女がカウントをし始めて、ぼくはほっとした。
それで、気が抜けたのかもしれない。スピードが乗りにのったボードが、ふいに横滑りをした。反射的に体勢を立て直そうとしたが、爪先がかくんと空を切った。まずい!
とっさに片足だけでステップしてボードから飛び降りる。ずざっ、といやな音を立てて。転ぶことだけは避けられたけれど、次の瞬間には目前に〈コースケ〉がいた。
「っ!」
〝鍵を〟
彼女の言葉に、あわてて胸ポケットの鍵を手渡した。
そこからは、まるでスロー・モーション。
彼女の指が踊るみたいに空中に絵を描いて、その中心に鍵をさした。光が集まってくる。
彼女が鍵をまわすと、また、光がはじけた。今度は予想していたぼくは、きっちり両手で目をかばっていたから昼よりはずっとましだった。
そして、光がなくなって夜の静かな町に戻った時、どろどろの〈コースケ〉はもうその場にいなかった。
〝無事だね〟
「……なんとかね」
彼女の言葉に、ぼくは力なく頷いてその場に座り込んだ。
「……ねぇ」
〝何〟
「明日の朝、この辺りですごいうわさになると思うよ。謎の白い発光!? とかって」
ぼくの言葉に、彼女は無表情のまま言ってのける。
〝そうなの〟
「そーなの」
……まぁ、いいけど。別に。
「説明してくれる? 一から全部」
〝可能な限りは。ただし、もうそろそろタイム・アップだ〟
「明日でもいいよ」
〝了承した〟
彼女が頷いた。そのころになって、遠くからぼくを呼ぶ声が聞こえ出した。たぶん、こーすけたちがさっきの光を見て、ぼくを探しに来てくれただろう。
「その前にさ。君の事、ぼくらはなんて呼べば良いの?」
彼女は一瞬沈黙して、それからこう言った。
〝なんとでも〟
「ふーん……じゃあ」
ぼくは少し赤くなっている右腕をぺろりとなめて、続けた。
「鍵から現れたから――『キィ』でどう? そのまんまだけど」
〝構わない〟
そういった瞬間、白い彼女は――キィは、ざざっと全身に砂を走らせて、消えた。
大きく、息を吐く。
「ひろと! 大丈夫か!?」
「片瀬!」
「ひろとー!」
自転車を、マウンテン・バイクを地面に放りだしたこーすけたちが、ぼくのもとに走りよってきた。
夜空には、きらきらとした星が見える。
なんだか、大変な夏休みになりそうだな――って、ぼくはそのとき初めて、そう思ったんだ。
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