第二章【キィ】

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「ひろと!?」  びっくりしたようなこーすけの声が聞こえたけれど、後の祭りだ。  左ひざを緩め、左手を地面につけるほどに急カーブをえがく。ローラーが地面と摩擦する。倒れるぎりぎりの角度で、左に曲がって、曲がりきったら無理矢理体勢を整えて、また漕ぎ出す。  夏の熱い夜の風が、肺を満たした。  振り返ってみると、どろどろ〈コースケ〉はぼくについてきている!  よし、作戦どおり! 「ねぇ!」 〝何〟  白い彼女は、ぼくについてきたままだ。 「昼間のあれは、出来ないの!? っていうか、ぼくどこまで逃げればいいわけ!?」 〝エネルギーがまだ充電しきれていない。もう少し、粘って欲しい〟 「どのくらいだよ!」 〝貴方達の時間感覚で言えば、四分と二十七秒四〇〟  細かっ。  ――約五分、か。  五分なら、何とかなる!  ぼくは気合をいれなおして、地面を蹴った。  どろどろの〈コースケ〉は、徐々にスピードを速めてきて、ぼくとの距離を縮め始めた。相変わらず溶けたままで、無表情だ。  横断歩道をわたり、図書館の前を駆け抜けて、砂山の土管をくぐって直進する。  夜の角野はいつもと何となく雰囲気が違って、感覚が掴みにくかったけれど、それでも滑りなれた道には変わりない。右に左に足をきって、時々は障害物をジャンプして切り抜ける。  ブレイブボードの感覚が楽しくなってくる。  滑りながら判ったんだけれど、〈コースケ〉はあまり頭が良くないみたいで、先回りをするということは一切ない。律儀にぼくの通った道を通った順に追いかけてくる。  しばらくそうやって、追いかけっこをしつづけた。ぜぇぜぇと息が上がってくる。やっぱり、五分間全力でブレイブボードを操るのはきつい。 「まだなの!?」 〝後五秒。四、三――〟  彼女がカウントをし始めて、ぼくはほっとした。  それで、気が抜けたのかもしれない。スピードが乗りにのったボードが、ふいに横滑りをした。反射的に体勢を立て直そうとしたが、爪先がかくんと空を切った。まずい!  とっさに片足だけでステップしてボードから飛び降りる。ずざっ、といやな音を立てて。転ぶことだけは避けられたけれど、次の瞬間には目前に〈コースケ〉がいた。 「っ!」 〝鍵を〟  彼女の言葉に、あわてて胸ポケットの鍵を手渡した。  そこからは、まるでスロー・モーション。  彼女の指が踊るみたいに空中に絵を描いて、その中心に鍵をさした。光が集まってくる。  彼女が鍵をまわすと、また、光がはじけた。今度は予想していたぼくは、きっちり両手で目をかばっていたから昼よりはずっとましだった。  そして、光がなくなって夜の静かな町に戻った時、どろどろの〈コースケ〉はもうその場にいなかった。 〝無事だね〟 「……なんとかね」  彼女の言葉に、ぼくは力なく頷いてその場に座り込んだ。 「……ねぇ」 〝何〟 「明日の朝、この辺りですごいうわさになると思うよ。謎の白い発光!? とかって」  ぼくの言葉に、彼女は無表情のまま言ってのける。 〝そうなの〟 「そーなの」  ……まぁ、いいけど。別に。 「説明してくれる? 一から全部」 〝可能な限りは。ただし、もうそろそろタイム・アップだ〟 「明日でもいいよ」 〝了承した〟  彼女が頷いた。そのころになって、遠くからぼくを呼ぶ声が聞こえ出した。たぶん、こーすけたちがさっきの光を見て、ぼくを探しに来てくれただろう。 「その前にさ。君の事、ぼくらはなんて呼べば良いの?」  彼女は一瞬沈黙して、それからこう言った。 〝なんとでも〟 「ふーん……じゃあ」  ぼくは少し赤くなっている右腕をぺろりとなめて、続けた。 「鍵から現れたから――『キィ』でどう? そのまんまだけど」 〝構わない〟  そういった瞬間、白い彼女は――キィは、ざざっと全身に砂を走らせて、消えた。  大きく、息を吐く。 「ひろと! 大丈夫か!?」 「片瀬!」 「ひろとー!」  自転車を、マウンテン・バイクを地面に放りだしたこーすけたちが、ぼくのもとに走りよってきた。  夜空には、きらきらとした星が見える。  なんだか、大変な夏休みになりそうだな――って、ぼくはそのとき初めて、そう思ったんだ。
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