第三章【夏休み】

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 キィにバスケのルールを教えるのは相当苦労した。 「キィ、キィ! ボール持ったまま走っちゃだめ! トラベリング!」  ボールを両手でしっかり抱えたまま、すっとゴール方向に向かって滑っていくキィをあわてて止める。  この辺りの公園で、バスケットのゴールポストが設置されているのは第二公園だけなんだけど、さすがにそこだと人目につく。だからぼくらはキィに服を着せて帽子をかぶらせて、日が暮れてから遊んだ。これなら遠目にはキィの普通じゃない様子には気付かないはず。  ところがキィは、ぼくの声にきょとんとした顔を見せて立ち止まるだけだ。 〝あなたたちのように、方足を踏み出すのが一歩だとすれば、三歩以上でトラベリングという反則行為だとは理解している。しかしわたしは、三歩以上歩いてはいない。なのに反則なの?〟 「今ものすっごく移動したように見えたのはぼくの目の錯覚ですか、キィ」  スリー・オン・スリーには一人足りないから、二対二でとりあえずルールを教えようとしていたのだけれど、相手チームの久野とこーすけもぐったりした顔を見せている。今のはどう見たってトラベリングだ。 「だぁかぁらぁ、移動するときにはドリブルするの。こうやって」 「ひろとーぉ」  チームを外されてふくれているたけるが、ベンチから声を投げてくる。 「キィ、トラベリングじゃないよ。歩いてなかったもん。両足そろえて滑ってただけだもん」 「……」  ぼくらはその言葉に顔を見合わせるしかなかった。キィはというと、その通りだとばかりにこくこく頷いている。  ぼくは思わず笑ってしまって、ドリブルの手を止めて赤茶色のバスケットボールをこーすけへ投げた。 「バスケ以外にしよう。たけるも遊べるやつ」  ぱしっとぼくのパスを正確に受け取ったこーすけが笑った。 「そやな」  角野町を出て、電車で市内のこども宇宙科学館にも行った。  壁一面に宇宙の絵がかかれていて、ブラック・ライトで光るスペースロードとか、火星や月での測定結果もわかるジャンプ力測定器とか、斜めの部屋とか――いろんなものがあった。  さすがにキィに姿を現してもらうわけにもいかなくて、キィは鍵のままだったけれど、それでも楽しんでいるみたいだった。ぼくとしてはブラック・ライトで光るスペースロードをキィが歩いたら光るのかどうかがものすごく気になったんだけど、それは謎のままだった。  プラズマ・ボールで髪の毛が逆立ちしたこーすけや、そのこーすけに追いかけられて逃げ回るたけるを見て、久野が楽しそうに笑ってた。  キィは『たくさんの銀河』というパネル展示物に興味を持ったらしく、ぼくにこうささやいた。 〝わたしを……鍵を、パネルに少し近づけてくれない?〟  キィに言われるまま、鍵をパネルに近づける。 「太陽系は銀河系というたくさんの星の渦の中にあります。太陽系から銀河系の中心までは約三万年、銀河系の端から端までは約十万年かかります」  展示物にかかれている文章を、久野が声に出して読んだ。数字の大きさにぼくらは顔を見合わせてはてなマークを浮かべるしかなかったのだけど、続きの言葉にはさらにはてなマークが増えた。 「宇宙には銀河系と同じ銀河が……いちじゅうひゃくせん……一千億個以上もあるといわれています。となりのマゼラン銀河までは十七万年、肉眼で見える一番遠い天体アンドロメダ銀河までは二百三十万年かかります。だって」 「へぇ……」 「ねぇ、ひろと。にひゃくさんじゅうまんねんって、どれくらいなの?」 「ありえないくらい」  たけるの「なの?」にはものすごく判りやすく答えてやる。 「宇宙の果ては、これまでの推測から、おおよそ百五十億光年のかなたといわれています。これは光の速さでも百五十億年かかるということです――だって。すごいね」 〝もっとだ〟 「え?」  久野の読み上げた声に、キィが静かに告げた。ぼくらは思わずキィの声に耳をすませた。 「もっとって、もっと遠いってこと? キィ」 〝うん。正確な数字は〈マザー〉でも割り出せてはいないが、これ以上なのは確か。そもそも宇宙空間は常に広がりつづけている。正確な数字を割り出そうとするほうが馬鹿げている〟  常に広がりつづけている。その言葉に、思わずパネルをもう一度見た。色鮮やかな、宇宙の絵。どんどん広がっているという。 「ねぇ、キィ。〈マザー〉ってなに?」
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